ちょっと発表



2015.10.06
7組 斎藤良夫
 「門扉の仁王像」~箱根点描~

 前線を伴う低気圧の接近に注意をはらいつつ、10月1日(木)午前、箱根に行って来ました。仙石原の「長安寺」山門の仁王像拝観のためでした(別紙)。幸い境内散策中は曇り空でしたが、お寺をあとにした直後に降雨に見舞われました。この低気圧の影響で箱根、小田原周辺は1日夜から2日未明にかけて強風が吹き荒れ、倒木の被害などが相次ぎ、仙石原地区では最大1100世帯が一時停電したようです。
 「箱根山」は、大涌谷の火山活動により6月30日に発表された「噴火警報」が現在も続いています。噴火警戒レベルが9月11日に「入山規制」から「火口周辺規制」に引き下げられたものの、観光客の客足はまだまだ遠いといわれます。秋の行楽シーズンの最中に垣間見た「箱根点描」です----。


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 火山による箱根・大涌谷の噴火警戒レベルが入山規制の「3」から火口周辺規制の「2」に引き下げられて3週間後の10月1日(木)、久しぶりに箱根を訪れた。目的は、曹洞宗・龍虎山「長安寺」(鈴木太源住職=神奈川県箱根町仙石原82)の山門の扉にあるという「仁王像」の拝観。

 訪問前に友人が撮ったアップ写真を見ただけで全体像が分からなかった。現物を見て、なるほど、これはアイディアと思った。身の丈は約55cm。胸が広く厚い。小ぶりながら肩を怒らせての「にらみ」に迫力がある。素材はブロンズ。一対の阿吽の仁王像は木製の扉に直接取り付けられていた。「場所柄、仰々しい仁王門は似合わない。でも仁王像がほしい」という鈴木住職の考え抜いた末のアイディアだ。15年前の制作だが目にしても気に留める参拝客は少ないらしい。長安寺には数多くの「羅漢(らかん)像」があり、「東国花の寺」として知られている。参拝客のお目当ては羅漢さんや季節の花々。しかも、いつも開門しているためにほとんどの人が門を素通りして扉の仁王像は見過ごされているようだ----。

 仁王像についてはさらに後述するが----当日は、小田原から箱根新道を通り、芦ノ湖沿いに湖尻、仙石原すすき高原などを通って長安寺に向った。平日の午前で夕方からの悪天候が予想されていたこともあり、客足はまばら。外国人観光客を乗せたバスが往来するがせいぜい一、二台。鈴木住職も話していたが、箱根は「火山活動」の影響で客足は急速に落ち込み、噴火警戒レベルが引き下げられたとは言え、例年通りの回復までにはまだまだほど遠いようだ---。

 さて、仁王像だが----門扉の内側に2枚の板書きがあった。「金剛力士像 阿形 吽形 平成十二年十二月吉日 施主 T・K子」。もう一枚は「T家先祖代々 菩提供養 仁王像作 柏木昌」と作家名が書かれていた。鈴木住職の仁王像への想いに檀家のT家が応えたくれた。鈴木住職が金剛力士像のおおまかなデッサンを彫刻家の柏木氏(イタリア在住)に送り、あとは柏木氏の感性に任せて作ってもらったという。仁王像は頭に比べて肩や胸が大きいのが特徴だ。柏木作品をインターネット検索すると結構出てくる。東京・足立区の「竹の塚彫刻の道」に柏木氏の作品が展示されており、また、柏木氏のホームページに多くの作品が紹介されていたので、その一部を別紙に掲載した。

 私は趣味の会「日本参道狛犬研究会」(三遊亭円丈会長)に所属し、会報に「あ∞ん」のタイトルでコラムを連載している。長安寺行は、その取材のためでもあった。私の意図を聞いた鈴木住職は、「それなら---」と、「子守り地蔵堂」に案内してくれた。なんとそこには、堂の柱を支えていた阿吽の邪鬼があった。小松石で大きさは約35cm×35cm。石造彫刻家、小林光徳氏(神奈川県内在住)の制作で設置はちょうど一年前の秋。邪鬼にしてはなんとも可愛い表情をしている。お寺にはよく「水子地蔵」があるが、長安寺は赤ちゃんはじめ子どもたちの健やかな成長を祈って「子守地蔵尊」を祀っている。その地蔵堂の柱の根元が朽ちたので修繕の機会に支柱に邪鬼像を置いた。「子どもをお守りするところなので邪鬼も可愛く彫ってもらいました」と鈴木住職。小林作品も柏木作品と一緒に別紙に載せたが、小林氏制作の羅漢さんが長安寺境内に数多く置かれているという。

 阿吽の「門扉の仁王像」と「地蔵堂の邪鬼」。大変ユニークな作品だが、長安寺の境内を見渡すと、いろいろな仕掛けがあった。本堂の外壁に四天王のブロンズ像。山門の屋根の四隅には東西南北を示す四神の「青」(青竜)、「白」(白虎)、「朱」(朱雀)、「黒」(玄武)の文字を配してあった。釣瓶井戸の井桁にも同じ文字が書かれていた。

 しかし、長安寺の見どころはやはり「五百羅漢」。昭和六十年から建立をはじめ、庫裡の前の境内はじめ傾斜地になっている「五百羅漢場」、また放生池の中のナマズに乗った羅漢まで、その数は250体を超え現在も建立進行中という。檀家はもちろん希望者は誰でも羅漢像を納めることができる。石像はプロの彫刻家に彫ってもらう。しかし同じ作家だと顔が似てしまうのでこれまでにお願いした彫刻家は全国14人にのぼるという。この<羅漢ワールド>の一部を別紙にまとめた。

 ところで、肝心の長安寺の沿革が最後になってしまった。パンフレットによると以下の通りである。「当寺は延文三年(1356年)箱根姥子山長安寺として創立されましたが、老朽化に伴い、明暦元年(1653年)現在の仙石原に機山労逸大和尚により開山されました。その後、享保年間に姥子が元箱根の領分になったので山号を龍虎山と改められました。宗派 曹洞宗。本尊 釈迦如来」。

 「東国花の寺」は、関東1都6県の「花の寺」と称される寺院が集まり、平成十三年三月に発足。現在103か寺が加盟。長安寺は神奈川15か寺のうちの「12番寺」。これからは紅葉の季節である---。

 長安寺をあとにしたのは正午過ぎ。まもなく雨が降ってきた。〈下界〉へと急ぐ途中、箱根・宮の下の「NARAYA CAFE」に立ち寄り、ちょっと遅い昼食とコーヒーをいただいた。「足湯」があり若者たちが足湯につかりながら飲食していた。「富士屋ホテル」が近くにあり、外国人の宿泊客がよくこの足湯を利用している。

 長安寺の仁王が門扉を飛び出して噴火を鎮め、箱根に元気を与えてほしいものだ----降雨の中、国道を走る車の音を耳にしながら、ふと、そんな心境にもなった。




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