タシュケントに日本庭園ができたとは素晴らしいですね。ウズベキスタンには今まで縁がなく、タシュケントとかサマルカンドという都市の名前を、「東方見聞録」で知ったという記憶がある程度です。
私の出身校である東京都立大学ワンダーフォーゲル部OBが1995年からおよそ15年をかけて、ロンドンからユーラシア大陸横断をした時の記録を読むとタシュケントの日本兵士墓地の植樹を行ったのは宮城野にある「株式会社富士箱根緑化」と書かれていました。小林さんは此の会社の社長さんだったのですね。随分ウズベキスタンとは繋がりが深いとお見受けしました。
小林さんは私よりも17歳若いから、アフガニスタン侵攻はあまり実感が無かった事でしょう。1978年から1979年にかけて、私はソ連の製鉄所へ管理用のコンピュータをセッセと売り込みに通っていました。打ち合わせが終わると必ずウオッカの乾杯をやりました。ビールグラスになみなみとウオッカを次いで一気飲みするのです。すると椅子から立つ事ができないくらい、足がふらついてきます。白夜のモスクワで、徹夜で資料作りもやりました。そしてようやく受注に漕ぎつけた途端アフガニスタン侵攻が起き、商談は吹き飛んでしまいました。 日本は島国であり、あまり多様な人種の付き合いが有りませんが、小林さんのような方が積まれた国際的な経験を、若い人たちに広げて行って欲しいと思いました。
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