ちょっと発表



2012.12.05    大倉冨美雄

 「小田原の再生のために」

 どうしてか、小田原を見捨てることができません。
大学時代に東京に下宿をはじめ就職も東京でしても、長いような短いような人生の中では転勤や移動であちこちに住み、そのまま居ついてしまうような場合も少なくないでしょう。
 私の場合、ミラノに10年あまりいて東京に戻ったからには、小田原のことなど忘れてしまってもいいようなものだったのかも知れません。しかし不思議なもので、大都会東京と異国のミラノの生活では、それだけ地に足のついた故郷への思いが強くなるのです。
 そこにはもちろん小田高時代の想い出もありますが、小中高と過ごし、両親が亡くなって引き継いだ南町にある昭和初期の古家への思いというようなことも加わっています。何年か前に隣家が売られ、その際に開発業社から、かなりいい値段の売り渡し値段を提示されたのに売りませんでした。

 で、どうしているかというと、NPO法人の地域開発イベントの事業として、そこでセミナーをやったり、小田原見学の後、立ち寄り、お茶のみ場所にするなどに使ってきたのです。その際には、地方の大学の学生などを集めて、小田原の史跡や、見落としたくない景観を拾う町歩きなどをして発表するなどしてきました。
 ですから、なんだかんだと言いながら、両親がいなくなってからも少ない年でも数回は来ているのです。
ただ、このままでいいわけではありません。私もどうなるか分からないし、家内は「何やってるの。早く処分しなかったから、こんなことになるんじゃないの。今のうちに何とかしてよ」と迫り、息子も「父さんが死んだら売るよ」と平気で言っている現状です。NPOの活動もマンネリ化してきました。
 委託絵画のコレクションもあり、自分の資料館も造りたい、いや室でもいいが(笑)。でもそんなカネが無い。どうしよう、と思い悩む日々です。

 とかくする一方で、お堀端に出来る小田原市民ホールの再設計競技が始まります。
小田原を愛している私ならではの設計チャンスだと思い、市民運営委員会などにオブザーバーとして加わったりして来ました。 何か身勝手な予感ですが、このチャンスは天が私にくれた好機なのだと思えて仕方がなく、競技に応募する準備をしています。
 小田原を離れていたからこそ、小田原の弱みと強みを知っている、という自負もあります。
これも、小田原の地元民ならではの活性化への願いが、何よりも強力な設計動機や内容を示すことになるに違いないとの思い、更にはだからこそ、「この俺が設計しないで誰が小田原の活性化の足場がつくれるのか」との自負となって還って来ているとも言えるのです。
 凄い身勝手な自信、などと思わないでください。親身になって小田原のことを考えていると、こういう言い廻しになってしまうのです。

「小田原の弱みを知り、強みに転化させる」、これを育てて行こうではありませんか。
 まだまだやることが山積みしているようで、しかも、それが小田原に関わることが大きいこの頃です。
何か政治家みたいな言い口になってしまいました(笑)が、世はまさに地方分権化を進めるべき時代です(再笑)。出来ることはやりたいと思っていますので、どうぞ、応援をよろしくお願いいたします。





          1つ前のページへ