ちょっと発表


(「花の言葉に耳寄せて」Part 8)
タマスダレ&クチナシの花の巻

3組  佐々木洋   

 涼しくなるとともに、朝の散歩の途次に聞こえてくる花の言葉が少なくなって寂しい思いがします。しかし、我が家に帰り着いてみると、RC(RabbitハウスのCatの額ほどの)庭で白い花を咲かせているタマスダレが爽やかな声で話しかけてくれました(上男)。「おお、タマスダレ君達、そうか9月は君たちの季節だったんだね」。そう言えば、木版画の仲間「版ぎ会」で作っている今年の木版画カレンダーの私の担当月が9月で、「タマスダレの白の美しさを表現しよう」などと下手っぴ版画師にはおこがましい思いを込めて制作した作品が居間の壁にかけられているではありませんか(下段)。

 

 タマスダレは日本固有の花かと思いきや、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイのラプラタ川流域及びチリ、ペルー原産で、ヨーロッパからインドを経て日本に渡来したのは明治時代初期の1871年頃だそうです。丈夫で美しい花なので現在では日本各地で育てられていて、性質も強いので半野生化した場所も多く見られ、どこでもよく植えられてよく見かける花なので日本の風景にもよく馴染んでいるのですが、私に成り代わって即興俳句詠みに携わってくれている俳号・高幡大馬王殿の調べによると、角川歳時記にも「たますだれ」は季語として載っていないようです。しかし、「白い花が珠(タマ)のようで、細い葉が簾(スダレ)のようだから珠簾という名がついた」という命名の妙に感じ入って以下の句を献上してくれました。


新涼や名付けて妙の珠簾      高幡大馬王


 タマスダレの花言葉は、その属するゼフィランサス属の総称の花言葉でもあり、「汚れなき愛」「純白の愛」「期待」「便りがある」などがあります。「汚れなき愛」や「純白の愛」の花言葉はタマスダレの純白の花からと言われ、「期待」や「便りがある」の花言葉は、ゼフィランサスの語源である西風を意味する「ゼピュロス」に由来し、「風が便りを運ぶ」という意味で付けられたのだそうです。

今回の「花の言葉に耳寄せて」Part 8では、“ついでに”クチナシの花をご紹介します。“ついでに”というのは、我らが「小田高11期生の“個”展」の拠点である「茶のまある」のマドンナ・藤井映子さんの「中澤さんは渡哲也に似ていらっしゃる」という言葉から、「中澤秀夫兄(7組)のニックネームは不渡君だ」と衆議一決していたのが、渡哲也が亡くなって以来、水口幸治兄(7組)ご夫人より「クチナシ君に改名したら如何かしら」という動議があり、それをめぐって議論が渦巻いているからです。山本哲照兄(7組)が「中澤は口数が少ないからクチナシが最適」と称賛するのに、ご本人は渡哲也がCMに携わっていた清酒「松竹梅」の方が良いと言い出す始末。私も私で「それでも“死人に口なし”なんて言うしなあ」とブツブツ。いっそのことクチナシの一部始終を調べ上げてみなくちゃという雰囲気になっているのです。

改めて調べてみるとクチナシは、渡哲也が「くちなしの花」で♪くちなしの花の 花のかおりが 旅路のはてまで ついてくる くちなしの白い花 おまえのような 花だった♪と唄いあげている通り、「クチナシの花は、見た目の美しさと香りが抜群によいため、生け花の切り花として使われる」などといった誉め言葉ばかり。「ジンチョウゲ、キンモクセイと並んで『三大芳香花』『三大芳香樹』『三大香木』の一つに数えられる植物」という花木界では“ひとかどの人物”という評があります。学名(種名)jasminoides は「ジャスミンのような」という意味があるそうです。植物学会でも「ジャスミンに似た強い芳香がある花」という定評を得ていたんですね。


それにしては「クチナシ」という花名が何とも情けないもののように思えます。語源には、「果実が熟しても裂開しないため、口がない実の意味から「口無し」という説、上部に残る萼を口(クチ)、細かい種子のある果実を梨(ナシ)とし、クチのある梨の意味であるとする説など諸説があるそうですが、いずれもパッとしない命名です。これでよくも、マスメディアも発達しない時代に日本中に「クチナシ」の名前が行きわたったものだと思います。原産地論がまた然りで「日本・中国・台湾・インドシナ」と列挙されていて、どこが原産なのか分かりません。東アジアの朝鮮半島、中国、台湾、インドシナ半島に広く分布し、日本では本州の静岡県以西・四国・九州、南西諸島の森林に自生していたのだとか。

足つき将棋盤や碁盤の足の造形は、クチナシの稜のある果実を象っているのだそうです。ここでは「打ち手は無言、第三者は勝負に口出し無用」、すなわち「口無し」という意味がこめられているのですね。将棋や囲碁の世界にも、少しはダジャレが通ずるところがあるようですね。

 クチナシの中国名は「山梔」で、日本でも「山梔子」、「梔子」といった漢字表記がされます。花言葉も、「優雅」「喜びを運ぶ」「幸せを運ぶ」「清潔」「私は幸せ」「胸に秘めた愛」といった立派な言葉ばかりで、どこを探してもクチナシには“死人に口なし”といった暗いイメージを示す表現が見つかりません。どうも、渡哲也は「くちなしの花」を唄って、花木界の“隠れた逸材”をスターの座に押し上げたかったのかもしれませんね。即興俳人の高幡大馬王殿も、「山梔子の花」が夏の季語だということを見破った上で、「8月に亡くなった渡哲也さんへのオマージュを込めて」次のような俳句を作ってくれました。


  くちなしの花 唄ひし彼の 秋彼岸   高幡大馬王


 なおクチナシは、食用にも供されるということを知りました。高幡大馬王殿はとっくにご存知で、「クチナシ(山梔子)の実を用いたお正月の栗きんとん。母が、くちなしの実でいい色にきんとんが煮えたと毎年自慢するのを思い出しました。クチナシの実はただの着色料ですが、色鮮やかだと一層甘く感じる気がします。」と述懐しながら次の句を贈ってくれました。


  山梔子の色や きんとんなお甘し   高幡大馬王

 
 乾燥果実は、生薬・漢方薬の原料にもなっているそうです。果実を水で煮だしたエキスには、胆管や腸管のせばまりを拡張させる作用があるということから薬用としても広く使われていたのではないでしょうか。それでもって、「これを用いれば我が心身に“朽ち”ること“なし”」なんてことになってクチナシと名付けられたんじゃないのかなあ。不渡君も「傘寿にして我が心身健康に“朽ちなし”」と思し召されて、「クチナシ君」という美しいニックネームに改名することにしませんか。


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