その時の村人達の反応では、「都会から来た何だかわからない若僧が保存しようなんて、馬鹿じゃあねえか」等と言われたが、村人との価値観の相違については廣瀬は当初から理解していた。彼は失われてからでは遅いということを村人達に理解して欲しかった。そして「残しておいて良かった」と言われる日がいつか来ると信じ彼は必死に頑張った。県庁から上役を呼んだり、一軒一軒の家を回り説得に回り続けた。しかし、村人達の茅葺き屋根の古民家に対する思いは「汚くて寒くて嫌だ」と思っていたので、こんなものを保存しようなんて馬鹿ではないかと言われた。