ちょっと発表


小田原紀行 ー2018秋ー

2018/12/10  6組  榮 憲道

●久々に高校同期会行かんかな元気かき寄せ新幹線に
 11月も半ばを過ぎた19日、4・6組合同クラス会が開かれるということで私は勇んで新幹線に乗り込んだ。今回は11月15日から30日まで、月村6組幹事の発案、太田④佐々木③11期常任幹事の肝入り、市川陸雄⑥実行委員長の下で《第2回小田高11期生”個”展》が開催されており、それに合わせて合同クラス会が実現したようである。
 午後3時集合となっていたが、私は2時過ぎ、出展した冊子の補充分(持ち帰り可のため)を抱えて「茶のまある」に入った。既に月村さん、市川さんが陣取っており、すぐ続いて町田市の西川④さんがやってきた。遠くに住んでいる人ほど早くやって来るようである。先ずはバラエティ豊かな出品を一通り見て回った。定番の絵画や写真に魚拓・川柳などが加わり、日本百名山を仲良く完登した田淵③さん夫妻の記録写真や佐々木さんの自作カレンダーなど50件の出展物が展示スペースにびっしり。城内高校同期生からも出品されており、何と瀬戸(旧姓相田)松子さんの本格的な俳句が10句ほど、解説・写真入りで展示されてあった。彼女は私と同じ栢山駅から小田急線で早稲田大学に仲良く通った学友であり、その中の何句かをメモに取る。
 時間と共にクラス会参加のメンバーが次々到着した。
●ふるさとに多士済々の友がいて〈個展〉それぞれ由来を語る

 3時過ぎ、本日の参加者全員(16人)が揃ったところで、”個”展に出品した人が順番に出品物に関する解説・説明。私も手作りの冊子『がんがらがんの記』と『三つのふるさと』の簡単な説明を行った。後になって、このような時間をもらえるなら”簡単製本機”を持ち込んで実演すればもっと興味を引いてもらえ

たかなと後悔した。そして4時過ぎ、小雨のなかを太田さんと談笑しながら懇親会場である小田原駅近くの割烹〈うおがし〉に移動する。
 月村さんの開会の挨拶のあと、遠方からとのことで私が乾杯の音頭を取らされ何だか少ししゃべったが、とにかくにぎやかな宴が始まった。挨拶タイムでは、先ず瀬戸章嗣⑥さんが最近始めた俳句のことを滔々と語った。髭を蓄え村夫子然としてすでに立派な俳人の風格である。小学校1年時の国語や音楽の教科書を出品した植田研二④さんでは、戦後の混沌とした当時の話で盛り上がる。そして、私の左隣りで8組から参加された作家・植田武二さんには、展示された著書『植田又兵衛の生涯』、曾祖父の生き様を活写した庶民史として関心が高く質問が多く集まった。また右隣りは、私と同じがんサバイバーでありながら参加者随一の酒豪の山崎④さん、今春、描きたい絵を求めに飛鳥Ⅱ号の3か月に亘る世界一周クルーズに行かれたようだが、「このクルーズから帰ったら結婚する人と離婚する人が多い」という言葉に妙に納得する。《11期WEB》にその旅行記の連載が始まったので、これからどんなエピソードが載るか楽しみである。
 解散後、その日は小田原に泊まり、翌日は沼津に住む大学の親友の車で伊豆長岡の日帰り温泉の湯に浸かり,食事をしながら歓談して三島駅で別れた。

●日置かずに同期テニス会開かれて心浮き立つ小田原の旅
 翌週の26日は《同期テニス例会》があった。
 私は前日の日曜日の朝9時に家を出て新幹線で静岡まで行き、そこから在来線で沼津に、さらに御殿場線に乗り換えて”母のふるさと”谷峨に向かった。 
 箱根の最北端の山懐にある圓通寺は母の生家であるが、叔母がこの11月初旬に97歳で大往生を遂げておりその遺影に手を合わせる。そして現在も住職のいとこ(私と同い年で山崎泰さんと清水小・中の同期生)としばらく語り合った。叔母は夏場に体調を崩して入院、やや回復したので家に戻り療養していた。そのお昼時には家族とまだ話も出来ていたが、来客のためちょっと皆が目を離した間に亡くなっていたという。私もそうありたいな・・・。
 日曜日とあってハイカーで一杯の御殿場線の電車にまた乗って松田に出て、栢山の実家(善榮寺)では私の両親の墓参を済ます。兄夫婦は法要で出かけて留守のため、隣りの弟宅に寄って近況を語り合った。


●ふるさとに懐かしき女(ひと)と出会いたり五十年とう時空超え来て 
 翌日の朝10時、小田原駅で佐々木さんと待ち合せ小田急改札出口で瀬戸松子さんを待った。私自身なぜこんな”組合せ”が出来たのか首を傾げていたが、今年5月の小田高ホームカミングデーの11期講演会に、彼女が何人かの城内高校の同期生と共に出席して佐々木さんと懇意になったようで、彼女が私と親しかったことを知った佐々木さんがわざわざこのような機会を設けてくれたようで、50余年振りの再会である。「榮さんも変わったわね。今では道で会ってもわからないわ」。
 再び《茶のまある》を訪問、佐々木さんの解説でもう一度じっくりと”個展”を回る。一段落したところで、19日に手帳に書きつけた瀬戸さんの数句のついての〈私の感想記〉を彼女に手渡す。


◎一村尽きて道あり梨の花

その中でこの句が一番好きであるとしたが、彼女が用意して渡してくれた角川文庫刊『俳句歳時記』(春)の”梨の花”の項に、高浜虚子、水原秋櫻子という高名な俳人と並んで瀬戸さんのこの句が載っているではないか。すでに彼女は俳壇ではかなりの存在であることが分かると同時に、私の鑑賞眼もまんざらではないなと嬉しくなった。


●もぎたての梨は届けりふるさとの白き花咲く野道浮かび来
 瀬戸さんの実家は梨農家、そして私も『三つのふるさと』に巻頭歌としてこんな歌を詠っているが、大井村と桜井村、酒匂川を挟んで隣り部落同士だった二人の古里のこと、大学時代の思い出などに花が咲いた。3人で昼食を取る。佐々木さんが折に触れ日本一美味くて安いランチ(300円)と絶賛しているが初めて味わった。この日の献立は、愛媛の芋炊き・蓮根とベーコンの塩炒め・海藻サラダ・キャベツの紫蘇合え・白玉入り郷土汁・おかかおむすび、で、確かに我々年配者にぴったりの優しい味付けであった。
 瀬戸松子さんのご主人は昨年亡くなられているが、山北町出身の東大生ということで同姓の瀬戸章嗣さん、大学ゼミの先輩ということで佐々木さんとは繋がりがあった。またテニス大好き人間で、福島勤務時代はそれこそテニス浸けだったそうである。章嗣さんが懇親会の席上、最近は俳句に凝っており瀬戸松子さんの俳句のことを話していたので、「話材になるかな」と11期WEBに載せていた「喜寿の俳句入門報告」をアウトプットして渡したところ、大変興味深く見入っていた。
 正午ごろ、テニス仲間の府川さん夫妻がわざわざのお迎えである。その帰り際、この宝安寺社会事業部を立ち上げた望月郁文③さんとばったり。宝安寺は我家と同じ曹洞宗であり、保育園も経営している。
「兄さんと弟さんは良く知っているが、同期のあなたとは初めてだな」。
 不覚にも愛猫に手を噛まれて治療中でこれから医者に行くという瀬戸さんを小田原駅に送り、富水の小田原テニスガーデンに向かう。

●小春日やテニス仲間のなかに入り病(やまい)忘れてボール追いかく
 同期テニス例会は数年前から辻秀志③さん幹事で隔月に行われており、佐々木さん、今道④さん、杉山剛⑤さんや奥さん連、11期同期生以外にも同年配の斉藤さん夫婦なども加わり和気あいあいに楽しんできた。しかし私は、7月例会は猛暑と6月から変わった抗がん剤の副作用による体調不良で欠席、9月例会は無情の雨で中止になって半年ぶりの参加であり、体力的にいつまでテニスが出来るか知れないだけに好天を願っていたが、この日は風もおだやかで絶好のテニス日和であった。参加者は新規の人も加わり13人と盛況である。体力的に男性陣の中ではきつかろうと辻さんが気を遣ってくれ、女性陣の中に入れてもらった。これなら気楽に出来ると感謝したが、とんでもない見当違いであった。皆さん揃ってコントロール抜群でミスは少ない。〈決まった〉と思ったドロップショットも難なく拾われて逆襲される、ロブを上げればあっさり打ち込まれ,散々たる結果となった。
 途中で腎臓博士・杉山さんが顔を出す。肉離れ(筋膜剥離)ということで残念ながらテニスが出来ず実家の新鮮レモンの差し入れである。私は抗がん剤の副作用の中で、高血圧と並び1番の悩みである白血球減少に対する対策を聞いてみたが、これという妙薬はなさそうで「きのこ類を多めに摂り、主治医の指示を守って生活を」とのことであった。
 そして恒例の《バーミアン》での夕食会で盛り上がり、今道さんの車で小田原駅まで送ってもらい、6時半の新幹線に飛び乗った。


●悪病にオリンピックは諦めたワールドラグビ―せめて観てから
 二度に亘る楽しい小田原行、新幹線の中ではいろいろ考えた。
 佐々木さんが代表幹事である限り来年に第3回”個”展が開かれるであろうし、月村さんが6組幹事である限り合同クラス会は開かれるであろう。次からは城内高校の同期生も併せた”個”展を開き、クラス会も「”個”展を囲む会」とでも名称を変えてやったらどうだろうかとか(幹事が大変かな)、私はこれまで”来年の桜を見届けたら未練なくあの世に行こう”と諦観していたが、もし元気にこれからの1年を生き抜けたら、次の”個”展には何を出そうか、あれこれ思案するようになってしまった。テニス例会と並んで私の生き甲斐になりそうであり、こんな企画を発案推進した月村さんには、私もいろいろお世話になった。大いに感謝せねばなるまい。そして何よりも佐々木さんに・・・。


●学友との一期一会の旅了えて〈また会う日まで〉の気持ち高まる
 懇親会の席上、渋谷⑥さんが「俺はこれまで健康診断なんて受けたこともないし、病気に罹ったこともないから大丈夫」と胸を張っていたが、これは別格の人、やはり普通の人には早期発見・早期治療が大切であろう。私も2年ごとのCT検査をつい怠けて3年以上せずにいて、病体が分かったときはすでにがん細胞が転移していた。手術は出来ず、抗がん剤の副作用で体調不良、そして明日死ぬかもしれぬ不安におののきながらの日々を過ごしている。〈後悔後に立たず〉ではいけない、定期的検診は絶対必要であると考える。
 大変長い文章になってしまったが、最後に一言。今は人生100年時代である。皆さん元気に傘寿を迎え、米寿・卒寿・白寿というまだまだの余生を十分楽しんで、11期生の会を続け《”個”展》を盛り立てていってください。
                        2018年12月1日
(追記)

 このエッセイ、充分な確認もせずバタバタと書きました。間違った記述もあるかも知れませんが、その点はご容赦ください。
 そして、今日から師走、直ぐにお正月です。良いお年をお迎えください。


                     以  上