ちょっと発表


退院後の日々

2018/03/14  3組 佐々木 洋

<「スーパームーン」を耳で鑑賞>
PCメール環境のない病院に10日間もいたおかげで受信メールが500通余り未読のまま山積していたので昨日は帰宅するやいなや受信メールの整理。お見舞いのメールも何通かいただいていたので緊急度の高いものから順に、入院の事実を紹介ししながら返信メールを送った。さて、本日は水曜日なので、本来なら早朝から小田原に出かけテニスに興じているところなのだが、「外来検診を受ける(2/2)までは安静維持」という藤沢湘南台病院の鈴木先生からの指示を守り、外出を差し控え安静を保って自宅治療を開始した。しかし、夕刻は医師からのご宣告をちょっと無視して、2週間ぶりに聖書研究会に出席した。出かけた7時頃の月にも”異変”の兆候が感じられたが、帰宅した9時半過ぎると、皆既月食ショーが始まり、我が家のカミ様などは、ガラス窓の下に座って、「あっ、消えていく」から「あれ、消えちゃった」まで天体ショー「スーパームーン」の一部始終に声を発しながら実況放送して見入っていた。
                                       2018/1/31(水)


<安静維持でスポーツもお酒も引き続き厳禁>
昨日(2/1)父親のお見舞いと称して、次女・知子が北九州の嫁入り先から帰ってきた。見舞いは無用と断っていたのだが、日頃義母の介護に追われている娘の姿を見て、配偶者が好機と判断して里帰りを勧めてくれたものと思われる。そして、帰ってきた次女を迎えて行ったのは近隣の「くら寿司」。入院前日(1/20)以来なので12日ぶりのことだが、違うのは、今回はアルコール抜きで寿司を食したところ。 アルコールを抜けば抜いたで、結構、別な寿司の味わい方ができるものだと今更ながら思った。本日(2/2)の病院での自宅療養の結果裁定が済んだら、リハビリを兼ねて次女をどこかに連れて行って慰労してやろうかと思っている。
さて、カミ様と次女・知子に付き添われて、退院後初の通院診断を受けるために藤沢湘南台へ。到着後、採血検査を受けてから鈴木先生の診断。在宅治療の成果も挙がって先生も「大分腫れが小さくなりましたね」と言われてからCRP値も0.8台に下がった旨伝えてくださった。しかし、ぶり返すことがあるらしく、「腫れが完全にひくまでは安静維持でスポーツもお酒も厳禁」というご託宣だった。歯科衛生士をしていたことのある知子だけに、目ざとくCRP値の記述を見つけたらしく、「0.3以下が安全領域なんだって」と後になって教えてくれた。その後イトーヨーカドー湘南台店を回ったりしたが、およそ半月ぶりの外出でクタビレタのか、帰路はカミ様運転の助手席で熟睡をこいていた。
                                        2018/2/2(金)


<リハビリの道を第一歩>
 来宅中の次女に促されてリハビリの道を第一歩。梅祭り初日というので、カミ様と3人で曽我梅園を訪れた。まだ1分咲きも良いところだが、梅の香りにのせられて梅園内を散歩し、良い歩行訓練をすることができた。そして、返す刀で、蠟梅祭さなかの松田町寄(やどりき)までN-Wagonでひとっ走り。ちょうど1年ぶりの寄再訪を果たすことができた。しかし、小高い坂の登り道にはさすがに参って途中でリタイア。10日間も入院して車椅子に依存していた結果、脚力が1年前と比べて段違いに低下しているのを実感した。しかし気力だけは旺盛で、更に小田原市内の「ういろう」に立ち寄ってその博物館に案内し、ちょっとした「小田原通オヤジ」ぶりを母子に示すことができた。
                                        2018/2/3(土)


<交遊関係も復帰に向けて順調に>
今日は上京して、豊島寮時代の仲間たちとの蕎麦打ち新年会。田中猛(通称:モー)さんの部屋「サロン・ド・モー」に屯していた仲間が例年行っている会で、モーさんと同室であった下山興一(通称:マンギ)さんが打つ蕎麦を食しながら談笑しようとする集いである。例年だったら、お酒を飲みまくりながらマンギさんの打つ蕎麦を賞味するのだが、今年はいまだ禁酒令中なので、シラフ(sober)を貫かなければならない。持ち寄ってきた銘酒を酌み交わすのを見ながら我慢我慢。しかし、お陰で初めてシラフで蕎麦を食して(sober soba)、その美味しさをたっぷりと堪能することができた。その上、長時間立ち尽くして、蕎麦茹で役や配膳のお手伝いなどの仕事で立ち動いているうちに結構リハビリ効果を上げられたことと思う。帰路は、しばらくぶりのロングウォークで活動させた脚が痛みを訴えていたが、無事に池袋からの大船行きに乗り、東海道線で間違いなく辻堂駅に帰着することができた。もし飲んでいたとしたら常習の乗り越しをするところだったが、間違いなくお迎えの車に乗り我が家のカミ様を喜ばすことができた。
東京に出かける前に、八幡山テニスクラブの仲間の加藤莞爾さん(通称:カンちゃん)からお見舞い交じりの電話がかかってきた。城山中学・小田原高校同期生でメール仲間の望月郁文兄(通称:モッちゃん)が理事長を務める宝安寺社会事業センターの主任をされている上田理さんのお父さんが個展を開かれているとのこと。上田さんは東北大学卒で、自らも水彩画をたしなむ加藤カンちゃんと別のクラブでテニス仲間だとのこと。来週水曜日(2/7)にはともに同社会事業センターの「まある」を訪ねて上田さんにお会いしようという話になった。昨年「小田高11期生‴個‴展」を開いて(11/15-30)以来、「まある」を通じて交友関係が広がっているのは嬉しい限り。私の交遊関係にも復帰に向けて順調に回復していきそうな兆しが見える。
                                        2018/2/4(日)


<思い出す”Enjoy troubles.”の教え>
私の入院と相前後して、城山中学・小田原高校同期生でメール仲間の山本哲照兄(通称:テッショー師)もノロ・ウィルスを引き込んでシッチャカメッチャカの日々を過ごしていたということが分かった。更に、タイ国滞在中の水口幸治兄(通称:ゴルフ君)に至っては、入院を擁するほどの大変な下痢に見舞われ、せっかく計画していたのにマレイシアまで出かけて喜寿の誕生日(2/4)を祝うことができなくなってしまった。
 ゴルフ君にとっては、とんでもない喜寿誕生日になってしまったが、私の古希誕生日もスゴイものとなった。2011/3/14に、原発事故発生により、いわきを脱出して西走して南下し那須塩原のホテルで宿泊し時ならぬ温泉入浴ができたところまでは良かったのだが翌日(3/15)がさあ大変。東北自動車道が震災で不通になっていたため、大混雑の国道4号線をチンタラ南下。15時間程ドライブして辻堂にたどり着いた。
古稀や喜寿は一つの大きな結節点で、各種のトラブルに見舞われることになるのかもしれない。しかし、その昔カナダを旅行(travel)中に教わった”Enjoy troubles.”の言葉を忘れてはならないと思う。実際に我が古希誕生日は思い切り疲れた誕生日だったが、良い記憶に残ることとなった。今回の喜寿を前にした災厄も”Enjoy troubles.”で乗り切らなくては。
                                        2018/2/5(月)


<2週間ぶりの早朝小田原詣で>
連日抗生物質を服用しているお陰で腫れも小さくなり痛みもなくなってきたが、このところの運動不足の影響はいかんともしがたく体力がガタ落ちになっているのを感じる。しかし、当たり前の生活ペースに戻すべく、水曜日恒例の早朝小田原詣でに向かった。但し、スポーツは禁じられているので、2週間ぶりに、ラジオ体操、朝食会に参加した後は、小田原テニスガーデンに顔だけ出して、加藤カンちゃんとともに「まある」に向かい、水彩画出展中の上田淳さんにお目にかかり、出展されている作品を鑑賞させていただいた。甲州のご出身だが昭和16年生まれの同年代で、お人柄が澄明で美しい水彩画の色彩に表れているように思えて嬉しかった。
理事をされているというモッちゃんの娘さんとお話しすることができたのも嬉しいことだったが、大磯のテニス仲間の中西義則さん(平塚在の税理士)の息子さんの豪君のお嫁さん・加奈ちゃんと出くわしたのにはビックリ。弁護士をしていて小田原に通っているとは聴いていたのだが、オフィスが「まある」からごく近いとのこと。「まある」は大繁盛だったが、色々な人との出会いができるようになったのが何より嬉しい。
                                        2018/2/7(水)


<高校同窓生との交流で元気に>
小田原の川東タウンセンター「マロニエ」まで、小田高同期生で「籠清」の社長をしている石黒駒士兄(通称:駒ちゃん)による講演「小田原かまぼこの歴史と発展」(0930~1130)を聴きに行った。昨年小田高11期生喜寿を祝う会(2017/11/11)に出席した駒ちゃん(1組)に、私と同級(3組)だった遠藤紀忠兄(通称:エンちゃん)がアプローチしてシルバー大学講演会の講師役を引き受けてもらったのだそうだ。それでもって、私とともに小田高11期の常任幹事を務めている太田充兄(通称:ミッチャン)が駒ちゃんと城山中学校時代の同級生(5組)を招集。そこで、講演会場には、城山中3年5組と小田高3年1組の連中が計10名ほど陣取ることになり、講演会の後には、近くの西武4階のレストランに集まって軽い懇親会を楽しんだ。 私は佐倉久隆、柳澤(旧姓:小沢)肇子に織田(旧姓:青木)照子(通称;テルちゃん)の3人の方に仲間入り。銘々車で来ていたのでアルコールは無しだったが、テルちゃんの闊達な話題を中心に盛り上がった。テルちゃんとは同じクラスになったことはないのにね。
駒ちゃんは、高校時代草野球(厳密には海岸野球)でかなりの速球を投げていたことから、てっきりスポーツ系人間だと思っていたのだが、そのなす講義は、お世辞抜きに実践的で面白いものだった。一生懸命調査した形跡があり、しかも調査した結果を衒学的に示すのではなく、自分の体験と照らし合わせて吟味し、聴衆に向けて分かりやすく提示しているところが如何にも‴大人の男‴らしく、人間的な豊かさを感じることができた。それでいて話しっぷりが威勢良いので、後刻「体はどこも悪くないの」と尋ねたら「心臓にパイプが3本」とか豪快に言っていた。
小田高同窓生による講演を聴いて「自分も自分の生きてきた道についての所見をまとめてみたい」と思っていたところにエンちゃんからのお誘いがあったので講師役を引き受けたのだそうだが、この歳になって、このような形で高校同窓生と汎クラス的交際ができるのは実に嬉しいことだと思う。通常講演会後の懇親会では講師がお客様になるところなのだが、なんと駒ちゃんが手際よく動いて全員分を支払ってくれていたことに気が付いた。「なに、話を聴きに来てくれたお礼だよ」とさりげなく話す駒ちゃんに改めて‴大人の男‴を感じ、「こりゃ、若いころはモテていたに違いない」と思った。
                                        2018/2/8(木)


<喜寿は病魔の寄り場なり>
私やゴルフ君、テッショー師が体調を崩していただけでなく、モッちゃんまでもが1月24日から2月2日まで、小林病院に入院していたということが分かった。昨年モッちゃんのお留守中にお伺いしたところ、奥方が「透析をしているせいかしら、やたらと忙しぶっている」とこぼされながら、透析日以外の日の超多忙ぶり生活の一端を披露してくださった。未だに現役を張っておられ心身とも色々疲れることが多いのだろうと思う。それにしても、城山中学・小田原高校同期のメール仲間で元気だったのは吹き矢君ただ一人だったことになる。つくづく「喜寿は病魔の寄り場なり」なのだと思わされる。ゴルフ君より、「世の中に寝るほど楽はなかりけり、浮世のバカが起きて働く」という戯れ言の紹介があった。私も、小田高時代に辻村先生から「睡眠時間中は死亡しているのと同じ状態」と諭されて以来、ついこの間までは「惰眠は罪悪なり」と考えていた。しかし、このところは一転して寝ることが楽しみになっているようだ。体の訴えるところに逆らわず、「無理ない生活」を尊び、静かな生活を楽しんでいくことにしたいと思う。


<蜂窩織炎完治の診断>
さて本日は2回目の退院後診断で藤沢湘南台病院へ。例によって採血をしてから整形外科受付ロービーで診察の時間待ち。LEDボードを見ていると、相変わらず鈴木先生の診察室は千客万来の様子で待ち時間が長そうだ。LEDボードには休診予定日を告げるページもあるのだが更新されていない部分もあって、1週間ほども経っているのに「✕✕医師休診 2月3日まで」などといった‴古新聞情報‴も混ざっている。LEDボードの更新はどの部門が担当されているか知らないが、「藤沢湘南台病院の情報管理システムは素晴らしい」と感心し続けてきた私にとっては見たくもない表示である。
さて、採血の結果、CRP値も0.28に下がっているとのことなので、鈴木先生から蜂窩織炎完治の診断が出た。2/6朝に北九州に帰っていた知子が前回の通院診断(2/2)の際に察知していた閾値0.3をようやく下回ったのである。これに伴って軽度の運動もOK。ついでに飲酒もと思ったのだが、カミ様が先回りして鈴木先生に「お酒は…ねえ…」と‴誘導‴質問したものだから引き続き禁酒ということになった。ことによると、鈴木先生は下戸なのかもしれないな。これで本日をもって入院(1/21)以来21日間ノーアルコール。このまま清く正しい聖人君子になってしまうのではないかと心配。 本当によく寝てばかりいる聖人君子なのだが。
                                        2018/2/9(金)


<リハビリを兼ねコート整備支援に>
昨日(2/10)は一昨日の診断を受けて、半月ぶりに大磯の平塚学園コートに行った。しかし、暫くの間体を使っていなかったので筋肉の衰えはいかんともすることができないので、同じく体調不良の高橋好文会長らと‟パラリンピック組”と称してリハビリ程度の本当に軽度の運動をするのにとどめた。
さて本日も小田原城山コートへ、仲間に入れてもらっている小田高テニス部OB会練習会に顔見せ参加。思えば蜂窩織炎の原因となった転倒事故が起こって(1/14)入来のことである。いつもならJR二宮駅から、大磯の平塚学園コートでも親しくしてもらっている後輩筋の白砂賢治さんの車に乗せていってもらうのだが、本日は白砂さんの娘さんとそのパートナーも参加するというので単身N Wagonで辻堂から直行。リハビリを兼ねてせっせとコート整備に励んでいた。するとそんなところに若手エース格の立木さんが奥さんを連れて来場。「あれ、楓香ちゃんは?」に「南足柄の実家においてきたんです」の答え。これで楽しみにしていたお祖父ちゃんごっこはできなくなったが、先輩筋で‴お嫁にさせたい女性“一押しの駒形加奈子ちゃんも来場、立木夫人と組んで白砂娘ペア相手に見事なダブルスプレイを見せてくれた。久しぶりに八幡山テニスクラブで大後輩の草柳さんに会えたのも幸運。嬉しそうに会話し過ぎていたせいなのか、幹事の足立久雄さんから「佐々木さん、また来てください。女性を集めておきますから。」と言われてしまった。当方、本来のリハビリの趣旨を貫徹すべく、その後曽我梅林に向かって、別所梅園で車を停め原梅園まで行き来して歩き回って流鏑馬行事と満開の梅花を心行くまで鑑賞することができた。このようにプラスアルファのあるリハビリは本当に楽しい。
                                       2018/2/11(日)


<今度は縫合手術を受ける羽目に>
2回目の通院診断(2/9)でOKが出るとともに退院以来リハビリを重ねたので、ラジオ体操と朝食会が済んでから、勢い込んで小田原テニスガーデンのコートへ。そして久しぶりにゲームに臨み、パートナーにも恵まれて初戦6-0次戦6-1の連勝。なんだか休場前よりもボールがよく見えている感じで、幹事の内田伊佐美さん(通称:ウッチャン)をはじめ八幡山テニスクラブの面々も「佐々木さん、前よりもうまくなったんじゃない」という賛辞仕切り。しかし、気を良くして臨んだ3戦目に賛辞が惨事に変わった。短いボールを追って前進する際に脚がついてこず、前のめりにつんのめって”顔面制動”することになってしまったのだ。
「大丈夫ですか」と心配してすぐに駆け寄ってくれた仲間たち。すぐに立ち上がって「いや、なあに」とうそぶく私。しかし、顎部から噴き出した血液の勢いは止まらず、たちどころにネット周辺の人工芝が赤く染まる流血の惨事となった。たちどころに現場退避。コートサイドのスタンドで‴保護者‴の二見明子さんや現役看護師の吉沢孝子さんらによる介護に甘えることになった。そして、顎部に止血テープを貼ってもらって、N Wagonで早目の帰宅。この間に出血が止まったかと思いきや、帰宅後顎部を手で拭ってみると掌に真っ赤な血痕が。カミ様が見てみると「結構傷が深いわよ」とのことで、探し当ててくれた最寄りの森整形外科にカミ様の運転で一直線。森英胤先生も傷が深いとの所見で「縫いましょう」と即断即決。リハビリ効果満点と見て「軽度の運動」をちょいと越えたばかりに生まれて初めて縫合手術を受ける羽目になってしまった。
この縫合手術には麻酔薬の注射が必要になる。48歳で盲腸炎手術を受けた時には呑兵衛ゆえかなかなか麻酔薬が効かないので3人分打ったため、麻酔薬後遺症が残り延々11日間入院の羽目となったので、カミ様は一瞬「えっ、麻酔!?」とどよめく。森先生は「そりゃそうですよ、麻酔を打っておかないと痛くて、佐々木さんに蹴飛ばされてしまいますもん。」というや否や、顎の奥部に達するまで麻酔針をブッスリ。その痛いこと痛いこと。思わず先生を蹴飛ばしたくなるような痛みであった。しかし、このところ禁酒をしているせいか、麻酔薬の効き目が良くて、難なく縫合手術を受けることができた。縫物と言えば女性の独壇場。できることなら柔らかな手付きの手弱女看護師さんにお願いしたかったところだが、見ていたカミ様によると、森先生の手は器用に縫合作用をこなしていたらしい。
そして再び、痛み止めとともに抗生物質内服薬を飲むよう指示が与えられた。面の皮の厚さでは人に負けない私の顔面に深傷を負わせた人工芝の強さも大したものだが、前のめりで倒れる瞬間に、生涯最重量になっている我が身が顎部に圧力をかけたこともこれにあずかっているようだ。同時に我が身は、右手にラケットを持っていたため、ひたすら支え手になった左手にも圧力をかけたらしい。左肘の部分に痛みが走る。「たかが転倒されど転倒」以上に、「たかが肥満されど肥満」を日頃の警句として加える必要がありそうだ。
                                       2018/2/14(水)


<怪我では「自分を責め」なくちゃ>
「怪我」は「我を怪しむ」で「自分でも思いがけないことになって、あんなことをしなければよかったと自分を咎める」という意味のある中国語に発する言葉だと思っていた。しかし、改めて調べてみると、中国語で「怪」は「責める、咎める」という意味で、これを「ケ」と読むのは呉音だとのこと。もともと「けがる・けがれる」という大和言葉があって、これに「穢る・穢れる」という漢字が当てられていたのに、当時の日本の有識者とされる誰かが、「自分を責めなくちゃならんじゃろう」とか考えて「怪我」という漢字熟語を”開発”したんじゃないかと思われる。
 「油断」とともに「怪我」が中国語の語彙にないということは、以下の笑い話からも明白なような気がする。
ある中国人の石油会社社長が日本の工場を見学に来て、壁に貼ってある「油断一秒、怪我一生」というスローガンを見て大変感心した。彼は帰国後、従業員全員を前にこう訓示した。「日本人は石油を一秒でも切らしたら、自分を一生責める。経済大国になったのも当然だろう。我々はこの向上心を学ぶべきである。
要するに、私の顔面制動による怪我は、「自分でも思いがけないこと」と自分では思っていたのだが、豊島寮仲間で先輩の辛島睦さん(通称:カラヤン)からメールにて、「3週間余も運動から遠ざかっていた人がいきなりテニスに挑戦するというのは、いくらなんでも無茶というものです。決して焦らずに、急がば回れです。今度失敗すると‴年寄りの冷や水″と言われますよ。」というお諫めを受け、やっぱり「自分を責めなくちゃならんのかいな」と改めて反省したりしている。
更に、東芝の同期生グループAbout38のメンバーの秋丸康彦兄からは、「人間は遊ぶ時間、酒量、射精量などほぼ平等になるよう神が采配を振っているとの学説があります。采配により早死にする人、病気で不能になる人がおり、貴兄ももう十分に遊び、飲んだのでそろそろ休みなさいとの神の啓示かもしれませんね」という「自分を責める」路線の”高邁な”勧告があった。
本日も、顎に大きな絆創膏を貼って、大磯の平塚学園コートには行ったが、最後までゲームには参加せず、遅ればせの自制をしたのだが、まだまだカミ様その他による「他制」の感が強い。「自分を責める」余地をなくするためには自制の度を高めるしかない。しかし、それにしても、白砂賢治さんと同様に小田高後輩筋の中村正和さん、吉川裕司さん、そして中村さんと大学同期の大谷康仁さんなど、昼食会にも付き合ってくれて自制の寂しさを和ませてくれるテニス仲間がいることが嬉しい。
                                       2018/2/17(土)


<生涯初の便秘の原因はいずこに>
尾籠な話だが私は生まれてこの方便秘の経験をしたことがない。男の美点とされる早寝、早飯、早糞を励行し続けてきているのだ。ところが今日の腹部の膨満感は一体何なのだ。便意は催すのだが何回トイレに通っても出るものが出てこない。便秘がこんなに苦しいものだとは思わなかった。
腸の内面を広げるとテニスコート1面分にも相当し、さながら花畑のように細菌類が生息していることから「腸内フローラ」とも呼ばれるという。そして、善玉菌と悪玉菌がいて、善玉菌は健康維持や生命活動のために有用な活動をしているという。蜂窩織炎の退院後治療のため抗生物質の内服が始まり、これに縫合手術後の抗生物質内服が続いた。点滴注射と違って、胃と腸を通じて患部に達する抗生物質だけに、腸内環境の整備に役立ち便通をよくする善玉菌まで殺してしまうのではなかろうか。
いずれにしても私にとって初体験の便秘を経験したのは、私にとって未体験の生活習慣をしたことに起因しているに違いない。とすると、もう一つ私にとって経験をしたことがない長期禁酒をしていることが便秘の原因になっている可能性もある。「お酒は百薬の長だからねえ」という声が聞こえてくるような気もしている。
                                       2018/2/18(日)


<対症療法は‟肩手落ち‴>
顎部の縫合手術の結果は順調で、数回通院して手当てを受けるだけで、2/23に抜糸できる運びになった。しかしこの間、森先生が「私はこちらの方を心配していました」と言われる通り左肘の痛みが取れないので、左肘のレントゲン写真を撮ったのだが骨に何ら異常なし。森先生の指示に従って左手を様々に動かしても異常はなく左肘が障害になることはない。そこで今度は、「現象(肘)の裏に本質(肩)あり」という‴森仮説″が登場することになった。森先生に言われるまで気が付かなかったのだが、左手が上に上がらなくなっているのだ。果たして左肩のレントゲン写真を撮ってみると左肩が怪しく変形しているのが分かる。痛んでいる肘に対して対症療法をとることなく、痛んでもいない左肩に肘の痛みの原因を求めようとする‴森仮説‴には、学生時代に学んだマルクス経済学に似た親近感が感じられる。政治思想としての マルクシズムとともに退潮してしまったが社会科学としてのマルクス経済学は健在なのだ。それこそ‟肩手落ち‟の対症療法の喧伝に明け暮れしている当節の経済学者や有識者たちにその本質追及の姿勢を学んでほしいものだと思う。
さて、この‟森仮説‟を検証するために、森先生は湘南徳洲会病院に電話して、2/24(土)夕刻に左肩部のMRI撮影を撮る予約を入れてくださった。更に、湘南徳洲会病院から送られてきたMRI画像を見て森先生が診断し、以後の診断計画が決定されることになった。肩の手術となると藤沢市民病院に入院して、専門の先生にお願いしなければならなくなるとのこと。メンドクサイことにならないよう祈って、明日から3日間福島県いわき市宅にこもって気分転換することにする。
                                       2018/2/19(月)


<読書家を驚かせるのは愚行なのだ>
PCメール環境がないいわき市宅にこもっている間に「重ねてのお見舞い」というタイトルの‴芳子姫‴からのメールが入っていた。「昨日、読書会の折、栗田さんから、お話を伺いました。テニスに復帰なさったことに、まずびっくり。えっ、転倒し4針もぬわれたなんて。驚きの声を上げました。」とある。大河内ゼミの仲間のMIKS会があるが、桑原芳子さんはその中心人物で「森芳子」の昔の名前(旧姓)を名乗ってきておられる。銘々が「仮説」を持つべきだというのが私の意見であって、今回‴森仮説″と称したのも森芳子さんを意識してのものであった。栗田信治兄らとともに読書会を開かれていて私も参加させていただいていたのだが、「古稀を過ぎたら‴読む‴のではなくて本‴書く‴(本格)的時代」と言い放って脱退したいきさつがある。しかし、読書会は相変わらず続けていて昨日(2/20)の読書会の席で、栗田兄から芳子姫に私の軽はずみな‴テニス界復帰‴の話が伝えられたらしい。やはり、熱心な読書家を驚かせるような行為は愚行ということになるのだろう。3月下旬(3/27)には喜寿祝を兼ねた懇親会を開いてくれるとのこと。 ‴本書く派‴としても、少しは「さすが」と思ってもらえるようなプレゼンテーションができればと思っている。
                                       2018/2/21(水)


<私の方が4周り‴先生‴だった>
昨日(2/22)夕刻いわきから戻ってきて、本日(2/23)は午前中が最終の湘南台病院通院診断、午後が森外科医での顎の縫合手術の後の抜糸通院。蜂窩織炎の方は前回の診断(2/9)に完治の診断を得たようなものなので、ぶり返しの有無をチェックしていただいただけ。前回2.28になっていたCRP値も更に0.23に下がっているので問題は無し。ここで、前回「軽度の運動ならOK」と診断されていながら迂闊にも「軽度」の域を超えたためコートで転倒し顎部に裂傷を負ったことを白状したところ、鈴木先生は「では、そちらの診療をしましょうか」と申し出てくださった。しかし、最寄りの森整形外科で縫合手術を受け、その後肘の治療も受けている旨説明すると、鈴木先生もご存知らしく「森先生なら…」と安心してくださった。なお、森先生から左肩にケンギがかけられており、左肘の痛みは左肩の損傷によるものだと言われているが、そのようなことはあり得るのか質問したところ「十分あり得ます。森先生の診察に従ってください。」とのことであった。鈴木先生には、ぶり返しの心配を含めて随分と気を使っていただいた。お礼のご挨拶とともに「先生のお名前“辰朗”さんからすると辰年と思えます。私は巳年の早生まれですから辰年と同学年です。3周り違うのでしょうか?」とお聞きしたところ、私は昭和63年(1988年)生まれです」と答えられ、なんと4周り違いで‴弱冠‴30歳だということが分かった。私の方が4周り先生(先に生まれた)だったのである。すんでのところで平成生まれ。今後の日本の医療界は老練の先生から、鈴木先生のように柔軟な判断力を有す若手医師の手に委ねられていくことになるのだろう。
午後の森外科医での顎の縫合手術の後の抜糸では、麻酔を用いないので痛さのあまり森先生を蹴飛ばしてしまうのではないかと思ったが、何事もなく無事に終わった。今回も同伴していたカミ様の言によると、森先生の手つきはなかなか鮮やかだった由。 整形外科医の適性検査には器用さという判断基準もあるのだろうか。
                                       2018/2/23(金)


<重厚長大で武骨な「最新鋭医療機器>」
毎週水・土曜日(私の場合は土曜日のみ)大磯の平塚学園コートでテニスを楽しんでいる仲間には「こゆるぎ会」という名前があるのだということを初めて知った。我が故郷の小田原には、神奈川県最古の市民劇団「こでゆるぎ座」もあることから、「こゆるぎ」の本家なのではないかと思っていたのだが、大磯町が「小余綾(こゆるぎ)の磯」、大磯~小田原西海岸が「こゆるぎの磯」、その沿岸沿いが「こゆるぎの里」と呼ばれているところからすると大磯の方が本家のようだ。この「こゆるぎ会」には、白砂賢治さんの他に、中村正和さんと吉川裕司さんと小田高の後輩が3人おり、何かと先輩面をさせてもらっている。昨年からは、これに中村さんと大学が同じの大谷康仁さん(横浜翠嵐高校卒)が加わったので、アフターテニスの昼食会をともにすることになっている。そしてこの日は、カミ様がN Wagonを使う予定になっていたので、藤沢市との境界線沿いにある鎌倉市手広にお住いの大谷さんにご足労いただいて、そのHarrierで大磯まで行き来をして、初心者にボール出しをしながらリハビリに励むことができた。帰宅後、湘南徳洲会病院に4:30pmまでに行くのにも、辻堂駅を越えての徒歩行。リハビリ効果満点の一日となった。
さて、かねて森先生が予約してくださっていた通りに5時からMRI検査。MRI検査は以前に受けたことがあるが、改めて調べてみると、MRIとはMagnetic Resonance Imagingの略で「磁気共鳴画像」なのだとか。実態は、MRI装置には磁界を変化させる巨大で強力な「電磁石」が3つ(3方向)あって、これが「共鳴」して、レントゲン写真ではなし得なかった画像を生成するものらしい。トンネル構造をしていて、トンネルの周りにぐるぐると巻かれていている銅線(コイル)に電流を流すことでトンネル内部に磁界を作りだしているのだそうだが、磁力の強さを変化させるために流す電流の量を調整したり、磁界のN極とS極を何度も入れ替えたりする時に、コイルが振動して大きな音を出すのだとか。MRIの何たるかを知ってから、トンネルの中に身を挺し不愉快な音に悩まされながら29分余を過ごしたが、どうも図体と言い騒音と言い、重厚長大で武骨に過ぎて「新鋭医療機器」のイメージと程遠い。お陰でMRI撮影の疲れがどっと出て、平昌五輪の女子カーリングで銅メダルを得た大和撫子の快挙を見ずに寝入ってしまった。
                                       2018/2/24(土)


<小田原市民の交流の場の親善大使たち>
ラジオ体操会場で岡崎住江さんから「今度、娘(真奈美さん)がロンドンで講演をするので、また展示をするためコケシを貸していただけないかしら」という話があった。私は「あのコケシは”まある”に寄贈したのですから藤井映子さんに頼んでください。私からも後刻お願いしておきますから。」と答え、実際に後刻「まある」を訪れてミーティング後の藤井映子さんからOKのお返事をいただいた。藤井映子さんは、平昌五輪を機に、コケシちゃんたちに様々なウインタースポーツの衣装を着けて園児たちとともに楽しんでおられる。この上、フリーライターの岡崎真奈美さんとともに、以前のロスアンゼルス行きに次いでロンドン行きできるのなら、コケシちゃん達は大変な幸せ者だと思う。昨年(11/11)ちょうど77人のエントリーを得て小田原の「音羽」で「小田高11期生喜寿を祝う会」を催した後、「まある」にて「小田高11期生‴個‴展」を開催(11/15-30)して以来、モッちゃんの‴個‴展でもある「まある」が小田高11期生の交流の場の一つとなることを念願し続けてきたが、その後展示会の企画が続いて持ち上がるとともに多くの小田原市民の交流の場となってきていて、その中でコケシちゃんたちが親善大使役を果たしてくれているのがとても嬉しい。


<「小田原は梅の里」を実感>
さて、今日の八幡山テニスクラブの練習コートは南足柄市運動公園。駐車場で降り立ってみるとテニスコート越しに紅白に咲き誇る花の姿が見える。いわき市宅に常住していた頃には、日本を代表する写真家・秋山庄太郎氏が、「福島に桃源郷あり」と絶賛し毎年訪れていたという花見山(福島市)を、当時の日本語研修生たちを連れて何回か訪れたことがある。「小田原にも桃源郷が!」という思いに駆られて近づいてみると咲き誇っていたのは白梅と紅梅であった。リハビリ代わりの2-3ゲーム参加もそこそこに、似非秋山庄太郎となり、似非花見山を撮りまわる仕儀となった。
南足柄市からの帰途には、飯田岡の「小田原フラワーガーデン」に立ち寄り本日から始まった洋蘭展を鑑賞した。ラジオ体操後の朝食会に参加されていた板橋在住の‴蘭師‴高橋さんからの情報を得て即行したものだが、洋蘭もさることながら満開の梅の景色の見事なこと。「桜狩人」を自認している私だが、今日は南足柄運動公園と小田原フラワーガーデンで思わず「梅狩人」ぶりを発揮することになった。重ねて訪れている曽我の梅林を思い起こしながら、「やっぱり小田原(及び南足柄)は梅の里なんだなあ」と実感するとともに、香りの良さにばかり美点を求めていた梅に、桜を凌ぐほどの見た目の美しさがあることを今更ながら悟った。
ラジオ体操の「和みの会」や八幡山テニスクラブの輪に加わることによって、それによって様々な副産物がもたらされるということを身近に感ずる一日となった。
                                       2018/2/28(水)


<私が蒔いた種、植えた苗って?>
本日に至るまで、モッちゃんが東海大病院で2時間の大手術を受け、2か月もいたとは全く知らずにいた。しかし、この大事は「まある」の従業員の皆さんにもあまり知られていないようだ。昨日も「まある」を訪れた際に「最近理事長はよくここに来るの?」と尋ねたところ、山北からご通勤の大和撫子さんは「いいえ」と心配顔をしていたが、頼みの藤井映子さんに同じ質問を繰り返したところ「最近はお元気になってウォーキングを始められたようですよ」というお話しでしたので安心したところだった。「まある」ではスタッフの皆さんが10名くらい集まって、藤井映子さんをリーダーとするミーティングを行っておられ、皆さん、真剣かつ平穏に討議をされていた。「これもモッちゃんの薫陶の賜物」と思われ、見ているだけで楽しい思いがした。「これまでに種まきや育苗は十分されてきたのですから、どうぞ若い穂の育ちぶりをゆっくりと楽しまれますように。」とモッちゃんに遅ればせのお見舞いメールを送った。
モッちゃんと違って私には、確とした種まきや育苗の影は残っていない。種は蒔き放題、稲は植え放題になっている状態である。しかし、第二の人生が進展するのに伴って、モッちゃんにはとても及ばないものの、それなりに蒔いたり植えたりしてきているはずである。「一体、私が蒔いた種、植えた苗って何なんだ」と問い直して第二の人生をラップアップしてみたいと思う。

 

<肩部MRI撮影の結果を追う>
湘南徳洲会病院で撮ってもらった肩のMRI撮影の結果が届けられているというので、森整形外科に行って処方をうかがった。MRI撮影では、棘上筋腱断裂、上腕骨頭の骨挫傷疑い、肩鎖関節の変性性変化と肩甲下筋腹側の血腫疑いの4点が問題点として指摘されている。テニスコートで転倒した(2/11)ことが原因のすべてではないようだが、右手にラケットを持っていたものだから、転倒する際に左手でかばい、それが左肘をねじらせるとともに、体重が左手を通して肩部に影響し炎症をもたらしたらしい。 肩の手術を受けるとすると、藤沢市民病院への入院を余儀なくされ容易なことでは済まなくなる。そこで、森先生が下した結論は、半月間ほどリハビリを行って好転の兆しがなければ肩の手術を決意することにしましょうというものであった。
早速リハビリ室に入ってみると、外部からは想像もできないほどの広さがあり、機械類も整えられていることが分かる。その中の両手上げ下げ練習用のマシンを使って手を上に揚げる練習を行った。右手は難なくあげられるが左手がなかなか上がらない。しかし、左肘の痛みをこらえて練習しているうちに左手もかなり上がるようになってきて、終了した時には爽やかな感じさえ持てるようになった。あれあれ、現象(肘)を見ずに本質(肩)を見抜いていた‴森仮説‴が正しいと思っていたのだが、実際は、肘の痛みが本質で、それが原因で肩が上がらないという現象が起こっていたのかな?いずれにしても、肩の手術は受けなくても済みそうな気配が感じられる。看護師さん(トレーナー?)が「佐々木さんは‴若い″んだから頑張っていきましょうね」と‴過分な‴声援を贈ってくれるのも嬉しい。リハビリ通院を続けるとともに、家庭内でも、森先生から教わった肩のリハビリ運動を、カミ様とともに朝昼晩繰り返していこうと思う。
                                       2018/3/1(木)


<41日ぶりの乾杯>
 水曜に次いで強風であった昨日(3/1)も休んでいたインターバル・ウォーキングをして森整形外科に行った。万歩計によると4,500歩弱、程よいエクササイズだと思う。そして早速リハビリ室に入って昨日と同じ滑車マシンで左手の上げ下げの訓練。‴片手落ち‴にならないよう、左手(右手)を上げる時には滑車を通して右手(左手)が引き下げる役を果たす。相変わらず左肘に痛みは残るものの左手の押し上げもスムーズにできるようになり、トレーナーの「綺麗に伸びています」の声の頻度も高まってきた。心配していた肩の手術を受ける必要がなさそうなので嬉しくなって、帰宅してから41日ぶりに焼酎「黒うま」で乾杯。これまで飲みたいと思う気持ちがなかったのが不思議なくらい。後2週間ほどリハビリを続けて森先生の処方をいただくことになる。
                                       2018/3/2(金)


<精神の強度維持も忘れずに>
ノー天気な私は、一時は「なあに怪我の功名なんてのもあるんだしさあ」と気楽に受けていたのだが、PC工房に立ち寄ったところ(1/16)、思わず机上から落下させてしまったPCの外部HDDが取り返しのつかない”怪我”を負っていることが分かり落胆していた。「なあに記憶さえバックアップできれば問題ないさ」と気楽に思っていたのだが、メモリーまで損傷していて復旧できないとのご託宣を受けたのだ。怪我の功名どころじゃない、まさに「記憶喪失人間の今後や如何に」という心境であった。
ところが、最近になって浜松市にあるという日本ソフト販売という会社から電話がかかってきて、記憶復活の希望があるということが伝えられてきた。更に、PC工房から送られてきている壊れた外部HDDの精密検査をしていて、代金20万円を支払えば記憶のバックアップが可能だという。 20万円は大金であるし、バックアップできる範囲にも制限があるということだが、2001年からの第二の人生の間に蓄えてきた記憶は自分にとっても価値があるものであるし、実際に外部HDDが検索できなくて困っているという実態もある。足腰をはじめとした体の健康とともに、記憶をはじめとした精神の強度維持を図って喜寿の日を迎えたいと思う。
                                       2018/3/6(火)


<改めて知る「継続は力なり」の有り難み>
「血圧130以上の人は朝に血圧サージというのが起こって病に至ることがあるとテレビで言ってたわよ」とカミ様に教えられていながら、いつも服用している抑圧剤を飲み忘れて、今日はことさらに寒い小田原のラジオ体操会場へ。ラジオ体操の時間帯も一時に比べて大分明るくなっているが、3月から復帰とお聴きしていた「和みの会」会長の浅田絢子姐さんは未だ復帰されておらず、後に朝食会で「今日は出かけようかと思ったんだけど、この寒さじゃね」と‴春まだき‴の心境を吐露されていた。この後を継いで、「もう3月。カレンダーは佐々木さんの絵。良いわねえ、あの花何、水仙?」という引き続いてのご質問。 東芝在籍時代からの木版画の仲間「版ぎ会」で制作したカレンダーのことを仰っているのだが、3月の絵柄に使ったフリージャが水仙と見られたのはちょいと残念。しかし、下手っぴ木版画制作は私が続けている唯一の芸術活動。「説明画を描いているわけではないんだから、何を描いているか分からなくたっていいんだもんね」と開き直って、今後も木版画仲間の輪に加わって捜索の楽しみをともにし続けていきたいと思う。
 朝食会ではまた、渡辺アキヱさん(亀山忠彦さんとラジオ体操仲間同士の老いらくの恋でパートナーになっているのだが結婚の形はとっておらず別姓を名乗っておられる)が、「昨日の朝日新聞に‴高齢期に2週間、寝たきりの状態になっていると、7年分の筋肉を失う”って書いてあったわよ」という驚くべき話を聴かせてくれた。えっ、7年間分もの体力維持・強化の成果が2週間寝たきりになっているだけで消滅しちゃうの!?私如きは今回、入院に続いて2週間あまり寝たきりに近い生活をしていたのですから筋肉は十分落ちているのだから、「リハビリ効果は充分」と思ってコート上に立ったのは早計で、転んで縫合手術を受けるのは当たり前だったのだと改めて思った。
クソ寒いなか、血圧サージと体力減退を気遣いながらの小田原テニスガーデンでのテニスも決して楽しいものではなかった。テニスにも結構メンタルな要素があって、集中力を欠くと即勝率が低下する。また、「こいつにはあまり負けたことがない」と思う連中も、私の休場中に練習に励んで腕を上げているのも確かなようだ。下手っぴ幕下テニスプレーヤーと全く違う横綱だが、休場続きの稀勢の里もうまく土俵復帰できるだろうかと余計な心配もしてしまった。
いずれにしても、渡辺アキヱさんが続けて教えてくれた「筋肉は使わなければ使えなくなる。運動は続けることが大事。」の言は、こと運動に限らず大脳組織についても同様なことが言えるのであろう。改めて、「継続は力なり」という言葉の重さを思い知らされた。


<スマホの効能を伝えたい>
小田高11期生の幹事をしているが、「メールはダメ、ファクシミリでなきゃ」という人が多くてその対応に結構手がかかっている。「PCを持っていないから11期ホームページ(略称:Web11)を見たこともない」という人も多くてせっかくのWeb11も宝の持ち腐れになっている。そんな折に、「小田高11期幹事会(3/16)開催をファクシミリで告げておいた町田(旧姓:田中)和代さんから「出席」の旨の電話がかかってきた。そこで、「スマホは使ってないの」と聞くと「今電話しているのがスマホ」とのことなので、「あのね、スマホでメールを受けたりホームページを見たりすることができるんだよ」とエラソーに告げておいた。幹事会の際には、吹き矢君に対してPC指導中のテッショー師からクラスメートの和代さんにスマホによるメール受信やホームページ閲覧の仕方を指導してもらおうかと思っている。
しかし、「スマホ使いのスマホ知らず」は決して他人事ではない。朝食会後、いつものように小田高同級生でラジオ体操仲間の根岸俊郎兄をN Wagonで自宅まで送っていったところ、珍しく娘さんの小林祐子ちゃんが顔を出したので、慌ただしく挨拶を交わしている時にジャンパーのポケットから万歩計がポロリ。 祐子ちゃん「あら、万歩計をお使いなんですか」と言いながら「佐々木さんのスマホを見せてください」の一言。そして簡単な操作をした後「スマホには万歩計ソフトが組み込まれているんですよ」と言って、「本日(3/7)の歩数3,500」と表示されているのを見せてくれた。いやはや、先生は「先に生まれた人」ではなく「先に生かした人」なんだなと実感し、祐子ちゃんにスマホ弟子入りすることを認めてもらった。
 入院してから改めてスマホについて学んだところもあるので、できる範囲でスマホやタブレット端末についての啓蒙を志し、同年配者のデジタルデバイドの軽減をサポートしていけたらと思う。「デバイド」とはいっても、大きく財力格差にかかわるものではないが、夫婦で体力強化のためのインターバル・ウォーキングを始めるに当たって、万歩計の購入に無駄な時間を費やしたことを考え合わせると、生活の快適さや楽しさ、人的交流範囲の拡大にスマホやタブレット端末が貢献できるところは存外大きいのではないかと思う。
                                        2018/3/7(水)

<いざ「第二の人生総括中期」へ>
水曜日以外は自宅にてラジオ体操の後に、森先生から指導していただいた左腕を持ち上げる運動をカミ様協働のもとに毎日実施。また、時を見ての森整形外科医リハビリ室へ通ってのリハビリ体操を重ねることによって左腕の持ち上げがかなり自由にできるようになってきた。左腕が痛むところは変わっておらず、毎朝毎回運動を始める時の痛みはこらえがたいほどのものであるが、運動をしていくうちに痛みが軽減していくのがわかる。予めのご指定により森先生にご診断をいただき、その旨述べると、森先生は「朝方特に痛むのは夜間に左腕を使っていないからだ。動かさないでおくと動かなくなる。痛みが消え去るまでには時間がかかるが、リハビリ体操を続けていって2週間したらもう一度様子を見てみましょう。」以前に朝食会で渡辺アキヱさんが伝えてくれた言葉「筋肉は使わなければ使えなくなる。運動は続けることが大事。」と一脈通ずるところがある。いずれにしても、肩の手術が不要と分かっただけでも大きな喜びだ。「体も頭も使い続ける」ことをテーマとして、明日(3/15)の喜寿の誕生日から傘寿までの「第二の人生総括中期」に臨むこととする。
                                       2018/3/14(水)