2014 OHCD  11期講演 HOME



百年後の小田原をどうする
2014.05.18
6組 大倉冨美男


 私は小田高を出てから、東京住い、ニューヨーク住まい、ミラノ住いで生きてきており、外から小田原を見るのに慣れています。最初に、これまでの自分の仕事を少しお見せします。
 現在、芸術文化創造センターが実施設計中であり、市の文化部などが将来計画について必死の作業をしていると思われますが、それだけで終わり、市民の熱意が伴わなければ、いつまでたっても一頭地を抜くことができません。

 ここで根本的に言えることは、今でさえ日本が大きく変わり始め、人口減と超高齢化社会に向かってつき進んでいるということです。これを読み込んだ上で、大震災が無く、国際政治とエネルギー、社会保障のコントロールを間違えなければ、世界でも有数の裕福な国として生き永らえていける可能性があるのです。ということは、人間、資材、組織、地勢等について、持てる資産はかなりいいものがあるということでしょう。そういう前提で話してみると、小田原のこれからがいささか気になります。
 そこで感じるのは、過不足なく豊かで「もう、これでいいんじゃないか」という印象があるからですが、それだけに大きな方針が決められない不安もぬぐえません。住んで育ったまちだからかもしれませんが、市民の想いに幾分、間延びしたところを感じるのです。「東京のベッドタウン化」のせいかも。

 地域特性を考えてみると、基本的に小田原の目指すところは観光都市であろうと思うのですが、目を他にやると、持てるものがたいして無い市町村はその分、必死に考えていると思われるのです。
 すでにその線で生きていると言われるかも知れませんが、あっという間にくる百年後を考えると、相当にレベルの高いまちづくり計画がなければならないのです。これからは「建てては壊し」(スクラップ&ビルド)だけではやれなくなります。ヨーロッパを見ていて感じるのですが、今造る街並みは、うまくすれば百年後にもその骨格は残るでしょう。エッフェル塔は1889年の完成でした。

 激増する可能性のある、中韓、東南アジアの観光客は面白くなければ小田原は通過、面白ければ面白いで民族対応の問題も出てくるでしょう。太平洋ベルトラインとして見た時に、他のまちとどう差をつけるのかなど、ロングスパンの視野で見ていかなければならないことがたくさんありそうです。

 私は小田原は、海、山を背景にした、老人にも、文化を担う若者にも好かれる気候温暖な景勝文化居住地として、「東洋のリヴェラ」(の一角)を目指しらいいと思います。そのためには、まちづくりは簡単にはできない。ぶれない百年のプランが必要です。
 具体的には、「くつろぎの場」、簡易滞在賃貸住宅の整備、ウォーキング・サイクル・ルートの整備、旨いものいっぱいのまち、地域産品のグレードアップ、美しい街角創出、山辺と海岸線の整備(西湘バイパスは問題)、文化遺産の整備など、やるべきことは山積みです。

 注意しなければならないのは、「わかっているよ」と言って何もやらないこと。重要なことは人選とシステム創り、それに適正な予算配分と効果的な消化です。「小田原評定」を未来にまで持ち込んではいけません。

 


経歴

 小田高11回卆。東京芸術大美術学部図案計画専攻卆。日本コロムビア(株)を経て、ニューヨーク:H.J.クレッチマーデザイン事務所勤務、ミラノ:C.バルトリ建築事務所勤務の後、ミラノで独立、:OKデザイン事務所。在伊は10年に及ぶ。帰国後も自事務所を開設、現在に至る。

 この間に、Gマーク審査委員、(社)日本インダストリアルデザイナー協会理事長、静岡文化芸術大教授・学科長、恩賜賞財団発明協会意匠部門審査委員長、(社)日本建築家協会デザイン部会長、同港地域会会長、日本デザイン学会評議員、NPO日本デザイン協会理事長などを歴任。商品デザインを経て建築、まちづくりまでの横断領域の職能形成を目指し、手がける日本に数少ない建築家・デザイナー。勝見勝賞など受賞。



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