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国府津番外 「丹沢に鉱山があった」

 2020.07.26    斎藤良夫


 『足柄乃文化』(47号)の最新号が7月に入ってやっと届きました。神奈川県の「山北町地方史研究会」=茂木哲夫会長=の発行で、当初は3月の予定でしたが、コロナ禍の影響で編集作業が遅れに遅れて、7月になってしまったのです。私がこの『足柄乃文化』を待ちわびたのは、そこに、丹沢の鉱山の話が載っていると、山北町文化財保護委員のお一人から聞いていたからです。

 丹沢に鉱山があった、と言う話は私にとって初耳であり、よく山行に出かける小田原などの友人に聞いても、「鉱山が⁉」と聞き返えされるありさまで、また、山北町出身者も知らない方が多かったのです。しかし、考えてみれば、昔は全国どの山でも鉱脈を探す、いわゆる、“山師”がいたり、鉱物散策の“ミネラルハンター”がいたものです。

 丹沢と言えば、「武田信玄の金山」伝説もあるところで、鉱山があってもおかしくないのです。それなのに、丹沢の鉱山のコトが何故それほど知られていないのか、と思い、山北の図書館に行ったり、インターネット検索などで調べました。地元でも、意外と資料が少ないのです。そこで、今月、やっと届いた『足柄乃文化』に掲載された記事の紹介を中心に、丹沢の鉱山について少しまとめてみました。もちろん、その中身は、イロハの「イ」程度のものです。お時間を拝借して、ご覧になっていただければ幸いです。

 それでは、また----。

 斎藤 良夫



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