祝辞奏上のため次々とステージに登った代議士の2センセイや医師会の長老格と思しき先生の口から出るのは「奥津先生」賛辞の言葉。アチャー、「奥っちゃん」なんて気安く呼んでいたのだが、いつの間にか「大先生」になっていたんだ。改めて見回してみると、もしも、医療行為に対して悪意をもっているテロリストがいたとしたら格好の標的になるに違いないと思われるほどの医療界の重鎮揃いの風情です。“非先生”用に設えられたと思えるEテーブルの私の隣席にも、本町小学校(当時)、城山中学と順調に進みながら、“名門”小田原高校に入らずに“新制”湘南高校に彷徨い出た“にもかかわらず”日本脳外科界の「大先生」となった間中信也君が座しておりました。
奥津先生、もとい、ここでは奥津君の叙勲について、「医師会で会長などの役員を歴任し地域医療に指導的な役割を果たした」という陳腐な理由も披露されていましたが、何より「およそ半世紀にわたって校医として尽力されてきた」と業績が特筆されているのが嬉しく思え、受章者の選定に当たった内閣府を「やればできるじゃないか」と讃えてやりたいと思いました。長年にわたって下手っぴテニスをしてきた私は延べ何千人ものパートナーとダブルスコンビを組んできたのですが、「奥っちゃん」がその中でとびきり最良のパートナーでしたので、「奥っちゃんなら、コート上と同じように、生徒たちに対して同じ目線で語りかけ慰め励まし力づけ続けてきたに違いない」と信ずることができていたからです。私は、小利巧になって損得勘定に走ることなく、割の合わないことに対して一生懸命取り組んでいる仲間に対して、信愛と尊敬の念を込めて「お前って馬鹿だなあ」と声をかけるのですが、「奥っちゃん」のような「尊い馬鹿」(*)を内閣府の役人がきちんと評価できるようになったのですから、日本もまだ捨てたものではなさそうです。
(*)「馬鹿論」再考 http://h-sasaki.net/Bakaronsaikou.htmをご参照ください。
世の中、うまくいっているところには必ず縁の下の力持ちをしている“馬鹿役”がいます。小田高11期同窓会だって、この同期生ホームページWeb11だって、今道周夫君や吉田明夫君がきちんと“馬鹿役”を果たしてくれているからこそ長続きしてきたのです。そして、“馬鹿役”も、それを務めることによる「楽しさ」が伴っていなければ、とても続けていけるものではないと思っています。本当の「楽しさ」とは、決してエヘヘアハハではなくて、謙虚の姿勢をもって他人のために貢献してそれが感謝されることによって報われてこそ享受できるものだからです。 恐らく、奥津君も「楽しさ」を享受できていたからこそ半世紀もの間、校医の仕事を続けてこられたのだと思います。奥津君の貢献ぶりによって大きな益を得てきた数多くの生徒たちは今感謝の気持ちを新たにしつつ、ともに心から奥津君の受賞を喜んでいることでしょう。
*「馬鹿論」再考 http://h-sasaki.net/Bakaronsaikou.htmをご参照ください。
ステージに上がる際に奥津君の足元がふらついていたので、“非先生”一同「オヤオヤ」と心配していたのですが、引き続く受章者挨拶(下の写真)の中で奥津君が、ユーモアを交えて「父親の跡を継いで1972年に奥津医院を開設するのと一緒に糖尿病も引き継いでしまった」と話されたので一同合点がいきました。
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