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60歳の新入社員

2019.12.31

4組   今道周雄

<事の始め>
 もう20年も前の話だが、私は60歳の時(2000年4月)に新入社員として研修を受けることになった。場所は米国カリフォルニア州パロアルト市である。まずはなぜそのような羽目になったのか、経緯から話そう。


<ドリーム・トレイン・インターネット社の立上げ>
 1993年に米国副大統領であったアル・ゴア氏が「インフォメーション・スーパーハイウエイ」という構想を発表した。これがインターネットの始まりである。当時三菱電機で社内通信ネットワーク建設に携わっていた私は大いに刺激を受け、何とかインターネットビジネスに進出したいと考えた。
 社内にも同じような意見を持つ人がいて、その人たちの支援を受けながら、1995年に三菱電機の孫会社として「株式会社ドリーム・トレイン・インターネット(通称DTI)」を起業した。
社長(私)課長、新人女子1名、の3人がスタートアップ・メンバーである。残念ながら私は当時インターネットに関する知識は皆無だった。参考書すらまともなものはなかった時代である。致し方なくSRIコンサルティングにインターネットシステム立上げの指導をお願いした。


<SRIとSRIコンサルティング>
 SRIとはStanford Research Institute  の頭文字である。もとはスタンフォード大学の付属研究所でStanford Research Instituteと称していたが、1960年代にベトナム戦争たけなわのころ、軍事関係の研究をしていたために学生の反戦運動に会い、ついに分離独立することになった。その時からSRI はSRI Internationalと名前をかえている、SRIはインターネットの研究にかかわりが深く、最初のインターネットはSRIとUCLAをつなぐ回線として始まった。
SRIコンサルティングはSRIの子会社という位置づけにあり、SRI と共に多くのインターネット技術者を抱えていた。
 DTIの面倒を見てくれた人は、SRIコンサルティングの、Ko Suzukiという米国に帰化した日本人であった。終戦直後に米国にわたり、苦学をしてワシントン大学を出た後、デイズニーの情報処理部門に勤めたが、その後SRIコンサルティングへ入ったという経歴をもつ。
彼は私よりもよほど日本人的(道徳的、礼節、義理人情などの面)で、侍に英語を喋らせたらこうなるのでは、と思うほどであった。
 DTIはKoの助けを借りて順調に伸び、3人で始めた会社が1999年度には37億円の売り上げを上げるまでになった。
 諸々の事情から、私は2000年4月でDTIをやめる決心をして、関係者に話したところ、いくつかの外資系会社からオファーがあり、最も熱心だったのがKo Suzukiであった。そのころSRIはAtomic Tangerine(以後ATと略す)というベンチャーをスピンオフして、日本にも子会社を作ろうとしていたのである。

<Atomic Tangerineへ入社>
 Koの熱心な勧めでATに日本支社長として入社することに決め、冒頭に述べた新入社員教育に参加することになった。
教育がおこなわれるパロアルト市はサンフランシスコから南東に広がるサンフランシスコ湾岸にそって走るエルカミーノ道路を、空港から凡そ30Kmほど行ったところにある。サンフランシスコからサンノゼ市までの湾岸一帯がいわゆるシリコンバレーで、スタンフォード、レッドウッド、パロアルト、マウンテンビュー、サニーベール、などの小さいながら最先端企業や大学が居を構える町がある。

 スタンフォード大学は多くのベンチャー企業をスピンオフした実績があり、新しい技術を開発すると、その技術を開発した大学教授や学生が、資金を集めて起業することがあたりまえになっている。
米国の新しい会社の作り方を真近で見て、自分がDTIを作った時の経験と比べると、米国には起業し易い環境が整っていると感じた。また、米国だからこそのむずかしさがあるとも思った。
 新入社員教育に集まったメンバはおよそ40人ほどであった。年齢は20代から私の60代まで、国籍はロシア、中国、台湾、日本、米国、と様々な顔ぶれであった。これらの人々の価値観、行動様式、思考方法も様々であるためか、教育の中身はどちらかといえばチームワークつくりに重点が置かれていた。教育内容は凡そ次の様であった。
ー エクササイズ
ー メンタルトレーニング
ーボランティア
ーマナー講座
<エクササイズ>とは文字通り「運動」の授業である。ただし、頭と体を使ってチームワークづくりをするように設計されている。これは社外のインストラクタが指導した。
例1:ボール運び 二人が二本の棒で直径1mのボールを挟み、四角い砂場のヘリを
    歩いて一周する。(角をうまく回れるかどうかがカギ)
例2:平均台渡り 10人程が平均台に上がり、一番端の人が体面して反対の端まで
   移動するのを、みんなで落ちないようにサポートする。全員が順番に移動し
    終われば成功である。
   (足を立っている人の脚の隙間に入れて移動するので、女性は大変)
例2:目隠し競争:二人が対になり、一人に目隠しをして、もう一人が口頭で進路を
    指示し、障害物を避けながら目的地にたどり着く。障害物に触れると失格する。
   (口頭の指示がどれだけ正確にできるかが決め手。)
<メンタルトレーニング>では20人が1チームとなり1.5㎡x1㎡のカードボード2枚、
30㎝の竹ひご棒10本、粘着テープ、ハサミ、カッター、ウオーキートーキー2台を与えられる。
命題は30分で橋梁模型を作ることである。
 最初の15分で、どんな橋梁模型を作るかをチーム全体で相談する。次に10人づつに別れて別々の部屋に入り、橋づくりをする。作業の間には2回だけウオーキートーキーで相談することが許される。2チームが競うので、みな真剣である。
 私のチームのメンバは始めから一斉に意見を述べ始め、てんやわんやの大騒ぎになった。私は話すのが得意ではないから傍聴する形になったが、5分ほどでこれは話が纏まらないと思い、ロッド・シャオという20代の若者に声をかけ、二人で橋の設計図づくりを始めた。10分ぐらいたったところでアルという中年男性がやってきて、話がまとまらないから何とか仕切ってくれという。
 そこで設計図を見せて説明し、作業手順を相談した。しかし短時間でまとめたスケッチなので、分かれて作業すると決め切れていない部分が出て来る。やはりウオーキートーキーが必要だった。
 私達のチームの橋はロンドン橋の様に、両端に橋塔がある凝ったなものだったが、相手チームの橋はカードボードを丸めて作った2本の円筒脚柱に橋板を渡した単純な作りだった。
なるほどこういうやり方もあるのだなと感心した。
 <ボランティア>では各人が、それぞれの特技を生かしてホームページ作りを行った。ホームページは”Meals on Wheels”という福祉団体のもので、社会奉仕活動としてAtomic Tangerine社が寄付するのだそうだ。これにはいたく感心した。新入社員教育が社会奉仕活動につながっている、という仕組みをAT社の幹部が考えたのだろうか、それとも米国社会に根付いた習慣なのか。
<マナー講座>は、やはり社外の女性講師によっておこなわれた。AMLグループと言う名前のエチケットと作法を教える専門の会社から来た講師である。テキストを2冊与えられたが、その1冊の冒頭に次の様な導入文が書かれていた。
「我々は外見と振る舞いによって判断される。今日の多くの雇用者は、採用者がよい印象を持たれる様な食事作法を身につけているかどうかを確かめたいと思っている。」
 インターネット社会ではTシャツがスーツに取って代わり、目上の人にもファーストネームで呼びかけるのが当たり前だと思っていたら、ナイフとフォークの使い方を教えられたのには面食らった。更に、握手の方法、上司への手土産の選び方、外部から批判を受けたときの対処法方、忙しい人を無闇に会議に引っ張り出さない事、など微に入り細に渡って教えられた。
 米国社会の難しさは、会社が従業員を募集した時に、個人の持つ価値観がさなざまであるため、どれだけ短時間で従業員が共通の価値観をもてるようになるか、という点であろう。日本人と違い自己主張が強く、簡単には妥協しない人々が多いので、上に立つ人はよほど力量がないと勤まらないと感じた。


<振り返って見ると>
 20年経って当時を振り返って見ると、改めて実に貴重な体験だったと思う。ベンチャ企業の人集め、教育、その後の経営に関わり、自分の体験と照らし合わせて見ることができたからである。
 米国の技術者の専門領域の能力は、日本人技術者に比べて概して高いように感じる。また、自分自身の能力評価が出来ていると思われる。転職を繰り返す事が多く、自分の能力を売り込むには、何が自分の特徴であるかを把握しておかなければならないからだろう。
であるから会社が必要とする能力だけを習得して、事足れりとしている日本人は海外との競争には勝てなくなる。
 昨今日本の人口の減少が激しく、対策を求める声がつよい。遠からず、多くの外国人技術者を受け入れなければならない日がくるだろうが、「価値観共有」の為の敎育が必ずや必要となる。語学教育やスキル教育だけでは不十分で、「価値観共有」のための敎育が行えるような環境を整える必要がある。


                                   以上

 



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