ちょっと発表




   魚名魚字 Part 4

2015.02.19   3組 佐々木 洋

鯰(ナマズ)の巻

 名うての食通でもあり料理師でもある4組の吉田さんの記事「鯰(ナマズ)チャン、こんにちわ」がアップロードされた時には(http://odako11.net/Happyou/happyou_kumo_14.html)「魚名魚字」シリーズのヘッポコ作者としては「またしてもマイナーな魚の魚名魚字について書かなきゃなんないのかよ。吉田さんの“ストーカーをする”(?後を付けること)のばっかしというのも能がない話だし…」と思い乱れてしまって…というのが、この「魚名魚字Part4」が周回遅れのフォロー記事となってしまったことに対する言い訳です。ちょっとばかり古くなってしまった上記記事と併せて、以下のいつもながらの“後学”の結果をご笑覧ください。


 地震をめぐるナマズの冤罪

 「ナマズが暴れるから地震が起きるんだ」などという俗説が古くからあって、かの豊臣秀吉でさえ伏見城築城の折に家臣に当てた書状に「ナマズによる地震にも耐える丈夫な城を建てるように」という指示を出したそうです。もちろんこれはナマズにとっては言いがかりも良いところであって、「あっしには関わりのないこって」と木枯し紋次郎ぶりたくなるのも当然です。しかし、魚類、特にナマズは、あのヒゲの効用なのかどうか分かりませんが、音や振動とともに電場の変化に敏感なのだそうです。ですから、地震の発生(原因)に伴って起こる電場の変化を敏感に察知して、ナマズが慌てふためいて急に暴れ出すという現象が各地で観察されたため、無実のナマズが原因(地震)と結果(ナマズが暴れ出すこと)を取り違えた俗説によって濡れ衣を着せられ続けてきたのではないかと考えられます。ヒゲを生やした悪者顔をしていて、普段は水底に身を隠して暮らしているので冤罪を受けがちなのですが、地震を起こせるなんて思うほど自信過剰ではないはずですよ。いずれにしても、浮世絵など絵画の題材にされていることから察すると、往時は現在よりずっと人間の生活域と近いところに数多く生息していたものと思われます。だからこそ、現在でも「飲まず食わず」に発した「ナマズ食わず」などというサブイ駄洒落も辛うじて通ずるのですが、「ナマズ“を”食わない」どころか、古代から食用魚として漁獲されてきていて、その流れで今回食通の吉田明夫レポーター殿の胃袋にも納まったわけです。また「ナマズ“が”食わない」どころか貪欲な食性をもっていて、雑食腫が多い日本在来の淡水魚の中で、「在来魚としては数少ない大型の肉食魚」としての地位を保っています。


 ドジョウとコイとはヒゲ仲間


 ところで「ナマズ」の「ナマ」には、ウロコがなくて滑らかな魚であることから、ナメクジの「ナメ」と同じ「滑らか」という意味があるようです。更に、「ズ」は「ず(歴史的仮名遣いは“づ”)」で、川や沼の泥底に棲むことから、「どじょう」の「ど」と同じ土や泥の意味。ですから、「ナマズ」全体としては「滑らかな泥魚」という大変泥臭い意味をもつ魚名だということになります。「ナマズ」と「ドジョウ」は同じ泥魚同士でヒゲがあるの

も同じですが、ご承知の通り、立派なのはナマズヒゲであってドジョウヒゲではありません。一方、「ドングリころころ」ときて♪坊ちゃん一緒に遊びましょ♪と出てくるのがドジョウでなくてナマズだったら童謡になりません。英語名は“catfish”。これも猫のようにヒゲを蓄えているからこのように命名されたのでしょうが、では、どうして同じようにヒゲのあるコイをさしおいてナマズが“catfish”なのでしょうか。ザ・ブラザーズ・フォアがのどかに♪A time to be reaping, a time to be sowing. The green leaves of summer are calling me home. It was good to be young then in the season of plenty.と歌う「グリーン・リーブズ・オブ・サマー」に突如として♪When the catfish were jumping as high as the sky.♪という歌詞が出てきたので驚いたことがあります。まさに♪屋根より高い鯉のぼり♪と歌われ「鯉の滝登り」ということわざがあるコイを凌ぐ勢いの良さですので、あのノッペリした体形のナマズからは思いもつかないことだったからです。ナマズの仲間には、体内に発電器官をもっていて最大350ボルトに達する電気を発生させる電気ナマズなどといった“傑物”がいることを考えると、♪jumping as high as the sky”と歌われているのは♪アメリカナマズ(チャネルキャットフィッシュ)で、こやつは日本に多い「マナマズ」とは全く違う“跳ね上がり者”なのかもしれません。逆に、アメリカのコイは、日本人にとってのナマズと同じように水底を徘徊する地味な魚と見られているようです。アメリカ人の友人に「日本ではコイのアライを食べる」と話したところ、「あのscavengerを!」と驚いていました。”scavenger”は「腐肉を食べる動物泥地」という意味で、餌をあさって食べている姿からコイに付けられたニックネームだそうです。

 中国ではアユがナマズになる?

 さて、魚字の「鯰」の方については、「ナマズが“体がぬるぬると粘る”ところから魚偏に『念』(“ねばる”の意味)を旁(つくり)にあてた」という解説がありましたが、“念”のため中日辞書を引いてみたところ「念」のには“ねばる”という意味がなさそうでした。私がこの解説を見てアヤシイと邪推したのは、「中国ではアユがナマズになる」ということを知っていたからです。つまり、日本では神功皇后がアユを釣って戦いの勝敗を占ったところからアユに「占魚」という魚字が充てられ、これから更に「鮎」という国字ができたのですが、中国語では、“ねばりつく”という意味をもつ「占」を旁に用いた「鮎」がナマズを意味をもつ漢字になるのです。このことを確認してから私は、得意のあてずっぽう推理を働かせて「“鯰”という字は、 “粘”と同じ音をもつ“念”を旁にあてて日本人が作った国字である」という“独自の仮説”を編み出しました。そして更に、ナマズの魚名魚字を決めるにあたって、「滑らか」や「粘る」その外皮感触に注目したのが日中に共通しているところから「日中間の歴史感覚の違いは大きいが、つぶさに詰めて、このように共通して分かりあえるところがあるはずだ」などと“大層なこと”まで考え及んで一人悦に入っていました。ところが太平の思いは久しからず。「最近の研究で“鯰”は、日本の文献『倭名抄』が中国の文献『和名類聚抄』を引いているので国字でないことが判明している」という“余計な”“冗報”が新たに目に飛び込んできました。「現在では中国でもナマズは“鯰”」ということも知っていたのですが、国字が中国に逆輸入されるケースもありますので、日本のナマズ料理のレシピとともに日本産国字の「鯰」が中国語デビューを果たしたのだとばかり思っていました。ところが、「倭名鈔」と略称される“漢和事典”の「和名類聚抄」が平安時代中期に編まれていて、中国の「鯰」がナマズとして紹介されていたというのですから驚きです。言葉は世につれ変わるものですから、多分、昔の中国語の「念」には“ねばる”という意味合いがあったのでしょう。それでは、出番を失ってしまった中国語の「鮎」の方はどうなってしまったのでしょうか、直接本人ならぬ本魚に会って”How AYU?”と尋ねてみたいところです。いずれ“消息”が分かりましたら、「魚名魚字」シリーズの「鮎の巻」でご紹介することにします。

                                                 以 上