新年のご挨拶
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 2016 新年のご挨拶
11期常任幹事   3組 佐々木 洋

 新年のご挨拶を申し上げます。

 “湘南の中央”辻堂の元旦の海はあくまでも穏やかで、うねりもない鏡のような水面で、静かに小波が打ち寄せているだけでした。♪真白き富士の根 緑の江の島♪と歌われている江の島も今は茜色がさしてきた丹青の空を背に黒いシルエットで身を横たえています(下の写真左)。やがてすると、江の島の左端部分の水平線上に金環がくっきり現れ新しい年2016年の開幕が告げられました(下の写真中央)。そして、新しい曙光が水面を伝わってきて足許にまで達しました(下の写真右)。振り向けば、真白き富士の嶺にも曙光は届いていて、頂きがほんのりと朱に染まっています。早速、カメラを構えたのですが、なんと出てきたのは「バッテリー切れ」のサイン。やおら、携えていったセカンドカメラをとりだしたのですが、こちらも思いがけず「バッテリー切れ」になっているではありませんか。なんと初日の出の場で初ドジをしでかしてしまいました。早速「ドジ男からドジを取り除いたらアイデンティティがなくなっちゃうんだから」と開き直っています。今年も相変わらずドジな仕儀を繰り返すことになりますが、“人様にご迷惑をおかけしないドジ”の枠内にとどめますので、ご安心の上倍旧のご交誼をくださいますようお願い致します。


   

 昨年は、下手っぴテニスをはじめ“遊ぶのに忙しい”日々が続き、それこそ「風邪をひくヒマもない」状態でした。ところが、年末になって、ヒマができたのが祟って風邪をこじらせてしまいました。そのため、合計450枚程度発送する年賀状が、現在時点でようやく270枚発送済みという惨状です。箱根駅伝の実況を見ながら賀状書きという異例な事態になったのもヒマができてしまったからこそです。「小人閑居して不善をなす」分にはまだ良いのですが「ヒマは健康を害する」という“法則”に巡り合うことにより「ヒマ撲滅」を新年の課題として取り上げざるを得なくなりました。ところで、小人閑居して不善をなした挙句考え出した木版画年賀状の図柄は以下のようなものです。
 

 多分、いや、絶対にお分かりいただけないと思いますが、この木版画を私は“反戦画”として描き、タイトルを"Japan as Only 1"としました。秀峰・富士に錦織なす紅葉は日本ならではの「美しい日本」の象徴です。これにもまして日本が世界に誇れるものが不戦を誓った平和憲法“でした”。ところが、憲法違反と指摘する声が高まっているにもかかわらず安倍政権は安保関連法案を強行採決し、日本を戦争をすることができる並みの国に変えてしまった。かつて60年安保の時にお祖父ちゃんの岸信介を恨んだのと同様な安倍伸三に対する怨念を抱いて、ジョーン・バエズの“反戦歌”を口ずさみながらこの“反戦画”を作成したのでした。いずれにしても、Japan as No.1でも経済大国でもなくなってしまった日本で、私たちはどのような矜持をもって暮らしていくことができるのでしょうか。「日本人1億人(アメリカのポチとして)総活躍」というのでは情けなさ過ぎるのではありませんか。 ところで、私は「七十過ぎたら本格(本書く)的時代」と自分に言い聞かせてきました。「受動的に本を読んで、その内容を鵜呑み・受け売りして済ましていられる歳ではないではないか。本ではなくても良いのだが自分なりの知見を書き記して情報発信するようにならなければならないのではないか」という意見に基づくものです。このところ、出身高校同期生ホームページ「小田原高等学校第11期」に寄稿しまくっているのも、そうした“本書く的”活動の一環なのですが、実行してみると、「書くことは学ぶこと」だということが実感でき、同じ読書をするにしても能動的に本が読めるようになりますし、何よりもボケ防止(私の場合はボケ“進行”防止)に有効だということが分かりました。さて、私はこの3月で75歳になり、「本格(本書く)的時代」もいよいよ佳境に入ります。「若さのバロメーターは好奇心」と言われますから、精々好奇心を燃やしてキョロキョロ見回していけば、精神的な若さが保てて「好奇高齢者」になれる。そこで新たに得た知見を自分なりの考え方の中に取り入れて「本書く」を行なっていけば「高貴幸齢者」にもなれると新年に当たって思いを新たにしています。皆々様には一層雑音をお聞かせすることになりそうですが、テキトーに聞き流すなり無視するなりしてご交誼をお続けいただければと願っています。本年もよろしくお願いします。