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 原発について                             2011.09.09  6組 瀬戸章嗣

 原発については、世の流れは、<もう原発はいらない・作らせない>という国民感情に合わせる方向で、政治も動いているように思いますが、世の中が大きく動く時は、そういう整理が必要な時も、政治的にわかる気がしているものの、私は、振り子のように、又、行き過ぎになる危険性もあるように思っています。私も、これを機会に、昔の水車を含め、風・波・太陽熱・地熱・光合成・バイオ等々、エネルギー源の多角化が進むための今はチャンスだと思います。しかし、原子力発電は、続いていくような気がしています。私の個人的な考え方では、原発は、人類が作り出せた、有用なエネルギー手段ですが、その元になっている原子力技術は、同時に、依然として強力なテロの殺戮手段の元であることは変わらず、消滅される保証がない状態が続いていることを、我々は、しっかり踏まえる必要があるのではないかと思います。

 従い、原子力技術を、現状人間がコントロールできないからといって、素朴な気持で手放し、結果的に、悪魔に手渡すことになることは、何としても避けなければならず、それを実現する道は、原子力技術の安全利用の道を更に追求し、コスト負担の利益を図ることによって得られるのではないかと思います。

 原子力技術は、人類がもぎとったリンゴで、元へ戻すことはできないのではないでしょうか?原子力発電で津波事故が起こっていろいろ分かったことは、「間違った原子力安全神話」の存在で、これは、優秀な人々が、一種の「利口馬鹿」になって、科学の本質を忘れていたことだと思います。

 それで思い出したのは、私が大学に入った時の入学式で総長か誰か忘れましたが言った言葉です。 「君達は、大いに勉強研究しようと思っており、分からないことはないと思っていると思うが、科学の本質は、ギリシャの哲人が言ったように、分からないということを理解するのが科学です」今回の、原発事故の顛末を聞いて、私は、分からないことをしっかり理解しようとする努力を忘れた人々が起こした人災だと思いました。それを知らされないまま容認した、我々国民みんなの責任だと思いました。

 3通りのケースを想定して安全対策をしたと言うなら、10通り20通りのケースを想定して安全対策をしたうえで、発電所の建設を検討する道があると思います。当然、コストがかかります。そのコストは、今まで言われていた「原発はコストが安い」を否定すると思います。

 それでも、絶対ということはないのだと思います。個人的には、覚悟を決めるというあきらめの立場があり、政治的に、絶対がないという立場がとれるかどうかは、分かりませんが、時の情勢によると思います。そういうことも、含めて、私は、やはり、原子力技術は、手放してはいけないのではないかと思っています。

 
       
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