ちょっと発表


「楽しむこと」と「エンジョイすること」

2018/01/09  3組 佐々木 洋

<敗れた選手も「楽しかった」と>
ラグビー大学選手権は帝京大学のV9という結果に終わりましたね。帝京大学側はモットーとしていた“エンジョイ”の気分を充分味わえたことと思いますが、21年ぶりの優勝を果たそうとしていながら、20-21の1点差で惜敗した明治大学側の無念の気持ちは如何ばかりか…と思っていたのですが、日本経済新聞のスポーツ欄では「明大の選手からも“楽しかった”の声が出た」と報じていました。

<オリンピック出場を「楽しむ」とは何事か!>
かつてアトランタオリンピックの際に女子競泳の千葉すず選手が「私はオリンピックには“楽しむ”為に参加するのです」と発言して、当時の水連会長であった古橋広之進氏の逆鱗に触れて、次期のシドニーオリンピックの代表から外されてしまうという事件がありましたね。元フジヤマのトビウオ氏にとっては“楽しむ”という言葉が、国費を払ってオリンピックに派遣する選手にはふさわしくないと考えられたのでしょうね。

<「エンジョイ」は「楽しむ」と同意に非ず>
英和辞典によると “enjoy”は「楽しむ」と出てきますが、和英辞典で「楽しむ」を引くと、‟enjoy”の他に“have fun”が出てきます。“have fun”は″受動的に”「満足感を得る」という意味なのですが、‟enjoy”の方には”能動的に”行動して「充足感を得る」という意味が含まれているようです。どうやら古橋広之進氏を含む古い日本人は、「楽しむ」を”受動的に”とらえスポーツマンにとって「悪」だと考えていたようです。


<「楽しむ」ことは「楽」じゃない>
「たのしい」は大和言葉「たのし」に発する言葉ですが、大陸から漢字が伝来してきて「楽」という字が当てられました。「楽」は、娯楽・安楽・楽勝といった漢字熟語が示すように、能動的な行為を伴うものとは考えられません。実際にラグビー大学選手権決勝戦で帝国大学に対して全力を尽くして敗れた明治大学の選手の姿勢や胸中は、漢字の「楽」とは程遠いものだったに違いありません。

<新日本人の祖は長嶋さん>
受動的な意味合いに偏っていた「楽しむ」に能動的な意味合いをもたらしたのは、日本野球界のシンボルとされる長嶋茂雄さんだったのではないかと思います。ゲーム後の殊勲者インタビューで何を話そうかと思いながら家を出ていたというのですから大変なプラス思考の持ち主です。好機に打席に向かうときには「それ来た」というばかりのノリで、集中して全力を尽くし能動的な楽しみを満喫していたように思えます。


<楽しみ方教えてくれた新日本人たち>
その後、長嶋さんの申し子ともいうべき、男子競泳の北島康介選手や女子マラソンの高橋尚子選手、女子サッカーの澤穂希選手などの‟新日本人‟が現れて次々と、日本人の「能動的な‟楽しみ‟方」を広めてくれました。「負けたらどうしよう」と結果を恐れるあまり緊張し過ぎであった日本人スポーツ選手は、無用な緊張感から解き放され、国際舞台で伸び伸びと全力を尽くせるようになりました。


<セルフ1とセルフ2>

<「無心で全力を尽くす」ことが大前提>
私のような旧日本人下手っぴテニスプレーヤーでも、相手のダブルフォールトなどのミスによって勝つ時ではなくて、強豪相手に全力を集中して敗れた時に「楽しさ」を感ずることができます。一方、セルフ1が「ここで一発決めてやろう」などと邪念を起こすとミスすることが多く楽しさが損なわれます。“have fun”の方の「楽しむ」は別ですが、能動的に「楽しむ」ためには「無心で全力を尽くす」ことが前提なんですね、きっと。

<平昌オリンピックへ向けて>
さてそろそろピョンチャン(平昌)オリンピックですね。その公式ホームページの世界地図に日本列島が記載されていないことについて菅官房長官などは「極めて不適切だ」と怒っていますが、韓国人当事者の日本意識度が低いのだったとしたら仕方がないではありませんか。大切なのは、日本の若者たちが選手として参加して「楽しみ」、私たち新旧日本人がその「無心で全力を尽くす」姿を見て「楽しむ」ことだと思います。

<自己ベストの追求を>
日本製品の世界市場への進出を支えていたTQC(Total Quality Control:全社的品質管理)では、お客様の購買意思決定という企業にはコントロールできないプロセスがあるからです。勝負も時の運と言います。対戦相手の力量や調子は、こちらからはコントロールできない要素だからです。メダル受賞の有無よりも、「自己ベストが実現できたかどうか」に着目しながら、新日本人選手たちの健闘ぶりを観戦することにしませんか。メダル受賞もそこそこ‟結果として“ついてくると思いますよ。