ちょっと発表



 

2016.02.02   3組  佐々木 洋
「琴奨菊フィーバー」の行方は?

 もしも日本のプロ野球界で外国人助っ人ばかりが活躍して日本人選手の影がまるで薄いとしたら、日本人野球ファンの心は日本プロ野球から去って行ってしまうことでしょう。これと全く同じように、「10年ぶり日本出身力士の優勝」がかかった今年の大相撲初場所は、まさに日本人の心を大相撲につなぎとめておくための瀬戸際だったと言えるのではないでしょうか。そんな中で、ダメ日本人力士の典型のように見え全く期待されていなかった琴奨菊が初優勝するという“天変地異”にも似た事件が起こりました。これに加えて、尊大そうに見えるだけで風采の上がらない三十路男が美人妻と結婚するという“美女と野獣物語”、更に、琴奨菊が3月の春場所で“一気にがぶり寄って”待望久しい日本人横綱の座につけるかどうかなどの話題が沸騰し、“琴奨菊フィーバー”が日本全体を覆っているように見えますが、諸兄姉は如何お考えでしょうか。


白鵬の「後の先」の謎

 モンゴル人力士が得ている富や名声も日本大相撲協会の隆盛があってのものですから、その重要な契機となる「10年ぶり日本出身力士の優勝」はモンゴル人横綱連にとっても望ましいことであり、琴奨菊の“想定外”の“天変地異”の如く見える奮闘に伴って日本人の悲願の声が悲痛なものとなるに連れて助っ人外国人力士による日本人力士に対する“配慮”が加えられたとしても不思議ではありません。代表的な例は、11日目に琴奨菊に敗れたとはいえ、相星で優勝争いの先陣を切っていた白鵬が、14日目に稀勢の里に対して「後の先」を“試して”簡単に破れた一番です。「後の先」とは武術の奥義で、かつての名横綱・双葉山がこれを採り入れ、相手より一瞬“後”に立ちながら、当たり合ってからは“先”をとるという立ち合いを得意にしていました。双葉山に私淑している白鵬のことですから「後の先」にこだわるのはよく分かりますが、何も優勝争いをしている大事な本番で“試す”ことはないでしょう。その上、白鵬には「後の先」について勘違いをしているような節が見受けられます。「出足が本物なら」という条件があれば、「一瞬先に立った相手に対して遅れて立った方が低く良い角度で入ることができる」という結果が得られるというのが「後の先」なのですが、稀勢の里戦での白鵬の立会いには出足もなく、左手だけ伸ばして胸を押しただけの妙なものでした。お陰で、琴奨菊より遥かに大きな「10年ぶり日本出身力士の優勝」の期待をかけられていながら勝ち越しを危ぶまれていた稀勢の里は、千秋楽も鶴竜に勝って辛うじて9勝6敗のクンロク大関にとどまることができました。ことによると白鵬の「後の先」は、初場所優勝では“後”をとって、“先”におけるモンゴル勢の一層の繁栄を目したものかもしれません。


“心”で挙げた“金星”

 さはさりながら、琴奨菊の変身ぶりは見事でした。期待されていた稀勢の里がコロコロ負けるのに対してアレヨアレヨという間に12連勝。しかし“相撲を見る目がある”と自称している私には“天変地異”には見えませんでした。2014年秋場所9-6(9勝6敗:以下同じ)、九州場所6-9、2015年初場所9-6、春場所8-7、夏場所6-9、名古屋場所8-7と、“クンロク大関の名を欲しいままにしていた” 琴奨菊が、秋場所(11月)で一転して11勝4敗の成績を挙げた時に「“やれば”できるじゃないか」と思っていたからです,ただ、この“やれば”という仮定が「体調さえ戻れば」という条件付きだと思っていたのですが、これに先立つ7月に琴奨菊が祐未さんと結婚していて「必ず賜杯の横に座らせて挙げるから」と誓っていた時期と符合していたのだと後になって知りました。しかし、祐未さんの内助の功が今回の琴奨菊の快挙につながったのは確かでしょうが、稀勢の里あたりが「美人妻をめとればオレだって」などと思ったりしたら大間違いだと思います。先ず第一にどうしてfar from handsomeで才士とも程遠そうな琴奨菊が、4ヵ国語もこなせる才媛の祐未さんとの結婚という“金星”を挙げることができたのか考えてみる必要があります。一方的で強引な求愛の“がぶり寄り”が功を奏したのでは決してなく、琴奨菊が、心技体のうちの、祐未さんをひきつける“心”を持ち合わせていたからに違いありません。テレビの大相撲中継で、弟弟子の琴勇輝が「優勝戦線のさなかにあるのに自分のことまで気遣ってくれる」と兄弟子に感謝しているという話が伝えられたのを受けて、解説に当たっていた二子山親方(元大関・雅山)が「自分も、現役末期で心身が弱っている時に、琴奨菊から気遣いの籠った手紙を受けて励まされた。」という旨語っていました。同年齢で同じ九州出身のソフトバンクホークスの内川聖一らにも「菊ちゃん」と呼ばれ、家族ぐるみの交流をして通い合わせる“心”の持ち主だったのです。「尊大な態度でいけすかないヤツだ」と見ていた私の目は節穴でした

 

旺盛な自己変革の意欲による“体”の強化

 琴奨菊のコミュニケーション・マインドの豊かさは、動画「鷹の選択」から人生訓を得て自己改革の実践につなげているところにも表れています。寿命約70年の鷹は、40歳過ぎた頃から爪が弱くなって獲物が獲りづらくなり、①そのままただ死を待つか②生き抜くために変化を求めるかという選択を迫られるのだそうです。そして②の生きる道を模索する鷹は自ら爪をはぎ取るのだとか。琴奨菊は、自分の土俵年齢を鷹の40歳になぞらえてみたのでしょう。この動画を見て以来「新しい自分をつくる」という決意を固めて実行し、この「鷹」の話を聞いてホークス(鷹)の内川選手も大いに感銘と影響を受けたのだそうです。取組前の最後の塩を左でとって振り向き、両腕を大きく広げて上体を思い切り反らせる独特のルーティンも、「ケッタイな仕草じゃのう」とばかり見ていたのですが、これも自己改革の一環だったと知って「おみそれしやした」と内心で頭を下げています。佐渡嶽近くの公園で重りを詰めた大型車用タイヤを押し回す特訓も、やかん型ダンベルを用いてブルース・リー流トレーニングをしているのも力士としてケッタイですが、1時間以上かけての「すり足」の稽古を重ねているところも見逃せません。「すり足」は「四股」、「鉄砲」と並んで力士の行う基礎訓練なのですが、これをなおざりにしている力士が散見されるからです。稀勢の里は早くから日本人横綱の候補として有望視されてきましたが、私はその「四股」の姿を見て「こりゃ、ダメだ」と見切りをつけていました。仕切りでの狛犬のような脚の配置ぶりなどから見ても股関節周りの鍛錬不足が歴然としていて、これが腰高や足腰の堅さの原因になっているように思えます。もし、稀勢の里が横綱になりたいのなら、四股を大改善して“恥ずかしくない土俵入り”ができるようにすることが必要なのではないでしょうか。ではないでしょうか。四股の練習をすれば結果的に必要な“体”の強化ができて琴奨菊の「後の先」をとることもできるのではないかとも思っています。



「先の先」の“技”を磨く


 最後の仕切りで早々と両手をついている力士に対して、自分の気ままで瞬間的に両手をついて立ち上がる力士は“後出しジャンケン”をしているようでズルイと思っていました。2007年1月の初場所を見に行った時、琴奨菊と対戦した時の大関・千代大海がこの“後出しジャンケン”の典型でした。琴奨菊と立会いの気を合せようとせず2度も突っかけさせ、しかも、自分の非を棚に上げて格下の琴奨菊を睨み付けるのです。そして、ビビッてしまって、3度目に立ち遅れた琴奨菊を一気に押し出してしまいました。あれは、どう見ても下位力士に対する“いじめ”としか見えませんでした。琴奨菊はその後自分が大関になってから、千代大海から受けた“教訓”を活かし、“後出しジャンケン”で格下の力士を“いじめ”ていました。但し、横綱・大関といった上位力士に対しては“礼を尽くして”、“後出しジャンケン”を封印してきました。ここに琴奨菊が、上位力士との対戦が続く終盤で星をあげられない理由の一つがあると思っていたのですが、今年の初場所では様変わりしていて、なりふり構わぬ自己流立ち合いに徹していたように思えます。恐らく、“技”と言っても、立ち合い一気のがぶり寄りしかない自分にとっては、常に「先」をとる「先の先」しか活路がないと悟ったのでしょう。

 

奮起せよ「国技の本家」の日本人力士たち

 さて、3月春場所での琴奨菊の横綱昇進は実現するのでしょうか。モンゴル人横綱連の“配慮”が春場所まで続くかどうかということも要因の一つとなりますが、琴奨菊持ち前の旺盛な自己改革意欲が、心技体の一層の充実につながり、2003年1月に引退した貴乃花以来、無慮13年余ぶりの日本人横綱の誕生が実現するのを期待したいものです。いずれにしても、現今の“琴奨菊フィーバー”が、日本人力士たちに「オレたちにもできる」という気持ちを奮い起こさせてくれることでしょうし、そうでなくては困ると思います。逸ノ城、次いで、照富士の出現によって一時は確実に予測されていた「モンゴル王国の一層の拡大」の傾向が頓挫している現在こそ「相撲は日本の国技」をアピールすることができる絶好期です。“琴奨菊フィーバー”の陰で行われていた“アヒルの水かき”に見習って、日本人力士がモンゴル勢と比べて圧倒的に少ないと評される稽古の量を増すとに自己変革の意欲と意識を高めてくれるよう願っています。