ちょっと発表



2016.01.24
7組 斎藤良夫
 白鯨との闘い

 小田原で1月23日から上映が始まった映画『白鯨との闘い』(原題『IN THE HEART OF THE SEA』)を初日に観てきました。奥津弘髙様(元「国府津商工振興会」会長)にぜひご覧いただきたくメールしました。日本の開国のきっかけとなったペリー来航の絵図の中に相模湾から描いたと思われる富士山の画があります。大兄はその相模湾の場所を特定するために船を出したり三浦半島周辺を探索しました。その延長線上でペリーの子孫と交流し、数回の渡米の時にはペリー宅に宿泊するまでになりました。そして、大兄はアメリカのあの捕鯨博物館まで足を運んでいます。私が大兄に、映画『白鯨との闘い』鑑賞の声をかけるのは当然のことでしょう----。

 この映画のうたい文句は「ハーマン・メルヴィルによる名著『白鯨』の陰に隠され続けてきた真実に迫ったもの」という。捕鯨船「エセクッス号」の沈没に絡み、助かった乗組員の<復讐する海 捕鯨船エセックス号の悲劇>の話を下敷きにした『白鯨との闘い』(ナサニエル・フィルブリック著。相原真理子訳。集英社文庫)の映画化。「白鯨との死闘。そして、生き残るために男たちが下した<究極の決断>」が描かれている。

  映画は自宅から徒歩約20分の「Korona World 小田原シネマ」で、午前9時からの「3D版」を観ました。眼鏡をかけて見るいわゆる立体映像で部屋は「4Dx劇場」でした。ここで見るのは初めてで、『白鯨との闘い』の場面々々にリンクして、捕鯨船が動く時には座席が上下左右に振動し、白鯨との格闘で船が波をかぶる時には座席の脇から「しぶき」が飛び散ったり、スモークが噴き出し、また、捕鯨船炎上のシーンでは光線が劇場内を走るなど多彩な装置が仕組まれていました。「観る」から「体感」の映画鑑賞でした。

 最初、「しぶき」が顔にかかった時、私が読売新聞社会部時代に同行取材した「南氷洋捕鯨」を思い出しました。捕獲するのは「ミンククジラ」でしたが、「マッコウクジラ」を発見した時、お願いしてキャッチャーボートを風下に寄せてもらいました。そして、船を覆うその「マッコウクジラ」の生臭い噴気が今更のようによみがえってきました。「白鯨」はマッコウクジラです----。帰宅して当時の写真はないかと調べたところ、南氷洋で短い時間でしたが母船で一緒だった作家、C・Wニコル氏の著書に触れたブログがありました。その著書に私の撮った写真がありましたので、ご迷惑とは思いつつ添付させてもらいました。

 最近、捕鯨に絡む2本の「クジラ映画」を勝手メールで送信させてもらいました。映画『白鯨との闘い』の舞台は南氷洋ではなく太平洋上です。「3D版映画」をお勧めしたいところですが一日に1回の上映と限られています。「3D版」はともかく大兄には時間を見つけて映画『白鯨との闘い』をぜひご覧いただくことをお願いします。


 

「鯨捕りよ、語れ!Äb0」CÄb0・W Äb0 ニコル著

 作家、C・Wニコル氏の著書「鯨捕りよ、語れ !」が2007年7月に出版され、主な書店に平積みされている。ニコル氏は1940年(昭和15年)英国・南ウェールズ生まれ。1995年(平成7年)に日本国籍を取得し、作家活動に加えてエッセイや講演で環境問題を追求している。著書は、彼が少年時代にカナダに渡り、その後、カナダ政府の<役人>として初めて日本の捕鯨船に乗って鯨捕りとの親交を深め、さらに、南氷洋捕鯨船団に同行した時の鯨捕りの姿を描いたものである。この南氷洋捕鯨船団に私も同行し、一時期、母船でニコル氏と一緒に過した。著書に6枚の写真が掲載されているが、全て私が撮影したものである。奥付に、「写真 斎藤良夫」と記されている。
 1980年(昭和55年)2月5日。ニコル氏は仲積船から捕鯨母船「第三日新丸」に乗船してきた。仲積船は南氷洋で操業中の母船に食糧や手紙などを届け、母船で生産した鯨肉を日本に持って帰る船である。ニコル氏が到着した時、母船は操業の真っ最中だった。私は既に1か月以上も前から母船に滞在し、キャッチャーボートで何回か捕鯨の現場を取材していた。ニコル氏とは日本を出港前に一度会っており、船団員に代わって私がデッキを案内した。彼は鯨のことは詳しいが、事業員の手際良い解体作業に改めて感心していた。以後の鯨捕りの話は著書に詳しい。私と相棒のカメラマン・大隅利克氏(故人)は2月9日に母船を後にしたので、ニコル氏と過したのは4日間だけだった。それでも、毎日、毎晩のように一緒に飲み、彼の話を聞いた。
 「私は海に飛び込むかわりに仕事に飛び込んだ」。著書にも書かれているが、ニコル氏は南氷洋に来た時、奥さん(日本人)との離婚話に悩んでいた。その時の心境を話してくれたのだ。「これが私の全財産です」。彼は手元に残った一冊の分厚い『ペリー航海記』を持参していた。ポールド(船室の窓)越しに氷山が見え隠れし、そんな雰囲気が、お互いを感傷的な気分にした。生い立ち、カナダでの生活、グリンピース(反捕鯨団体)のこと、鯨捕りへの想い、小説のこと---。彼の問わず語りを、私は黙ってメモしていた。
ニコル氏が日本の捕鯨存続に尽くした力は大きい。強力な助っ人である。東京・新宿の居酒屋で偶然お会いした時、彼は私の手を握り、涙を浮かべながら25年以上も前の南氷洋捕鯨の思い出話をした。お互いに若かった。「鯨捕りよ、語れ !」は、小説風ノンフィクションと銘打っている。しかし、ニコル氏の著書の一行一行が、私にとっても南氷洋生活を思い起こさせてくれる貴重な記録である。

 自らのヒゲ面が懐かしい。帰国後、読売新聞夕刊に「クジラ最前線~南氷洋の40日~」と題した連載記事(1980.3.21~4 .18)を17回に渡って掲載した。もちろん、ニコル氏のことも触れている。私のホームページのフロント写真「南氷洋の氷山」は、この時に撮ったものである。縁あって私のスナップ写真がニコル氏の著書のお役に立てたことを心より嬉しく思っている。7月17日は、ニコル氏の67歳の誕生日である。


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