「ポピュリスト」として名を馳せていたのが元首相の小泉純一郎氏でしたね。「改革」を歌い文句にしていましたが、理性的な知的判断がしがたく、至って情緒的で感情的な表現でした。「郵政民営化は改革の本丸である」などと語っていましたが、何が「改革」であり何が「本丸」だったのでしょうか。安倍首相の「アベノミクス」も小泉元首相の「改革」と同じくらい理性的な知的判断が難しいもののように思えます。経済学部出身の私なのですが、どこに「エコノミクス(経済学)」があるのか全く分からないので「アベノーエコノミクス」と呼んでいます。確かに、円安基調に転じたために日本経済が復調したのは事実ですが、円相場が下落したのは、黒田東彦氏が日銀総裁に就任してメンドクサイ低金利政策を打ち出すのよりずっと前のことでした。“歴史的低金利の時代”なのに安倍さんが「一層の金融緩和」などと叫ぶものだから、「日本は貨幣を大増発するのじゃないか」と日本の“信用不和”を口にする外国人の友人が複数人いましたよ。歴史的に何度か出されている「徳政令」は“借金帳消し策”ですが、貨幣を大増発してこれが流通すれば貨幣価値が大幅に下がって、政府の財政支出が軽減されるのですから、外国人から見たら「日本政府徳政令発令」と思えたことでしょう。また、「デフレ脱却」とこれも“常識っぽい”表現もされていますが、経済学で教えている「デフレ」は供給過剰による需給バランスの失墜によっておこるものですから、市場活動が継続されるうちに解消されるものです。しかし、“社会の公器”と情緒的に称されているマス・メディアもこぞって情緒的な報道を続けるものだから、“愚民”は「今はデフレなんだもんね」と、理性的な知的判断を捨て去って思い込まされているように思えます。
しかし、参院選に続く東京都知事選に小池百合子女史が立候補してから、この“凡俗・ポピュリズム”路線に面白い兆候が現れてきましたね。圧倒的に知名度が高い小池女史がダントツで当選したところは、参院選神奈川区の三原じゅん子と全く同じ風情で、ここまでは“凡俗・ポピュリズム”路線さながらですが、小池女史が「自民党公認」でないところが大きく違いました。“女渡世人”と評されるほどしたたかに国政の世界を渡ってきた小池女史ですが、自民党総裁選挙で石破茂陣営についたお陰で“干される”形で退屈しきっていたところ、なんと東京都知事への転換の好機が訪れたので矢も楯もたまらず立候補したのでしょう。そもそも今回の都知事選は、前知事の舛添要一氏が参議院議員時代に得ていた政治資金のセコイ使い方が発火点になっていて、都政の実務履行云々には何のかかわりもなかったはずです。ところが、本来“凡俗・ポピュリズム”路線が大得意なはずの自民党本部が、実務派の増田寛也氏を押し立てて“マジメな選挙”を仕掛けていたので、支援を求める百合子女史には取り付くしまがなく“崖の上から飛び降りる”気持ちでの出馬となりました。東京都在住の同期生で、年甲斐もなく「小池百合子頑張って!」と叫んでいた男が「お粗末なのは自民党都連です。慎太郎の長男もいつも暗い顔をしていてさえません。」と嘆いていましたが、自民党都連に“凡俗・ポピュリズム”路線に抗するすべがあるはずがありません。実際に、自民党支持層の半数までが小池百合子投票に流れたそうではありませんか。 |