ちょっと発表




   3年3組3人目の栄誉

2015.03.11  3組 佐々木 洋

 奥津紀一君瑞宝双光章受章

 (3月8日)、湯本富士屋ホテルで開かれた小田高同窓同級の奥津紀一君の「瑞宝双光章」叙勲祝賀会に出席してきました。会場となったコンベンションホール「箱根」にはAからPまでの計16基の円形テーブルが設えてあって、およそ150名が祝賀に駆けつけていました。正面には、ステージが設えてあって、先ずはここで発起人代表挨拶が行われました。どう見ても医師の“先生”方の主導により実現された祝賀会の様子であり、城山中学と小田高の両方で3年3組同級だったということから発起人一同に加わった“非先生”の我らが辻秀志君もなんとなく居心地悪そうな風情に見えました(下の写真の最左端。最右端に座しているのが奥津紀一君)。


 祝辞奏上のため次々とステージに登った代議士の2センセイや医師会の長老格と思しき先生の口から出るのは「奥津先生」賛辞の言葉。アチャー、「奥っちゃん」なんて気安く呼んでいたのだが、いつの間にか「大先生」になっていたんだ。改めて見回してみると、もしも、医療行為に対して悪意をもっているテロリストがいたとしたら格好の標的になるに違いないと思われるほどの医療界の重鎮揃いの風情です。“非先生”用に設えられたと思えるEテーブルの私の隣席にも、本町小学校(当時)、城山中学と順調に進みながら、“名門”小田原高校に入らずに“新制”湘南高校に彷徨い出た“にもかかわらず”日本脳外科界の「大先生」となった間中信也君が座しておりました。

 奥津先生、もとい、ここでは奥津君の叙勲について、「医師会で会長などの役員を歴任し地域医療に指導的な役割を果たした」という陳腐な理由も披露されていましたが、何より「およそ半世紀にわたって校医として尽力されてきた」と業績が特筆されているのが嬉しく思え、受章者の選定に当たった内閣府を「やればできるじゃないか」と讃えてやりたいと思いました。長年にわたって下手っぴテニスをしてきた私は延べ何千人ものパートナーとダブルスコンビを組んできたのですが、「奥っちゃん」がその中でとびきり最良のパートナーでしたので、「奥っちゃんなら、コート上と同じように、生徒たちに対して同じ目線で語りかけ慰め励まし力づけ続けてきたに違いない」と信ずることができていたからです。私は、小利巧になって損得勘定に走ることなく、割の合わないことに対して一生懸命取り組んでいる仲間に対して、信愛と尊敬の念を込めて「お前って馬鹿だなあ」と声をかけるのですが、「奥っちゃん」のような「尊い馬鹿」(*)を内閣府の役人がきちんと評価できるようになったのですから、日本もまだ捨てたものではなさそうです。
(*)「馬鹿論」再考 http://h-sasaki.net/Bakaronsaikou.htmをご参照ください。

世の中、うまくいっているところには必ず縁の下の力持ちをしている“馬鹿役”がいます。小田高11期同窓会だって、この同期生ホームページWeb11だって、今道周夫君や吉田明夫君がきちんと“馬鹿役”を果たしてくれているからこそ長続きしてきたのです。そして、“馬鹿役”も、それを務めることによる「楽しさ」が伴っていなければ、とても続けていけるものではないと思っています。本当の「楽しさ」とは、決してエヘヘアハハではなくて、謙虚の姿勢をもって他人のために貢献してそれが感謝されることによって報われてこそ享受できるものだからです。 恐らく、奥津君も「楽しさ」を享受できていたからこそ半世紀もの間、校医の仕事を続けてこられたのだと思います。奥津君の貢献ぶりによって大きな益を得てきた数多くの生徒たちは今感謝の気持ちを新たにしつつ、ともに心から奥津君の受賞を喜んでいることでしょう。
*「馬鹿論」再考 http://h-sasaki.net/Bakaronsaikou.htmをご参照ください。

ステージに上がる際に奥津君の足元がふらついていたので、“非先生”一同「オヤオヤ」と心配していたのですが、引き続く受章者挨拶(下の写真)の中で奥津君が、ユーモアを交えて「父親の跡を継いで1972年に奥津医院を開設するのと一緒に糖尿病も引き継いでしまった」と話されたので一同合点がいきました。

 

 ステージ上には2年前に亡くなられたという奥様の遺影が掲げられており、その遺徳とお二人の仲の睦まじさに対する称賛の声が相次ぎました。コート上と同じように、家庭内でもお互いにミックスダブルスの最良のパートナー同士であり続けていた様子が目に浮かんでくるような気がしました。しかし、コートの上では、未だに最良のパートナーの復帰を待ち望み続けている者がいるということを忘れてもらったら困ります。“医者の不養生”はいい加減にして、糖尿病にさっさと見切りをつけて一日も早く「爽やかで明るくて頼りがいのあるダブルスパートナー“奥っちゃん”」に戻ってくださいな。

 早々に間中先生が中座されて、“非先生”専用になったEテーブルに、居心地悪い発起人用Aテーブルから“亡命”してきた辻秀志君を交えて、奥津君と小田高11期一同揃い踏みの記念写真を撮りました。下の写真は奥津君(右から3人目)を囲んで右端の辻秀志君、左から3人目の江木紀彦君と左端の私の3人が3年3組勢で、右から2人目の月村博君が6組、左から2人目の浅野貞彦君が4組でという布陣です。そして、祝賀会が終わった後に、同ホテル内の喫茶室Wisteriaで“臨時即席マイクロ同窓会”。多くの来賓に対する対応で忙しかった奥津君はさすがに出席できませんでしたが、代わって“地元民”でWeb11編集長の吉田君が加わりました。


 「勲章と褒章は違うのだ」などというメンドクサイ議論もあるようですが、今回の奥津紀一君への瑞宝双光章叙勲は、3年3組としては、2001年の望月郁文君、2002年の故大野英市君のそれぞれ藍綬褒章受章に次ぐ3人目の栄誉です。同じクラスで勲章やら褒章やらの受章者を3人も輩出したというのは小田原高校の伝統の歴史の中でも初めてのことではないでしょうか。亡くなった恩師の府川一郎先生も草葉の陰でお喜びになっておられることでしょう。思えば、府川先生が生前に示されていた謙虚さと、他人に感謝し貢献しようとする気持ちをそのまま素直に受け継いだ者が、揃って栄誉に浴することになったのではないかと思います。江木君も辻君も、もうちょっとだけ頑張って、奥津君に見習って「尊い馬鹿」になりきれば、「3年3組4人目の栄誉」になりますよ、きっと。頑張れ、栄えある3年3組のETコンビ。