ちょっと発表 HOME


 和歌をつくる

2020.05.20

4組   今道周雄

  榮さんのお誘いをうけて、和歌を作ろうと手当り次第に、和歌の本を読み始めた。なにしろまったく素養がないので、先人の良い歌をたくさん読めば役に立つだろうと思い、手始めに伊勢物語に手をつけた。
<伊勢物語>
伊勢物語は平安時代に編まれた(物語というよりは歌集に近い)書物で、 「昔、男ありける。」と言う出だしの短文と和歌で一節が構成されている。
多くは男女の間で取り交わされた恋歌だが、自分の境遇を歌ったものもある。
[七]
京都に居られなくなり、東国へ行く途中、伊勢・尾張の間の海岸を行く途中浪が白立つのをみて
  いとどしく過ぎ行くかたの恋しきに羨ましくも帰る浪かな
[三十七]
むかし、男、色好みなりける女に逢えりけり、後ろめたくや思ひけむ、
  われならで下紐解くなあさがほの夕かげ待たぬ花にはありとも
かえし、
  ふたりして結びし紐をひとりしてあひ見るまでは解かじとぞおもう
(なんと色っぽい歌であることか)

たまたま、大和物語が同じ冊子なので読んでみたが、伊勢物語に比べると恋歌よりも俗世の悩みを歌ったものが多い。

<大和物語>
右京太夫宗于君、三郎にあたりける人、博奕をして親にも兄弟にも憎まれければ、「足のむかふ方へ行かむ」とて他国へ行きける。さて思ひける友だちの許へ、詠みて遣背たり、
  しおりして行く旅なれどかりそめの命しらねば帰りしもせじ

 平安時代では古過ぎて参考にならんかと思い、一気に大正のアララギ派へと転進した。この時代は浪漫的な傾向が強く、自然をうたって良いものがある。

<林泉集>
  新芽立つ谷間あさけれ大仏にゆふさりきたる眉間のひかり

<ふゆくさ>
  白砂に清き水引き植ゑならぶわさび茂りて春ふけにけり

 古来、伊勢物語にあるように、歌は人の間で交わされる物だったのだろう。だから、伊勢物語の歌は多くが生々しく心の内を語る歌が多い。それが大正の浪漫派では一人語りになり、自然描写をするものが増えてきたようだ。客間的な叙述になり、美しくはあっても情熱を感じない。 心を揺さぶるような、激しい歌は、切迫した状況でなければ生まれないのだろう。
 その点「きけわだつみのこえ」に収録されている歌には、涙無くしては読むことが出来ないものが多い。
<「きけわだつみのこえ」より>
馬場充貴 仏印ナトラン沖で戦死 二十三歳
   ただ一葉葉書に何はあらねども我読み読みぬ母の手なれば

 
生駒 隆 花蓮港北飛行場で戦死 二十三歳
  ふるさとの背戸に匂わん野いばらの白き花がきいまもつづくや


蜂谷博史 硫黄島で戦死 二十二歳
  爆音を壕中にして歌つくるあわれ吾が春今つきんとす


木村久夫 シンガポール・チャンギー刑務所にて戦犯刑死 二十八歳
  音もなく我より去りしものなれど書きて偲びぬ明日という字を

「きけわだつみのこえ」を出版した日本戦没学生記念会は未だに存続しているが、是非若くして死なねばならなかった多くの学生の嘆きを後世に伝えて欲しい。うたを引用するに当たり、許可を得ようとメールしたが宛先不明で戻ってきてしまった事をお断りしておく。
私ごときが戯れに歌をつくるなどと言って、此処に引用することは憚れるのだが、皆さんにもう一度「きけわだつみのこえ」を思い出して頂くよすがになればと思い、あえて引用させていただいた。


                                      以上



          1つ前のページへ