2015OHCD 11期主催公開講演レポート Home



その2 三木邦之, Who?

2015.06.06   常任幹事 3組 佐々木 洋

 進級する際にあまり大がかりなクラス編成変えがされない小田原高校のことですから、3年生時に2組だった皆さんの他は今回の2015年「小田高ホームカミングデ―(OHCD)」に「地域は消滅するか」と題する公開講演会の講師役を務められた三木邦之さんをご存じでない方が多いのではないかと思います。私自身、「マイクロ同窓会“小田高湘南会”発足」http://odako11.net/Happyou/happyou_sasaki_16.htmlに記したとおり、小田高を卒業して半世紀以上も経った昨年のOHCDの後の懇親会で、同じ2組勢の下赤隆信、山田泰昌、久野厚夫の3兄とともにお会いしたのが初めてのことでした。そんなわけで、今回のレポートPart2では、講演会で垣間見えた三木邦之さんの人となりや見識についてご紹介したいと思います。


三木家が消滅寸前だった
 開講に当たって三木さんは「私の実家は漁師だった。そして、“真鶴の漁業は二代と続かない”と言われるが、まさに我が家はその通りで、3年生の時には進学することが考えられなくなったばかりではなく、終盤には、もう1日でも休んだら出席日数不足で卒業できない事態にまで陥った」と語り始めました。「地域は消滅するか」どころではなくて「三木家は消滅するか」ということが問われるような状態だったわけですね。そのため、進学校故大半の同級生が大学受験で出払っていて寂しくなっている小田高キャンパスで寂しい思いをしながら授業を受ける日々も経験されたようです。

出席日数不足”で講師になって
 「出席日数不足」というトラウマが未だに残っているせいか、同窓会などの計画があると「なんとしても出席しなくては」という思いに駆られるのだそうです。そして、そんな思いで出席した1年前のOHCD懇親会の席上で、「酒を飲むと気が大きくなる」という“特質”を発揮して今回の講師役を引き受けて“しまった”のだとか。「真鶴町長の現職から離れて11年も経つことだし、こんな風に“出席日数不足ギリギリ卒業”の私が“ゆうゆう卒業”の皆さんの前で話をするなんて、柄にもなくとても緊張する」と言って講演を始められましたが、そんな言葉とは裏腹に実に堂々たる講師ぶりでした。

オレ流の講義を全う
 プレゼンテーション用に「パソコンやプロジェクターを使いますか」という問いかけにも「いいえ」、ホワイトボードが使えないと分かっても「大丈夫です」、挙句の果てにマイクまで使えないとなっても「地声でいけるから構いません」という“すべてオレ流”の構えで三木さんは講演に臨まれました。それでいて、話に起承転結のけじめをきちんと付けてから、時間通りに話を終えるのですから流石です。思えば、かつてプロ野球で三冠王をとった落合博光もオレ流を通しながらきちんと基本を身につけて実力を発揮していました。かの落合も、東洋大学(後に転じて東芝府中工場も)中退の「出席日数不足」派でした。ことによると、この私がいつまでも基本を習得できずにいるのは、東芝を定年まで勤めあげて「出席日数たっぷり」で安穏に過ごしてきたせいかもしれません。

“不惑”の思いに駆られて町政に
 三木さんが真鶴町議選に立候補して当選を果たしたのは40歳のときだったそうですから、きっと“不惑”の思いに駆られてのことだったのでしょう。ようやく飲み水不足の真鶴町が湯河原町から水の供給が得られるようになってから、ホテルやらリゾートマンションやらの建設計画の波が真鶴に押し寄せてきた時には、早晩水資源が枯渇するばかりでなく、「東洋のニース」と呼ばれるほどの美しい自然環境が破壊され、人の心まで荒んでくることが必定と思われ、真鶴町政としても大変な苦慮を強いられたそうです。そしてプレッシャーに耐えられなくなった助役、次いで町長が次々に辞任して町政に空白期間が生ずることに。そんな真鶴町の苦境を“不惑”の三木さんが見ていられるわけがありません。何も分からぬまま町長選に立候補して当選し、利権がらみの脅しや嫌がらせの矢面に立つことになりました。

後継者より条例を残すことの重要さ
 町長就任後、逸早く給水量と地下水採取規制を制限する「水の条例」を制定・施行させ、真鶴町を開発業者にとってメンドクサイ町にすることによって、町への投機的不動産投資の流入の阻止に成功した時にも「この条例は国の法律と抵触するのではないか」という懸念が根強くあったのですが、「違法かどうか判断するのは裁判所の仕事」と“不惑”の姿勢を示すことによって周囲を納得させたのだそうです。また、これとは別に、住民の参加を得て、世界に類例がないという街づくり計画のための「美の条例」を押し出したのも、「真鶴の持てる良さは大切にし続けたい」という“不惑”の一念を示したものなのだとか。講演会終了後の質疑応答でも「後継者は残したのか」という質問に対して、「後の世にも受け継がれる条例を残すことの方が後継者を残すことより遥かに重要」と胸を張って答えていました。

「広域行政」は地方創成の有力オプション
 しかし、「地方行政組織を腐らせないようにするためには、首長の在任期間は3期が限度」という持ち前の信条ばかりは“不惑”とはいかなかったようです。湯河原町との合併問題が懸案事項になっていたため、心ならずも4期目に入ってしまったのだそうです。肝心の合併問題についての住民投票の結果は、湯河原では賛成が70%だったのに対して、真鶴では合併反対が60%で合併話は結局ご破算になってしまったのですが、三木さんは相変わらず、合併による「広域行政」を地域創成の有力なオプションとして掲げ続けており、政府肝いりの「日本創成会議」が、真鶴町とともに、“消滅可能性都市”とした箱根町、松田町、山北町と小田原市との統合問題が政治課題となると見ています。しかし、三木さんが指摘されるように、財政窮乏自治体同士が合併してもまったく無意味。その意味で西湘地域での「広域行政」の中核になると見られる小田原市の財政も決して豊かと言えませんが、かつて5市を併合して市の面積が日本一になり財政も好転した福島県いわき市のひそみに倣って、「海あり山あり温泉あり歴史あり」の広域小田原市が実現したら、もっともっと小田原市に対して誇りが持てるようになるのではないかと思います。

垣間見える中央行政機関の責任回避
 また、“市町村合併には、行政当事者自体が抵抗勢力になり得る”ということを三木さんの「せっかく、首長や議員に選ばれた人たちは、合併によって自分の立場を否定することに積極的にはなれないものだ」という一言が示しているように思えました。国会議員の定員削減がなかなか実現されないのも国会議員自身が抵抗勢力になっているからでしょうね。ですからこの場合、何の責任も権限もない「日本創成会議」が、三木さんの言う“合併の肩たたき”をしたり叱咤激励をしたりしているだけでは市町村合併は進展を期し難いのだろうと思います。当事者同士の協議に委ねているのではなくて、「日本創成会議」の背後にいる国や都道府県の然るべき行政機関が自らの責任と権限をもって介入し促進する必要があるのだということを三木さんの講演から改めて思い知らされました。「日本創成会議」の類の“有識者による××会議や××委員会”任せにすることがやたらと多い日本の行政の陰には「行政機関による責任回避」という由々しき問題が潜んでいるのかもしれません。

美名の陰にある実態を
 三木さんが述べておられた「福祉、保険、医療に関する権限委譲に伴って、真鶴町からの出費が嵩むようになって町の財政が圧迫されるようになった」という一言の裏にも「権限委譲という名の責任転嫁」があるのではないかと勘ぐってしまいました。民間ではどの企業でも「権限は移譲することができるが責任は移譲することができない」ということを教え込まれているはずなのですが、責任・権限の体系が曖昧になりがちな「官」の世界のことですから、「国のすることだから」として安心していてはいけないようです。「地方分権」というと聞こえは良いのですが、その美名の後ろにどんな実態があるのか、三木さんが町政のプロとしての体験を通じて示唆してくれたように思えます。安倍内閣が唱える「地方創成」という美名も然りで、それを鵜呑みにしたり受け売りしたりしてはならず、地方、ひいては我々住民にどのような権限と責任が及ぶのか見極めなくてはならないのではないかと改めて思いました。三木さんの講演は、地方政治についての様々な知見だけでなく、市民としての心構えについてもさりげない示唆を与えてくれたように思えます。恐らく、当日の受講者中の“最大派閥”(10名)であった三木さんと同級の2組勢の皆さんさえ、三木さんのこのような人となりや知見をご存じでなかったのではないかと思います。今回受講されなかった方は残念でした。是非是非来年は、「こんな同期生がいたのだ」と誇りに思えるとともに、その貴重な経験を追体験できるようなOHCD11期生主催公開講演会に脚をお運びください。