ちょっと発表


市川おっさんを偲ぶ

2020.12.28

6組 長谷川 勝


 市川 陸雄さんの訃報を知った時は、あまりの唐突感にて、何故だ、なぜだ と只々頭の中が混乱しまくった。数日前には元気に自転車に乗っている姿を見ていてからだ。
 中学・高校時代の同窓にて、彼の呼び名は「おっさん」。当時より体格も一回り大きく、兄貴的な偉丈夫感も漂い、物事にあまり動じない風でもあった。
 中学時代は野球部、小田高に入り山岳部へとチャレンジ。当時 校舎最上階よりロープを降ろし外壁を昇り降りの様子、一度 丹沢の沢登りに誘われ、園児の如く只付いていった事があったが、その時も一人黙々と恐怖心と対峙しながら、絶壁にて格闘していた。
 又、我が高の校風にはあまり似つかわしくはないが、他校の不良たちからの物言いに対しても毅然と身一つで向かったという。気の弱い弟が兄に問うがごとく「怖くないのか」、答えは「征くぞッ、と心に決める事だ」と、バンカラであったなァ。
 卒業後、間もなくして、東南アジアを気ままな国廻り、地図にも載らないような山間へき地の、ある集落にたどり着き、数日間滞在した。帰りの日が迫った頃、村の長部から おっさんに向かい、こう言ってきた「私の娘をもらってくれ」と。村の長部から見れば なにがしかの男気を感じ、自分の後 村を見てほしい、との願いがあったか・・。
 山への想いは減ることなく、一時期 学習院大学・山小屋の管理人を仰せつかった事があった、山小屋にこもっていると不意に、第一次南極観測越冬隊のあの著名な隊長さんがお見えになった、もてなしの余裕もなく、小屋で造った濁酒を用意し「俺の密造酒を空けてくれたヨ、ワッ、ハッ、ハッ、」と高笑いされたのも思い出す。
 年を重ねても、自前の山岳写真と和歌とでもって、山への憧憬が溢れていました。山に対する畏敬の念や、頂上にたどり着いた時の山との一体感・満足感が大きな醍醐味だったのでしよう。
 小田高・山岳部より六十五年、貴兄は本当に自由人でした。  

合掌    同級生 長谷川 勝