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仮想と現実の狭間

2017.05.24

4組   今道周雄
  1. はじめに

 OHCDで11期の皆様に何かお話をしなければならない羽目になり、最も容易な自分語りをテーマに選ぶ事にしました。3/4世紀も生きていると半ば歴史そのものになっていますから、話の種は尽きません。ただ、それが聞いて頂く方に取って面白いかどうかが心配です。

  1. 資本主義と認知資本主義

 かつて共産主義と資本主義という2大イデオロギーが対立していました。その一方である共産主義が崩れさっておよそ1/4世紀が経ち、漸く新たな資本主義への対抗馬が現れたかのように思われます。それが「認知資本主義」とよばれるもので、経済を動かす力は物質ではなく、非物質的なもの、つまり、知識、情報、認知能力といった要素が重要であり、それを作り出すには肉体労働は不要となる、という思想です。このような状況を生み出す梃となったのがインターネットです。タイトルに掲げた「仮想」とは情報化が進み「物」が「情報」で置き換えられるような状況を意味します。最たる仮想化の例は「貨幣」です。物ぶつ交換から硬貨、紙幣、ICカード、ビットコインと「仮想化」を遂げてきました。

 私は就職と同時に鉄鋼製造業の圧延機コンピュータ制御を担当し、実体経済の典型である製造業で25年間働きました。それから時代の趨勢におされ、事務用コンピュータや通信、そしてインターネット・サービスプロバイダへと転身しました。このように資本主義から認知資本主義への変化を、職業を通じて体験してきました。今現在はソーシャル・キャピタル・デザインというバーチャル・カンパニーで働きながら、道路等公共設備の点検に使うツールを開発すると言うまさに「仮想」と「現実」の狭間にいます。なぜ、こんな状況にたどり着いたのか、昔話を交えながらお話ししましょう。

3. 実体経済の時代(1963—1993年)  

 此の年代区分は私が勝手につけたものであまり根拠はありませんが、1993年は米国のアルゴア副大統領がインターネット開発を宣言したときです。 私は1963年に三菱電機へ入社し、すぐに圧延機制御の仕事を担当しました。日本の鉄鋼業は終戦後急速に立ち直り、1973年に1.2億トンに達したもののその後は徐々に下がり続け、5大高炉メーカは合併により現在は3社となってしまいました。  1995年には32.4%であった日本のサービス産業従事者が2006年には42.8%に、そして2012年には7割近くとなっています。これを見ると1993年頃を境に急速に日本の産業構造が変わったことがわかります。此の世の中の動きにつれ、私の仕事も通信ネットワークの建設からインターネット・サービス・プロバイダ(ISP)へと変わってゆきました。

4. ネットワーク時代(1993—2011年)  

 私は1993年に三菱電機子会社へ移り、FR網とかATM網とか呼ばれるパケット社内通信網を建設しました。当時は通信会社の戦国時代で、米国では企業買収が相次いでいました。私が建設したFR網を海外と接続するためにWilltelという会社と契約をしたのですが、1年も立たぬうちにWilltelはMCIに買収され、MCIはさらにWorldComに買収されるといった有様でした。WorldComの会長はBerni Ebbersという凄腕のビジネスマンでしたが、2002年に4兆7000億円の負債を抱えて倒産し、現在は25年の刑で服役中です。  私は1995年にISPを立ち上げようと決心し、三菱電機から課長級1名、女子新入社員1名を出してもらい、ドリーム・トレイン・インターネット(DTI)という会社を始めました。当時ISPは雨後の筍の様にあちらこちらで設立され、顧客獲得で激しく競り合っていましたが、幸いにも中堅ISPとしてユーザから好評をいただき、1999年のnetn@vi誌のユーザ投票で1位になる事が出来ました。売り上げも38億円に達したのです。  初期のインターネット通信はユーザへの接続を電話回線で行っていたため、通信速度が遅く実用上は問題がありました。2001年はブロードバンド元年と呼ばれるように、此の年にADSL通信が本格化し、いよいよインターネットが個人にも企業にも本格的に使われるようになりました。

5. 仮想化時代(2012-現在) 

 4年あまりに渡るISP立ち上げで疲れ果て、2000年3月にDTIを止める事にしたのですが、縁があって米国SRI International のスピンオフ企業であるAtomic Tangerineの日本支社長に就任しました。SRIは元スタンフォード大学の研究所だったのですが、1960 年代のベトナム反戦学生運動により、軍事研究をしていたSRIは分離され独立シンクタンクとなりました。  

かくして私は60歳にして米国の新入社員教育をシリコンバレーで受ける事になりました。これは得難い経験で、様々な人種と様々な年齢そして経験を持った40人をどのように教育するかは、さぞ大変であっただろうと思います。しかし、それが米国ではごく当たり前に行われているのですから驚きです。  スピンオフは副産物と言う意味があるのですが、SRIではある核となる技術が出来ると、それを事業化するために研究者を中心にしたスピンオフ企業を設立します。此の会社に将来性があれば高く売れ、どんどん成長してゆきます。Siriはその一例です。  Atomic Tangerineも2年後に売られ、名前を変えました。その後2年勤めましたが、2004年に独立コンサルタントになりました。その間にインターネットはどんどんと進化し、オフイスを持たない、いわゆるバーチャル・カンパニーや「初音ミク」の様なバーチャル歌手が現れました。

 しかし、インターネットが社会に最も衝撃を与えたのはオーストラリア人のジュリアン・アサーンジュが始めた「ウイキリークス」です。  此の告発サイトはイラク戦争に於ける捕虜虐待、民間人殺害、などを暴き、さらにもとCIA職員であるエドワード・スノーデンは数十万点に及ぶ米国の機密文書を暴きました。此の中には横田基地に日本が660万ドルを負担して諜報センタを建設した事、沖縄キャンプハンセンに5億ドルを負担してSTAKE・CLAIMと呼ばれハワイから遠隔操作できる盗聴システムを建設した事、2013年にはNSAが日本にKEYSCOREと呼ばれるメール解読システムを供与した事などが書かれた文書が含まれていました。 このようにしてインターネットは良くも悪くも、社会のインフラとしての位置づけを獲得しました。

6. 国土長期展望

 2011年5月に何気なくテレビで国会中継を見ていたら、野田聖子議員が野田首相に質問をしていました。その中で聖子議員は「国土交通省が取りまとめた『国土の長期展望(中間取りまとめ)という報告書は大変ためになる、全議員に読んでもらいたい。』と言っていました。
http://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/kokudo03_sg_000030.html
早速読んだところ、日本の置かれた危機的状況をよく理解する事が出来ました。そしてそのすぐ後にソーシャル・キャピタル・デザインを手伝わないかと声がかかったのです。一も二もなく参加する事にしました。
 (常々「長い文章を書かないでください」と投稿者の方々にお願いしているのですが、今回はどうしても此の報告書の要点をご紹介したいので長いのをご勘弁ください。)
図に示すように日本の人口は急激に減りつつあります。単に減るのではなく老化しつつ減るのです。安倍政権は「GDP600兆円を目指す」とか「憲法改正、軍事費増大」などと唱えていますが、先行きを見れば無理な目標です。人口減と老齢化が進行すれば、一人当たりGDPを維持するのも難しいでしょう。今の政治家に必要な事は100年先を見据えた、長期的な政策を作り上げる事です。東京・名古屋への人口集中により地方が疲弊する現状を放置してよいのか、負担増により維持できなくなる社会インフラをどうするのか、目の前の選挙ばかりを気にする政治家には解決できません。

  1. 終わりに

 今回の講演では市川さんが飛び入りで文学を語って下さいましたが、次回にも多くの方が話してくださったら良いのではないかと思っています。 下の写真は斎藤良夫さんが編集してくださいました。有り難うございました。

 

 



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