ちょっと発表



2018.6.11    6組  榮 憲道 

GISTとの遭遇

GISTとの遭遇
            6組  榮 憲道

★胃と大腸二つのがんを乗り越えて十三年余穏やかに過ぐ

 今から15年前、62歳の誕生日を機に永年勤めた会社(日清製油=現・日清オイリオ)を退職した私は、いろいろな因縁が重なり、故郷や兄弟姉妹から遠く離れた名古屋市の東隣りの長久手の地で老後の生活を送ってきた。
 定年後のすぐ後に胃がん・大腸がんに罹ったが、ともに全くの初期段階だったため、後遺症の心配もなく完治した。それから比較的平穏な老後の生活がずっと続き、まだ独身だった息子は茨城の守谷市で一家を構えて男孫2人が生まれた。娘も結婚して女孫が1人、今は私ども夫婦と一緒に暮している・・・。
 そして、喜寿を迎えた平成29(2017)年の夏がやってきた次第である。


★イオン来てイケアも続きジブリ来る長久手往還いよよ忙(せわ)しき


 *ジブリ=宮崎駿監督率いるスタジオジブリのテーマパーク(2020年に開設予定)
 長久手は天正12(1584)年に豊臣秀吉と徳川家康が覇を争った小牧・長久手の戦いで有名であるが、今は名古屋市と豊田市(トヨタ自動車及びその系列会社)のベッドタウンとして発展を重ねて6年前に市に昇格。今は全国一の若い市(平均年齢38歳)で、住み良さ度は全国第3位とランク付けされている。
 そこでの私の定年後の生活の中心は”趣味”であり、いろいろなグループに老後の生き甲斐を求めてきた。先ず社交ダンス(長久手市)にエッセイクラブ(名古屋市名東区)に何年か、そして名古屋市瑞穂区の《歌曲の会》という音楽サークルでは10年余に亘り所属して主幹事も務めていたが、順々に円満退会.した。現在は63歳から加わった毎週末のテニスと、3年前の73歳からの月一回のカラオケを、地元の気のおけない仲間たちと適当に楽しんでいる。
 地元以外では、大阪暮らしのときから40年の長きに亘る西宮のジョギングクラブ(西宮タートルランナーズクラブ)の催しへの参加や、故郷の小田原の小学校(櫻井小)中学(白山中)高校(小田原高)時代の学友と旧交を暖め、特にここ数年は小田原高校同期テニス会に、中学も一緒の今道周雄さんに誘われて1年に何回も新幹線で小田原に行き来するようになった。
 そして、エッセイクラブを辞めてから始めた短歌は、私の性に合ったのか、一番深くのめりこんで今も交誼の輪を広げている。最初は地元の《長久手短歌会》という10人程度の和やかな会で、各々毎月二首を詠んで気楽におしゃべりする程度だったが、その時指導された安藤克己先生の勧めから歴史ある結社《灯》のメンバーに加わった。その縁から愛知県西部・愛西市の《佐織短歌サークル》の一員ともなったが、先生が亡くなって《灯》が解散。その後は、東海地区の代表格ともいえる大塚寅彦先生主宰の全国的結社《中部短歌会》のメンバーとなって本部例会の常連となった。今では関東支部歌会に東京まで出かけるし、《長久手短歌会》は、メンバーの要望により私がまとめ役となって現在も存続、4か月に1度は大塚先生の指導を受けている。


★春の陽に翁(おう)媼(おう)揃いて散歩するこのひとときの心安けき

 「もうがんの心配はなさそうだ」
 私は50代頃から尿酸値や血圧が高かったので、その治療のため水野医院にずっと通っており、毎年のように胃や大腸の内視鏡検査やエコー(超音波検査)、血液検査などを、そして2年置き程度に新栄(中区)の愛知医大病院メディカルクリニックでCT(コンピュータ断層撮影)検査をしてきた。そして何の病気の兆候も見られず心配もしていなかったのだが・・・。

★夏バテと思いしだるさ続きいて何か変だぞ検査あれこれ

 それは7月下旬頃だったろうか。なんとなく身体がだるく咳も出る。妻からは「年甲斐もなく炎天下でテニスなどやるからよ」
 1週間もしたら体調は戻ると考えていたが、なかなか戻らない。長久手市内の内科クリニック医院や耳鼻咽喉科医院でそれなりに検査、点滴をしたり薬剤をもらったりしたが一向に治る気配がない。

★妻や子に〈三日病人〉宣言し秋の連休自室に籠もる

 思い切って完全休養してみるかと、9月の3連休(敬老の日を含む16~18日)を部屋に閉じこもって体調回復を試みたが、やはり同じ状態が続き更には日を追って食欲が減退、食事はおかゆが中心で声もかすれてきた。
 10月12日(金)に水野医院で胃の内視鏡検査をする。特に問題もなく、採血してもらって帰宅した。ところが16日(月)早朝、直ぐ来院してほしいとの電話があり急いで駆け付けた。
 先生より、CRPの値が通常より大幅に高いのですぐにCTで検査したほうがよいからと、紹介状をもらって近くの名古屋東部医療センターに向かう。CRPとは炎症や組織細胞の破壊が起きると血清中に増加するC反応性たんぱく質のことで、通常値が0.30以下のはずが13.11と異常に高く、心筋梗塞・膠原病、悪性腫瘍などという疾患が疑われる数値であった。
 夕刻まで待つと、その結果が水野医院に電送されてきた。肝臓・すい臓付近にかなり大きな翳が見えるが更なる精密検査が必要という。紹介出来る大手病院が何か所か挙げられたが、妻とも相談、がんの可能性が高いようだし我が家から近いこともあり愛知県がんセンター中央病院と決める。
 20日(金)にがんセンターを訪問し、紹介された部長と面談、先ず10月23日(月)から3日間の検査入院をすることになった。
 ところが翌土曜夕方、体力が限界を超えたのか・・・、

★突然に強度の貧血襲い来て頭フラフラ歩くのやっと

 外出どころか、家の中を伝い歩きしなければならないほどとなった。
 娘ががんセンターに電話して繰り上げ入院を検討してもらったが、病院は休みなのでたとえ入院してもほとんど何も処置出来ない。むしろ自宅でのんびり休養したほうが身体に良いとのことなので、じっと寝て過ごす。
 「これでは無事年越しなど出来ないかも知れない」
 私自身は比較的楽観視していたが、周りからみると私の状態は相当深刻で妻と娘は万一を覚悟したようである。それでもなんとか時間が経過、やっとの思いで入院の日を迎えた。
 がんセンターは私の家から車で20分程度の自由が丘(千種区)にある。名古屋市大病院などと比べるとこじんまりとしていたが、通院・入院の全ての人ががん患者あることを考えれば当然であろう。

★非日常が日常とう世界垣間見て次は俺かな覚悟迫らる
★見晴るかす名古屋の街は星月夜見納めなるかとじっと佇む

 病室は4人部屋であった。すぐ前のベッドの患者は手術後に何度も入退院を繰り返している猛者のようで、翌日「また来ます」という元気な声で息子さんの車で帰っていったが、カーテン一枚隔てた隣りのベッドは末期がんの緊急患者用か、何人かが入れ替わるドタバタ続きでとても寝るどころではなかった。

★病体はGISTなる腫瘍と判明す十万人に数人とう希少がん

 11月2日、CTの検査結果を聞く。
 「榮さんの病体はGISTという肉腫。正式にはがんと呼びませんが悪性腫瘍には変わりありません」
 GISTとはGastronintesinal Stromal Tumor、日本名では消化管間質腫瘍と呼ばれている肉腫である。一般のがんがカルシノ―マと呼ばれているのに対して肉腫はサルコーマと呼ばれており、筋肉や神経、骨などの結合組織に発生する悪性腫瘍である。身体中どこにでも発生する厄介なもので、四肢の深部で見つけにくいことが多い。肉腫は成人発生腫瘍の1%以下のまれな頻度であるが、小児には20%近くを占めるそうである。
 そして、多くの種類のがん腫とは対照的に完全に治癒するということはほとんどなく、一生をかけて付き合ってゆく病気であり診療が必要であるらしい。
 このGISTは10万人に2人か3人という希少がんであった。希少がんとは人口10万人当り6人未満のがんのことを呼び、約100種類もあるという。GISTは消化管の壁の筋肉の層にある特殊な細胞が異常に増殖し腫瘍を形成する。胃がんや大腸がんなどといった、いわゆる普通の消化器がんは消化器の粘膜から発生するのに対し、GISTは粘膜の下にある筋肉の層から発生するという大きな違いがあり、そのため両者の性質が異なっているとのことであった。

★手術出来ず抗がん剤にて対応す吉凶転ぶは体力次第

 主治医の平山裕先生から、「榮さんの腫瘍は10センチ程度に大きくなっており、すでに肝臓の一部やその他にも転移しています。手術では取り切れない状態ですから抗がん剤治療となります」
 がんと言えば、一般に三大医療「外科手術」「化学療法」「放射線医療」が中心で、その三大医療の組合せあるいは抗がん剤の組合せなどが標準治療とされている。外科手術はがん細胞が完全に切除出来ると判断される初・中期がんに対して行われ、かなり進行したがんや転移して除去出来ないがんは化学療法(抗がん剤等)か放射線療法のどちらかにとなる。GISTは放射線治療では適応できない特殊な悪性腫瘍であった。

★病得てあらためて知る〈家族力〉頑固オヤジは捨てねばならぬ

 この日、場合によっては即入院そして手術を覚悟して、妻が既に準備していた入院用品を車に積み込み娘の運転で病院に向かったわけであるが、やはりこういった時は一人暮らしとか車の運転が出来ない老妻だけでは大変である。
 抗がん剤は、その成分の由来やどういう作用でがん細胞の増殖を抑えるかなどにより、幾つかのグループ(アルキル化剤、代謝拮抗剤、抗がん性抗生物質、植物由来の製剤、分子標的薬など)に分類される。どの薬を選ぶかはがんの種類(部位や細胞)や程度、また患者の状態によって異なるとのことである。
 GISTに対する抗がん剤は現在3種類あり、グリベック(一般名イマチニブ)という薬がまず一般的に使われるという。グリベックは分子標的薬で、がん細胞に特異的な遺伝子やたんぱくを狙い打ちするように設計されたものである。そのため正常な細胞に与えるダメージが少なく、患者にとって身体の負担が少ない薬剤であった。もともとは慢性骨髄性白血病(OML)のため開発された薬であったが、GISTにも効果があると認められ最初の抗がん剤として2003年に公認された。GISTはそれまで手術以外に治療法はなく、手術に対応出来ない患者には即・死に至る病気だったようで、ある意味私は幸運な時に幸運ながんに罹ったのかも知れない。

★口惜しくも秋の愉しみドタキャンに、歌会・七五三・高校同期会

 しかし、私にとってそれは最悪の時期であった。10月末に「中部短歌会95周年記念全国大会」、11月初旬には茨城の息子一家から次男(孫)の七五三の祝いの会への招待、更に中旬には「小田原高校同期生喜寿を祝う会」が予定され心待ちしていたところであった。しかしこんな状態ではすべてキャンセルせざるを得なかった。特に同期会では、会場で催されるそれぞれの〈個展〉に出す予定で準備中だった私の歌集『哀歓人生』を披露したい。比較的体調が良い時に50部を何とか完成させて6組幹事の月村博さんと連絡を取り合い、展示及び希望者に配布することが出来るようになり安堵した。月村さんとは不思議な縁で、私が大変お世話になった小学校の恩師が、彼と同じ郷(南足柄市和田河原)で互いに顔見知りであり、彼の息子さんと私の息子が同じ会社(王子製紙)の同期生で知り合いだということである。

★〈なぜ早く異常気付かぬ〉責めらるも二か月前まで旅やテニスを

 GISTは、初期ではなかなか見つけにくい場所に発生し自覚症状もない。私もこの夏までは全く元気で、むしろ元気過ぎるとさえ周りに言われていたので、こんな奇病に冒されるとは正に晴天の霹靂であった。
 車の運転も、万一運転中に貧血でくらくらして事故でも起こされたらと禁止された。病院の往復は何回か娘の運転で対応したが、ずっとは大変だし普段の生活にも不便この上もない。やはりどうしても自身の運転が必要と考えた。
 貧血は赤血球中のヘモグロビンの濃度が低下した状態を指し、体中に酸素を運搬する働きをするため、貧血になると全身に十分酸素が行き渡らない。貧血にもいくつかあるがほとんどは鉄欠乏性貧血である。特にスポーツをする人は運動によって鉄が汗から奪われたり、使う酸素量が増えるし筋肉を使うことで鉄の需要が増えるため、鉄やビタミンCは普通の人の倍量が必要といわれる。
 対策として、キノコ類、あさりやシジミの味噌汁、納豆、いりごまなど鉄分やミネラルの多い食品などを積極的に摂り始め、ふらふら感もなくなったということで、近くまでならし運転をしてから病院まで一人で行くことが出来るようになった。

★春陽までテニスは止めてとう妻の意にじっと我慢の寒日のとき

 この時期、当然外出は近所の散歩程度。テニスは運動が激しすぎるし、この寒い時期に外で長時間いて風邪を引いたら困るという妻の強い要請で、じっと我慢の日々であった。
 そして息抜きはやはり映画であった。本棚の奥に在庫の名作DVD「アラビアのロレンス」「第三の男」「独裁者」や西部劇DVD「荒野の決闘」「片目のジャック」、小津安二郎監督の「麦秋」等を改めて見直したり、毎週金曜日放映のテレビ映画、そして、レンタル店で借りた「槍ヶ岳・点の記」「ハドソン川の奇跡」「戦う幌馬車」「悪の花園」を観たりなどである。
 長久手図書館にあった「天国の青い蝶」は2004年製作。ヒューマンドラマを撮り続ける女性監督レア・プールのもと、脳腫瘍で余命数か月と告げられた昆虫好きの少年が、母親や昆虫学者とともに、南米のジャングルの奥地に生息する世界で一番美しいといわれる青い蝶・ブルーモルフォを追い、奇跡に出会うという実話に基づいたた作品で心が洗われた。
 夜寝る前は、馴染みのクラシックや映画音楽、ニューミュージックなどのCDを聴き、ゆったりとした気分で就寝する。

★留守居とてソファーに凭れただ呆と空見上げおり〈ひとりぜいたく〉

 読売新聞掲載中の「病院の実力」”がんの病院食”(1/7)において――栄養バランスの良い食事は治療効果を上げるのに役立つ。がん患者は痩せる傾向にあり、食事で十分な栄養を摂ることが重要だ。症状悪化のほか治療の影響でも食べる量が減る。抗がん剤や放射線治療の副作用による吐き気や味覚・嗅覚への影響などで食欲が無くなりやすい、とあった。
 有名な食事療法の一つにアメリカのゲルソン療法というものがあり、食事療法のバイブルと言われる。がんの原因とされる食品を徹底的に排除し、無塩、生野菜、大量のオーガニック野菜のジュース、殻つきの穀物など自然治癒力を高めるオーガニック食品から栄養素を摂り、毒素を排泄することを中心としている。また日本で生れたマクロビオティック療法では、玄米菜食を基本に肉や乳製品・精製した白砂糖は一切摂らないという極端な療法で、それなりに効果は高いということであるが、玄米食はまずくて長く続けられないというし”断食”でがん細胞の活動を抑えるという療法もあるという。しかし,私はそんなにしてまで無理して長生きする気は起らない。

★さまざまな食物療法調べるもバランス一番妻に任せる

 私の妻は看護師にも負けない病気通である。私のような大病で入院するようなことはないが、〈五病息災〉ともいえるような状態で永年生活してきており、病院や医療・薬剤などにかなり精通している。
 「食事療法が公的に承認されないのはそれだけの根拠がある筈で、あくまでも補助療法であり、主体はやはり三大療法中心であるべきよ」
 私も、極端な食事療法の中で信用出来るものはほとんど無いと考えている。そして食事は人生最後の楽しみである。食事療法で変なストレスをかかえて長生きするよりも、好きなものを食べてさっさと逝きたい。

★グリベック服薬始めて一カ月急な発疹すぐ病院へ

 やはり心配していた副作用が出始めた。グリベックは分子標的治療薬であり脱毛などの強い副作用は出ないとはいえ、吐き気・嘔吐・下痢、更にはめまい・発熱・むくみ・筋肉痛などの副作用が起きるとされている。
 幸い私はこれらには無縁であった。しかし瞼が重く腫れぼったくなったり、11月下旬には全身に湿疹が起きたのですぐに病院に連絡し、病院へ向かう。先ず皮膚科の先生の診療を受けてから主治医と面接する。
 「一週間グリベックは休薬しましょう。これから渡す皮膚の塗り薬(ヘパリン油性クリーム)と就寝前の飲み薬(リンデロンーVG)でまず湿疹を治し、よくなったらまたグリベック1錠を1週間続け、問題なければ2錠とします。年末にまた来院してください」
 80歳までに3人に1人が発症するという帯状疱疹(私も15年ほど前に罹っている)に対しては、抗ウイルス薬アメナリーフが昨年承認されており、地元長久手市にある愛知医大病院の治験では、1回2錠で1週間飲むと10日程度で治ったという。一般の湿疹に対しても短期間で良く効く薬が出てくるかも知れない。
 この日偶然にも、12月10日(日)にがんセンター国際医学交流センター大会議室で《中部GISTの患者と家族の会》主催の講演会があるのを知り、妻と揃って出向いた。

★会場は思いの外の盛況なり仲間多きにほっとひと息
★グリベックの抗がん効果大を知り生き抜く元気むくむくと湧く

 講演はがん研有明病院の尾阪将人先生である。有明病院は東京にあり日本一ともいえるがん専門病院、演題は『GISTの医療概念と治療戦略』で、抗がん剤、特にグリベックのことが大半で適切な解説に理解が深まる。
 グリベックは、術後補助化学療法として3年服用した場合の5年後の無再発率は65%、生存率は92%という。また切除不能の私のようなケースでの服用3か月後の抗腫瘍効果は82%であり3年生存率は65%、その生存者の5年生存率は82%という調査結果が出ているという。うまく適合すればかなり長生き出来そうである。実際、患者の中にはグリベックでかなり長く元気に過ごしている人も散見され、気分的に大変楽になった。
 12月22日、今年最後の通院ということで妻も同行する。湿疹の経過順調なので25日より3錠にまで戻して年末年始を迎えることになった。
 「お正月に少しの祝い酒はどうですか」
 「やはり止めといたほうがいいでしょう」
 11月の血液検査で、肝臓に関係する数値の中で一番アルコールとの関連が強いとされるγーGTP(ガンマ・グルタシントランスぺプチダ)だけは、検査値は30で基準値(10~47)内に収まっていたし「少しは良い」との言葉を期待していたが、さすがにがっくりする。


★武士(もののふ)の凛たる生きざま範として残生過ごすか 葉室麟逝く

 12月23日、葉室麟氏が急逝したとの報に接した。2005年『乾山晩愁』で歴史文学賞を受賞しでデビューした遅咲きの作家であるが、、穏やかな山合の風景の中に、命を区切られた男の気高く壮絶な覚悟を謳い上げた『蜩ノ記』(2011年)で直木賞を受賞した。葉室氏の作品は歴史・時代小説のスタイルを取りながら、現代にも通じる「組織の中での個人」に光りを当て、《葉室武士道》とさえ呼ばれて高く評価されている。
 最近では『川明かり』『辛夷の花』『春風伝』(”春風”は主人公・高杉晋作の本名だそうだ)などを読んでいるが、爽快で読みやすい文体が大好きである。そしてこの9月には『散り椿』が映画化され公開予定。直近では『大獄(西郷青嵐賦)』など彼が一番書きたかったという西郷隆盛など幕末の歴史に焦点を当てた小説を発表、司馬遼太郎の跡を継ぐ逸材と期待されていたのだが、享年66歳、誠に残念な夭折である。
(追記)私の大好きな作家では、『下天は夢か』で大ベストセラーとなり『薩摩示現流』などの迫真の殺陣描写で剣豪小説に新境地を開いた津本陽氏が、5月26日に89歳で誤嚥性肺炎で逝去された。ご冥福を祈りたい。

★鶴瓶の「家族に乾杯」の特番に年の瀬の朝泣き笑いして

 最近はどこからも電話もないし、この体調では西宮タートルクラブの元旦三社詣にも出かけられない。安室奈美恵の最後となる《紅白歌合戦》より、毎年恒例のボクシングの世界タイトル戦を楽しみながらの年越しである。
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 2018年の正月は穏やかに迎えることが出来た。3錠に増やしたグリベックでもこれという新たな副作用は起きず、祝い酒が飲めないことは寂しかったがノンアルコールビールで代用、珈琲を淹れたりしてのんびり過ごしつつ、元日の実業団駅伝は旭化成の二連覇、箱根は青山学院の四連覇を見届ける。天候も穏やかな三が日であった。
 1月5日、がんセンターに向かう。
 「血液検査で変わったところはありますか」
 「全体的には問題ないですよ。白血球もまずまずだし。ただ肝臓の値がちょっと気になるが、これはグリベックの量を減らしたせいでしょう」
 肝臓は内臓の中で最も大きな臓器である。からだの「化学工場」に例えられる通り、各臓器から集まった物質からさまざまな物質を合成する。胆汁を作りアルコールや薬物を解毒するなど多種多様な機能を持っており、肝機能障害が起きると肝炎、脂肪肝、肝硬変などの障害を引き起こす。
 私の場合、GISTのがん細胞が一部肝臓に転移し、大きな腹水の症状が現れた。このため食欲が減退、肝機能が余り働かなくなり、AST(GOT)やALT(GPT)とかいう酵素が血中に流れ出して数値が高くなり、赤血球やヘモグロビンが減少して貧血を起こしたようである。そしてこれらの値が改善されてはいたがまだ基準値には達していなかった。
 副作用の湿疹も見られないということで、翌日からまたグリベックの服用は4錠に戻すこととなった。そしてCT検査を1月30日に行うことを決めたが、診察を待つ間何気なく測った体重計にびっくりする。なんと57㌔と表示されたではないか。家に帰って風呂に入る前にパンツ一枚で測っても55㌔余ある。これまでの14年間全く増えることがなかっただけに、この急激な体重増が反って心配になってしまった。私は胃がんの罹病・手術で約10㌔体重が減り胃を半分切除したせいか、それ以降いくら飲んでも食べても太るということはなかったのであるが・・・。
 お酒を飲まなくなった分、ご飯をいっぱい食べるようになったし家に居ると口寂しくつい間食もする。特にお正月に〈食っちゃ寝、食っちゃ寝〉の生活が続いたせいかもしれない、と勝手ながら納得する。


★イチロ―に三(カ)浦(ズ)に葛西に安美錦とレジェンドの活躍いつまで続く


 その新春早々に、闘将星野仙一氏が闘病生活2年、70歳の若さですい臓がんで亡くなったニュースが大きく飛び込んできた。中日ドラゴンズのエースで巨人キラー、監督になってからは、中日・阪神・楽天を率いて優勝を重ね名将とまで呼ばれた熱血漢である。
 そして、9日に届いた葉書を見て驚いた。そこには荒井さんの訃報が記されていた。荒井さんは私が入社時配属された油脂課(塗料・インク・自動車鋳物・石鹸用などの工業用油脂や製菓・マーガリン用などの業務用油脂の販売)という部門の先輩であり、関西でも私は大阪支店、荒井さんは神戸工場勤務だったが公私共に親しかった人である。そして去年(2017)の1月に横浜で会って歓談したばかり。その時は東海道五十三次を完歩したとか四国四十八か所巡礼をしたとか元気いっぱいであっただけに、信じられない思いで奥さんに電話した。
 荒井さんは夏になってすい臓がんと分かった。まだステージⅢの段階であり手術してがん細胞を摘出し寛解したと思われたが、11月に急変して亡くなってしまったという。「本人は死ぬ直前まで自分が死ぬとは考えていなかったでしょう」。手術ミスかどうか分からないが、しない方がよかったかも知れない。
 私の父も60歳の時すい臓がんで早逝した。気が付いた時には末期がんで手術が出来ずわずか半年の余命であったが、現在ではすい臓がんを早期に発見出来る超音波内視鏡や三次元放射線ビームなどが開発され、ゲムシタビンやSーⅠという良い抗がん剤もありもっと長生き出来たであろう・・・。

★身一つで父祖の地追われさすらえるロヒンギャの民さても痛まし

 世界は昏迷の度を深めている。アメリカではトランプ大統領が自国ファーストを標榜し、鉄やアルミの関税を上げたりして貿易摩擦をあおり、TPP(環太平洋経済連携協定)や地球温暖化対策の国際的枠組みであるパリ協定から離脱したり、NAFTA(北米貿易協定)を見直してメキシコ国境に壁を作るとか、また、オバマ前大統領が実現した核軍縮の中止やメディアケア(高齢者向け公的医療制度)の削減などを推し進めようとしている。
 そして、ミャンマーの少数民族ロヒンギャの人々への迫害、シリアやイエメンの内戦はじめいつまでも民族紛争がつづく中東諸国や貧困や飢餓に苦しむアフリカ諸国、イギリスが脱退したEUも大きな節目を迎えた。更に加えて世界的気候変動が追い打ちをかけており、今冬は北半球では極寒、南半球では酷暑の日々が続いている。日本では北海道や日本海側の各地で何十年か振りの豪雪が襲い、白根山や霧島連峰の新燃岳が噴火、近い将来の富士山の噴火や東南海地震も現実味を帯びてきている。


◎広島を訪(と)ひしアイキャンの代表と会ふこともなし日本の首相


 これは《朝日歌壇》に載った牛久市の伊藤夏江さんの作品である。
 出来もしない2%成長を相変わらず掲げるアベノミクスもすっかり色あせ、再び原発推進を図る安倍政権は、〈もり・かけ・スパ〉のスキャンダル三点セットに蓋をして済まそうとしている。こんな日本の将来が不安である。
 一方で科学分野では、人工知能(AI)の進展は目覚ましく、スマホどころかガラケーも持ち合わせぬ私には、ビットコインやメルカリとかのインターネット取引や、5G(ファイブG)などあらゆるものがネットにつながるIoT機器の広がり。更にはロボット(アンドロイド)、ドローンなどの劇的発展、映画「アバター」の仮想空間さえ実現しそうなVR(バーチャルリアリティ)の世界など・・・今年のサラリーマン川柳に「電子化について行けない紙対応」という入選句があったが、私のようなアナログ人間はとてもついてゆけそうもない。


★冬日和、近鉄特急にて西宮の走(と)友(も)集いおる新年会へ

 1月20日、難波経由西宮に向かう。名古屋市内より遠出するのは3か月振り、折角の新年会でお酒が飲めない無念さもあり行くかどうか1週間前まで悩んだが、体調はまずまずだし昨年元旦の三社詣で以来の再会が楽しみであったので参加を決意した。
 そして席上の近況報告のなかで、私がGIST患者であることを告白した。皆びっくりした顔で聞き入っていたが、元気に話す私を見てそれほど心配はされなかった。その後の二次会では、

★スナックの紅茶に酔いてマイク持ち〈酒飲み音頭〉声を張り上ぐ

 3度目のがんの告知を受けた私は1月22日で満77歳。。日本人の平均寿命は男子80.98歳、女子87.14歳、そして健康寿命は男子72.14歳、女子74.79歳(2016年厚生労働省調べ)となっている。もう”人間”として十分生きたといえるだろう。
 1月10日の朝日新聞日曜版(Globe)では、東大分子細胞生物学研究所教授小林武彦氏とのインタビューで、2016年に米国の研究チームが人類の年齢の限界は115歳という論文を科学雑誌『ネイチャー』に発表しているが、「遺伝的に定められた人間の寿命はずっと少なく、55歳程度ではないか」と語っている。この年齢あたりからがんで死ぬ人の数が急増する。がんは細胞分裂時にDNAの複数エラーが生じることで発生する。人体にはエラーを防ぐ免疫システムが備わっているが、年齢を重ねるにつれて免疫系が衰える。その分岐点が55歳というわけである。
 ある統計によると、がんを発症する人の80%は65歳以上である。そしてがんになる確率は男性62%、女性40%であり、ほぼ2人に2人はがんに罹る。国内で毎年約100万人ががんと診断され、700万人以上が〈がんサバイバー〉としてがんと闘っているとされる。

★喜寿超えた、ここまで生きればオンの字ぞ父逝きたるは還暦のとき.

 1月30日、がんセンターに隣接する東名古屋画像診断クリニックでCT検査を受け、2月2日にその結果を主治医から聞いた。
 「大分グリベックの効果が表れてきて、がん細胞もかなり縮小してきましたよ。肝臓に転移した細胞は小さくなったし、溜まっていた腹水も見えなくなってきました。この調子で服薬を続けましょう。グリベックの休薬は《耐性》を早めてしまうから――」。心配して付いてきた妻も一安心したようだ。ただ湿疹はそれなりに表れるので十分な塗り薬をもらう。
 また「病院の実力」(読売新聞)に、皮膚がんが俎上に乗せられていた。皮膚の病気は軽く思われがちだが、時に重症化し危険な状態になることもあるし、抗がん剤の副作用で皮膚に激しいただれや発疹に加え内臓にも障害を起こす場合もある。特に高齢者では、紫外線に長時間さらされることが原因で皮膚がんになることが多いという。私の湿疹は大丈夫だろうか・・・。

★薬剤に耐性とう不安つきまとう効いてくれよな傘寿の季まで

 〈耐性〉とはがん細胞が抗がん剤に慣れてしまって薬剤の抗がん作用が効かなくなることを指し、別の抗がん剤で対応せざるを得なくなる。もし次の抗がん剤がない場合はお手上げ状態となってしまう。
 幸いにGISTには第2、第3の抗がん剤がある。もしグリベックが効かなくなった場合、次は2008年に承認されたスイスのノバルティスファーマ社のスーテント((スニチニブ)、そしてそれがまた効かなくなった場合には2013年に承認されたドイツのファイザー社のスチバーガ(レゴラフェニブ)となる。グリベックの平均耐性は2年~5年とされているが、3種それぞれ耐性が1年だとしても80歳まで生きられる計算になる。そして、今これまでとは全く違う視点から開発された第4の薬が承認を待っているとのことだが、私にはもうそこまでの必要はないであろう。
 2月4日は《世界がんデー》なのだそうだ。新聞紙上は”がん”の記事に埋め尽くされていた。
 朝日新聞によれば、ノバルティスファーマ社が開発した、がん患者本人の体内から免疫細胞を取り出し遺伝子操作に攻撃力を高めて戻す新たな免疫療法「CARーT細胞療法」(キメラ抗原受容体)の実用化に向け、名古屋大学が急性リンパ性白血病の患者を対象にした臨床研究を厚労省に申請し了承されたという。たった一度の点滴で効果が出るとされ、治療法がなくなって救えなかったがん患者への新たな治療法として期待される。
 また小野薬品が3年前に発売したオプジーボは、免疫細胞療法の薬として進行性肺がんに大きな効果を挙げているとか、中外製薬や第一三共が手術や抗がん剤治療が難しい乳がん患者に対し、分子標的治療薬に従来タイプの抗がん剤を複数組み合わせた抗体薬物複合体(ADC)を申請し承認されている。
 第4の治療法としては、陽子線治療や人体に存在するエクソソーム(メッセージ物質)を利用した新たな免疫療法などが期待されているようだし、抗がん剤の今後主流になってゆくのはゲノム(全遺伝情報)技術といわれる。ゲノム解析で検出された異常に対し、多数の分子標的薬の中から最適のものを選ぶ個別化医療や、体内にある異常なDNA(遺伝子)を正常なDNAに入れ替えてがんの発生を予防するゲノム編集などである。
 いずれも安全性や副作用に加えばか高い治療費などに問題があり、対象になるがんの種類もまだ少ないが、各方面でさまざまながんに使えるような開発も進んでいるようである。がんは早期発見と治療の進歩で「死に直結する病」から「共に生きる病」になりつつある。


★病得て妻との会話弾みおり昼のお茶どき夜(よ)の臥せどきに

 厚労省の調査では、65歳以上の1人暮らしの男性のうち6人に1人は二週間に1回も会話がないとか、高齢男性は孤立リスクが高い。たとえ喧嘩していても毎日傍に話せる相方がおり、急な病変に襲われた際には車で病院に運んでくれる婿や娘がいる私は幸せな人間であろう。自分の手の届かない背中に湿疹薬を塗布することは、正に妻の助けがないと出来ないので否応なく実感する。


★白虎翔(と)び平昌五輪開幕す朝鮮情勢に変化のきざし
★三月前の大けが乗り越え連覇せし羽生の舞に鳥肌の立つ

 2月8日から韓国の平昌で冬季五輪が始まった。それほど興味はなかったが、足首断裂など幾つかの怪我を克服して2連覇を成し遂げたフィギュアスケートの羽生結弦の華麗な舞は圧巻であり、スピードスケート女子の小平奈緒、高木那奈・美帆姉妹の優勝、カーリング・スノーボードなども見応えがあり大いに楽しめた。そして中部短歌会の『短歌』2月号に、「嗚呼、大ショック!」との題で、私がGIST患者であることを詠んだ連作を載せた。


★水ぬるむ ラケットかかえ久々の郷(さと)のコートに友の笑顔が

 中旬になり厳しい寒波も峠を越えてきたようなので、久し振りに長久手市民コートに顔を出す。それまで体力・筋力を落とさないようにと毎日10分程度の体操を朝・昼・晩と続け、その中にテニスのサーブや素振り運動などを加えていたせいか、思った以上にボールをしっかり打てるしミスも少なく楽しめた。時間も1時間弱、無理してボールは追わず休憩もそれなりに取って体力を温存しながらであったが、再びテニスが出来る幸せをかみしめた。
 3月2日のがんセンターの血圧検査では、「順調です」との担当医のお墨付きを得る。肝臓の数値はAST、ALTなどは基準値内に収まり、γーGTは16(基準値51以下)と更に低下していた。CRPは0.04で推移している。たまたま薬局で、がん研究振興財団発行の「がんを防ぐ12か条シリーズ」として『飲酒とがん』というパンフレットを見つけた。
 《酒は百薬の長〉と良く言われるが〈されど万病の元〉と続くのを知っているか。百薬の長といえるのは少量の飲酒までの話で、大量の飲酒は多くのがんや肝硬変、アルコール性肝炎などさまざまな健康障害をもたらすとある。
 救いのある文章もあった。肝臓がんと酒は密接に関係あると思われ勝ちだが、肝臓がんの主な原因はウイルス性感染で、アルコール性のものはそれほど多くない。国際がん研究機関(IARC)のまとめによると、がんの中で飲酒によってなりやすいのは、肝がんよりもむしろ大腸がん・乳がん・喉頭がんなどで、すい臓がんは”おそらく”関連あるということであった。
 その纏めとして《お酒はほどほどに》。そして、健康的に過ごすための1日平均の飲酒量の限度は日本酒なら1合、ビールなら大瓶1本などとある。あるテレビ番組ではほどほどなら認知症にも良いという。「あなたは直ぐ自分の都合のいい方に解釈する。お酒は百害あって一利なし、いい加減に諦めたら・・・」と妻は冷ややかであり、今の私は麦茶の”お茶け”で我慢しているが、月に1、2度、缶ビールの1本ぐらいは良さそうである。
 因みにその12か条とは、①たばこは吸わない ②他人のたばこの煙を出来るだけ避ける、そして③としてお酒はほどほどに、とあり、④バランスの取れた食生活を ⑤塩辛い食品は控えめに ⑥野菜や果物は豊富に ⑦適度の運動を ⑧適切な体重維持・・・と続いている。

★春隣り 間置かず両目充血す副作用はた加齢なりしか


 2月下旬になって左目が急に出血、眼球が真っ赤となった。はせがわ眼科医院(名東区藤が丘)に駆け付けて診てもらうと、「これは単なる加齢によるもので心配することはないですよ」とのこと。これまで院長から「白内障の恐れがある」と言われて、何年も前から老人性白内障治療点眼剤(カリーユニ)をもらっているが、さらに角膜上皮障害治療薬を追加してもらい数日で収まったが、3月中旬に今度は右目が真っ赤に充血した。

★目を閉じて真夜ほたほたと歌を聴く孤愁を払うみゆきの歌を
                 *みゆき=中島みゆき
 妻からは、「パソコンに時代小説に字幕付きの映画なんか目によくないことばかりで、いつかこうなると思っていたわ。これからしばらくは新聞とテレビだけにしなさい」とのお叱りを受ける。
 その妻の勧めもあって、折につれ濡れタオルで湿布したり新聞も見出し中心に斜め読みを心掛け、読書も1回30分分程度で打ち切る。テレビはニュース中心に”聞く”こととし、パソコンは短い時間で切り上げたりDVDの映画鑑賞も2回に分けたりとかと対応する。どうやら元に戻ったのは2週間後の3月末であった。これからはもっと目を大切に扱わねばなるまい。
 23日の夜、息子が大阪に出張した帰りに立ち寄った。昨年12月に見舞に来ると言ってきたが、その時はかなり体調も戻り、わざわざ来るには及ばないと断っていた。24日は「くら寿司」での食事会、そして25日の昼の〈のぞみ〉で安心して守谷の自宅に帰っていった。

★久々のテニスの集い楽しむも肩ひじの張りなかなか引かず

 26日には小田高同期テニス会に日帰りで参加した。昨年9月以来のことで、新幹線の沿線はさくらが満開、富士の白峰もきれいに望まれ気分は爽やかである。コート2面に参加者が9人なのでのんびり休むことが出来なかったが、良きパートナーに恵まれ3勝1敗1引き分けでなんとか面目を施した。
 「カンパーイ!」、いつもの食事会で楽しい一時を過ごす。その折りメンバーには、私がGISTという希少がんで闘病中であることを話した。隣席の佐々木洋さんは、皮膚の小さな傷口から黴菌が侵入して起きる《蜂窩繊炎》なる奇病に罹って10日間入院したようで、「小田高同期WEB通信」に手記を発表している。彼は学年幹事であり非常に広い交友関係の持ち主だが、同期の仲間たちの何人かも何らかの病気で苦しんでいるようであった。
 翌27日の午後は、長久手の田園地帯にある日帰りの湯「ござらっせ温泉」に向かう。近くの田んぼの畔でつくしを摘んだあと、ゆったりと湯に浸って疲れを取ったつもりだったが脚や肘の張りが引いたのは10日ほど後であった。


★老い昏(く)れば初夏の狭庭(さにわ)の粧(よそお)いにライラック植え甘き香を愛(め)ず

 4月9日(月)朝、小学校4年生となった孫娘が元気に登校して行った。すでに身長140㌢、私や両親に似合わず理数系が得意な健康優良児で、このまますくすく育っていってくれたらと願っている。
 我家にはささやかな庭があり、春先のこの時期は,隣家の桜の大樹を借景にレンギョウ、ボケ、土佐みずきなどが彩りを増す。妻は庭いじりが大好きで1年中何らかの花を咲かせている。昨秋の台風で皇帝ダリアがぽっきり折れてしまったので、ライラックと高山植物のミヤマオダマキを植えた。かって老木となったライラックを切り倒しており、ミヤマオダマキは私が雑草と見誤って抜き捨ててしまった経緯がある。今年はバラやツツジと競演してくれそうである。
 3月中旬から下旬にかけて湿疹が急激に消えていったし、瞼の重さも感じられなくなってきた。薬剤の塗布はそれなりに続けてきたけれど、グリベックが私の体に適応してきたせいかもしれない。

★足腰の筋力低下防がんとロコモ運動朝な夕なに

 私にはロコモ(ロコモティブシンドローム=運動器症候群)の心配が高そうなので、朝夕の10分体操の中にそのロコモや持病の膝痛の予防に効くというスクワットや片脚立ち,などのストレッチ運動を付け加え、近くにある杁ヶ池公園の周回コースでのスロージョギングもぼちぼち再開する。《適度な運動》はがん患者にとって多くの良い効果があり、生活の質を高め再発を防ぐようだ。
 4月23日、赤ヘル・広島カープの全盛期に大活躍した衣笠祥雄氏が上行結腸がんで亡くなった。享年71歳、ほんの1週間前まで野球解説をしていたが、鉄人もがんには克てなかったようだ。私は子どもの頃からの大のカープファン、冥福を祈る。私がすい臓のすぐ脇の特異な場所に出来た肉腫になったのは不幸中の幸いといえるのかも知れない。GISTにはステージという概念はないが、主治医の杉山先生によると10月のCT診断ではステージⅣぐらいに進んでいたという。『週刊現代』(4/14号)によると、ステージⅣと診断された70代男性の5年生存率は、すい臓がんで1.0%、肝臓がんが1.2%、皮膚がんに至っては0.0%といわれる。
 また今回のGISTの治療において、私は日本の公的医療制度(外来患者向け高額医療自己限度額制度)に大変な恩恵を受けている。この制度がなければ年金生活の私はグリべックのような高価な抗がん剤治療を続けることは出来ず、野垂れ死にせざるを得なかったであろう。これだけは日本に生まれて良かったとつくづく感謝している。
 しばらく死神のお迎えはなさそうなので、20年間使い込んでガタがきている入歯を新しくする。そして、近くの名古屋脳神経外科クリニックで、以前から1度は診断してもらおうと思っていた頭部検査を、最新鋭の超高磁場3ステラMRI(磁気共鳴断層装置)により診断を受ける。「小さな隠れ脳梗塞の翳があるが、お年寄りには多く見つかるもので何ら心配要りません」とのことで、脳本体や血管に異常もなく認知症の恐れは今のところ大丈夫のようである。

★新人王早や決まりかな大谷の剛腕豪打に〈イッツ翔タイム!〉

 大リーグのエンジェルスに入団した大谷翔平が、開幕早々投打の二刀流で大活躍。昨年中学生棋士としてプロデビューした隣り町(瀬戸市)の藤井聡太少年は29連勝を達成、羽生義治竜王を破ったりして六段に昇格(更に5月18日に史上最年少記録で早や七段へ)、テニスの大坂なおみ、卓球の張本智和・伊藤美誠、水泳の池江璃花子、マラソンでも設楽悠太などニュースターも続々と生れてきている。
 平成の御世は来年4月までと決定した。厳冬から一転、今夏は各地で40度超えの日が頻発しそうな気がするし、各種スキャンダルで収拾のつかない政治や北朝鮮の非核化をめぐる動きも急展開を見せ始めた。2018年は大きな変換の年になるような気がする。今後日本は、少子高齢化と低成長を迎える中、地球環境を見据えた成熟・共生の世界へ新たな視点で進む必要があろう。


★立山の雪のじゅうたん腰下ろし絶景おかずに握り飯食(た)ぶ

 4月中旬(18~19日)、熊野古道巡りでもよく利用した近畿日本ツーリスト主催のバスツアーに参加する。1日目は山桜・山桃・梨などの花が満開の中央道を北上、駒ケ根の名刹光前寺、伊那の高遠城址、安曇野などを巡って白馬温泉に1泊、翌日は、扇沢駅~黒部ダム~黒部平~大観峰~室堂~美女平~立山駅という念願の黒部立山アルペンルートを踏破した。終日雲一つない快晴に恵まれ大感激である。「雪の大谷」は開通したばかりで17㍍もの高さであった。
 白馬は長野五輪(1998年)のメイン会場だった場所であり、定年直後の初夏に妻との”長野ぶらぶらドライブ”で宿泊、ジャンプ台の最上部に登ってその高さと急勾配に震えあがった思い出の場所だが、今回は足弱の妻は同行せず「御一人様」である。たまたまその白馬のホテルの夕食のとき、隣り合わせとなった人が昨秋に余命1年と宣告されたすい臓がんの人と判り、2日目は〈同病相憐れむ〉形となった。 彼は、仕事や趣味等で世界諸国を飛び回ったようで、まだこれまで縁のなかったヴェトナムに行くのが次の目標とのこと私は来春、太平洋フェリーで北海道から仙台へのんびり旅するつもりなので、お互いの健闘を約して別れた。

★学友の富士写真展いまさらに四季の彩り豊かさを知る

  そして5月2日の定期診断も特に問題なく一安心――。CRPは0.01、白血球が少し増えたとの朗報もあり、体重は高止まり(55㎏)のままである。3日には息子が孫たちを連れてやってきた。4日は杁ヶ池公園コートで小学校6年の上の孫とテニスを楽しみ(長久手の仲間も加わる)、5日は名古屋グランパスの試合に豊田スタジアムまで車で送って行ったりした。孫は最近週2回テニス教室に通うようになって急速の上達しており、1年後には追い越されそうである。
 この28日には、小田原に行って高校同期テニス会を楽しんだあと(今回は13人という大盛況)、翌朝は《11期WEB》で最近何かと話題の「茶のまある」なる茶房を訪い、市川陸雄さんの四季折々の美しい富士の写真展を観てまわった。
 その後実家の善榮寺に向かい、両親の墓参りしてから報徳保育園でまだ現役の弟の元気な様子を覗き、今は住職を引退して境内の一角に閑かに生活している兄夫婦と昼食を取りながら懇談して夕方帰宅した。その折「茶のまある」のことを話したら、「ああ宝安寺か、望月・・郁文だったな。よく知っているよ」。共に曹洞宗の寺院なので付き合いがそれなりにあったようである。


★現世(うつしよ)に未練なけれど待てしばし金婚の春きみと言祝(ことほ)ぎ

 10年ほど前、私は名古屋市の真ん中・池下(千種区)に現代風陵墓を購入して既に生前戒名の授与も受けている。いざとなれば今お世話になっているがんセンターに入院して、緩和ケア病棟で苦痛をなるべく少なくしてもらい、長い間苦楽を共にした妻に感謝しつつ、さっぱりとあの世へ旅立つつもりである。
 仏教的思想に〈定命)という言葉がある。人には生まれた時から寿命は定まっており、どうあがいてもその時が来れば来世へ行くことになる。私の〈定命〉のカウントダウンはすでに始まっているのかも知れないが、金婚式まであと1年弱、傘寿まで1年半、そして2年後には東京オリンピックもあるではないか。それまでひと踏ん張りして元気に生き抜いてゆこう!


★残り世を〈同行(どうぎょう)〉として歩まんか希なるものとの奇なる遭遇

                                    2018年5月31日 記


黒部平(バックは立山連峰3015米) 雪の大谷

 あとがき
 昨秋、私は体調を崩してCT検査を受けGISTという希少がんに罹っていることが判明した。〈一病息災〉とは言えそうもない厄介な病気で、余命をずっと付き合ってゆかなければならないことになった。このGISTとの半年に亘る闘病記を、世間の動きや俄か勉強で知り得たがん医療や健康などの情報を交え、私の趣味である短歌で潤いをつけてこの小冊子に纏めてみた。私としては遺録のつもりであるが、読まれた方に何か少しでも参考になれたら望外の喜びである。                2018年6月5日

 



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