「藤(ふぢ)」の「ふ」は「増える(ふるえる)」の「ふ」で、「ち」は「血(ち)」「乳(ち)」の「ち」の“ほとばしり出るもの”のことで、「ひとつのところからたくさんの花びらがほとばしり出て五月の風に揺れながらたくさんの花(=ふるえている)が垂れ下がっている」というのが語源だという説があります。どうみても“ほとばしり出て咲く”といった風情はありません。“藤”圭子さんが唄っていた 「夢は夜開く」には♪どう咲きゃいいのさこの私♪という一節がありますが、藤の花にはよくわきまえているところがあって、静かに一つ一つ開花して身を飾る穏やかな風情が漂っている気がします。花言葉にも「歓迎」、「恋に酔う」、「陶酔」があるそうですが、「恋に酔う」や「陶酔」を感じたことがありません。「出過ぎることも退き過ぎることもなく歓迎の気持ちを示してくれる」というのが私の感想ですが、諸兄姉はどうお考えでしょうか。
幼少の頃から私にとっての藤の花は、今でも小田原市の名所の一つとされる「御感の藤」(ぎょかんのふじ)が全てでした。大正天皇が皇太子の頃、フジの花の下に召馬が駆け込み、肩に花が散りかかってしまった時に皇太子が「見事な花に心なきことよ」と感嘆されたことから「御感の藤」と名付けられたのだそうですが、私たちはひたすら「藤棚、藤棚」と称してフナやザリガニ釣りのために傍らの池にも親しく脚を運んでいました。小田原市の花だと思っていた藤の花が実は藤沢市の市花だと知ったのはつい最近のことでした。藤沢市内に設けられている「春の“フジ・ロード”」を辿って、我が“第二の故郷”の市花のスポットを辿って歩いて藤の花の美しさを堪能したのですが、同時に藤沢市の「藤沢」の名が記されているのは14世紀に発行された「太平記第十巻」になって初めてのことだということも分かりました。「藤沢」の地名も「藤の花が美しい沢」に由来しているに違いないと思いました。
ところで、日本人には、「○藤」または「藤○」といった形の“藤がらみ”の姓が多いですね。これは、平安時代に栄華を極めた藤原氏の影響と言われていますが、根っ子は、大化の改新の中心人物となった中臣鎌足の子・藤原不比等[ふじわらのふひと]が、中臣鎌足が亡くなる前に「藤原」という姓をもらったところにあるということが分かりました。栄華を誇った藤原の系列であることを示すために、加賀の「加」を取った加藤、肥後や備後、越後、丹後、豊後、筑後などの「後」を取った後藤、近江の「近」を取った近藤、遠江の「遠」を取って遠藤、尾張の「尾」を取った尾藤等々、藤原一族の面々が控えめに藤原の「藤」だけもらって新しい名字をつくったようです。
「○藤」系では最多100姓リストに、佐藤(1位)、伊藤(6位)、加藤(10位)、斉藤(20位)、斎藤(21位)、後藤(33位)、近藤(35位)、遠藤(38位)、安藤(68位)、工藤(72位)の10個が入っていますよ。但し、全国で最も多い名字である佐藤は、地名(佐賀・佐渡)に由来する場合だけでなく、職業に由来する場合もあるそうです。上位100の名字のうち10%、上位50に絞って言えば16%ですからなんともスゴイ「○藤」さん勢力です。しかし、一方の「藤○」系では、藤田(37位)、藤井(44位)、藤原(56位)の3姓が上位にランク入りしているだけであり、地名として生成される際に、『縁』や『淵』が『藤』に変化した名字もかなり含まれているそうです。特に与党系の国会議員職が世襲化されていますので、安倍晋三さんはお子さんがおられないので無理な話だとして、小泉純一郎さんや石原慎太郎さんの権勢を引き継ぐ「○泉」や「石○」という姓が将来の日本の主流を占めていくようになるかもしれませんね。
「藤○」姓の藤井暉生兄(7組:通称テルさん)が急に逝去されたのは私にとって大きなショックでした。藤の花と同じく「出過ぎることも退き過ぎることもなく立場所にいながらしっかりとした存在感を示してくれていた」テルさんを偲びながら2018年カレンダー用に作成したのが以下の木版画でした。相変わらずの下手っぴな出来ばえですが、藤井暉生兄生前の姿と重ね合わせて見ていただける方がおられたら幸いです。 |