ちょっと発表


今日からeighteen years young」と思った日に

2021.03.24 

3組  佐々木洋  

 3月生まれのため、11期生の皆さんのしんがりを務めるような形で、ようやく傘寿の誕生日を迎えました。ちゃっかりとeightyのはずをeighteenとしoldをyoungと“偽装”して、「今日からeighteen years young」などとボケながら、それでも真面目に、少しでも若々しく過ごしていきたいと思っていたところ、「若さのバロメーターは好奇心の旺盛さである」という言葉を思い出しました。好奇心が良い刺激となって心身の活動の活性化を支えてくれている状態を「若い」というのだと思います。

 人一倍拗ねやすい性格なものですから、緊急事態宣言が通告されて以来、「どうせ私なんか存在自体が不要不急なんだから」と拗ねていて、誠に素直に不要不急の外出規制要請に応じてきたのですが、この間に好奇心欠如が響いて心身に”出不精によるデブ症状態”が募って「若さ」がそこなわれていたように思えます。緊急事態宣言の解除は延期されたものの待ちきれずに不要不急の外出を再開してみると、“外界”には実に豊かな好奇心のネタがあるものだと痛感しました。つい最近は、どうした話の続きだったか、壇蜜の話がでましたよ。

 チョイと気になっていた女性なのですが諸兄姉はご存知でしたか壇蜜のことを。壇蜜は、事故で亡くなったりした人たちの遺体を修復するエンバーマー(遺体衛生保全士)という仕事につきたくて資格を取って葬儀社に勤めていたそうですね。「エンバーマーの仕事は、自分を客観視できないと務まらない」と悟ったとのことなのですが、壇蜜は「自分を客観視」することができるからこそ、きちんとした聴きどころのあるコメントをすることもできるのだと、その醸し出している不思議な魅力の裏側を知ることができたような気がしました。

 かなり売れているライターだという「近藤正高」の名前も初めて聴きました。近藤正高さんとの対談では壇蜜が「私、壇蜜っていうのは“齋藤支靜加[結婚前の本名]がサービス精神を持ったもの”って思ってますし、自我を二の次にしている点は、グラビアの仕事と通じるものがある」と語っていたそうです。このあたりについて以下のように表現している近藤正高さんも流石だなと思いました。
 <グラビアアイドルは裏方というのが、壇蜜の持論だ。《主役は、読者であるような気がするんです。お金を出して、それを手に取ってくれている人間が、いちばん盛り上がらなくてはいけない。私は、その人たちを楽しませるだけの者に過ぎない気がして》と彼女が話すグラビアの仕事は、たしかにサービス精神なしには成り立たない。>

 世の中ニュースショー番組花盛りで、どの局もニュースキャスターやコメンテーターの頭数を揃えるのに躍起になっているようですね。中には「どうしてこんなヤツを起用してるんだ」と腹立たしく思える「ノータレント・タレント」も多いのですが、“異質”タレントの壇蜜の言には素直に耳を傾けたくなるところがあります。久々に不要不急の外出をしてさりげなく交わした会話に出てきた壇蜜の人柄に好奇心を寄せたお陰で、「信頼性のあるニュースキャスターやコメンテーターに限らず、優れたコミュニケーション能力のある人物は“自分を客観視する力と“サービス精神”の持ち主である」という仮説を得ることができました。

 東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗前会長が女性蔑視発言の責任を取って辞任したばかりだというのに私と同姓同名もどきのクリエーティブディレクター佐々木宏さんが同じく女性蔑視の言動により辞職する羽目になったのは残念な限りです、これに先立って「今度アメリカ進出を発表した芸人渡辺直美デブに興味があるなあ」と語っていた友人がいました。こちら佐々木洋は、「渡辺直美ちゃんも“異質”には違いないけど“あれで、アメリカで売れるのかなあ”と疑問だね。もっとも、トランプ前大統領のような“異質”な人物に熱狂的なファンがいる国だから、ひょっとすると売れるのかもね。しかし、“これぞ日本の女性!”なんて賛美されたらイヤだなあ。」と、同じデブ体質だけに「渡辺直美デブ」を「渡辺直美ちゃん」と入れ替えて返しておきました。

 ところが今度は、佐々木弘さんが佐々木洋の好奇心の対象になりました。前回のリオ・デジャネイロ・オリンピックの閉会式のステージ上で和服姿の小池百合子都知事が機嫌良さそうに五輪旗を振っているところに突如として安倍晋三前首相を登場させた一件の張本人だと分かったからです。安倍さんがスーパーマリオのいでたちで現れたのは、今や“アニメ王国”になった日本をアピールする上で秀逸だったのですが、IOC(国際オリンピック委員会)総会で次回開催都市は“Tokio”と告げられ「次は自分が主役」と張り切っていた小池百合子女史に対する注目度が急に下がって気の毒に思えたことがあったからです。

 猪瀬直樹元知事なんかは自らIOC総会に於ける最終プレゼンテーションで上手な(?)英語で“Tokio”をアピールし、東京オリンピック・パラリンピック招致の立役者の一人とされているのに、小池百合子女史は都知事に就任した当座こそ、ボート競技会場の変更などを巡って“雄々しく”活動していたものの、その後はオリンピック組織委員会の意のままになっていますものね。さては森喜朗と佐々木弘、オリンピック組織委員会の面々は揃いも揃って女性蔑視論に凝り固まっていたのかな。それにしても、オリンピックの準備態勢について小池百合子女史が口癖にしていた「改革」が少しもなされておらずわけが分からない状態になっているのが不思議ですね。

 ことによると、コロナ対策における小池百合子女史の無為ぶりを見ていると、日本では国から都道府県への権限移譲がなされていなくて、「“Tokio Olympic”も実質的には”Japan Olympic”の形でしかできないのだよ」ということを森喜朗・佐々木弘の組織委員会ラインは、安倍スーパーマリオを通じて小池百合子女史にもわからせたかったのかもしれませんね。いやはや例を挙げるときりがありませんが、ふとした会話から良い刺激を受けて好奇心を働かせることが色々考えることを促進し精神面の活性化に役立っているようです。

 また、半年ぶりにスポーツを楽しんでみようとしても身体が思うように動かなくなっているのに気が付きます。すこし走ってボールを打とうとしたら、つまずいて転倒して負傷したりしますので要注意です。もともと下手っぴなテニスなのですが、以前のようにラケットにボールが当たらなくなっているのです。思うに、以前“不要不急”のラリーをしていた時には、目がボールの動きを刺激としてとらえ、右脳がその視覚情報を手や足に伝えることによって、それなりに打球に対応できていたのだと思います。「人間は自ら自然と運動を学習する能力を生まれ持って備えている」という理論が思い起こされるところですが、これも、良き刺激を受け続けることによってこそで、身体の器官が自ら学んで若々しい対応を保つことができたのだと改めて実感しています。

 要するに、私がとっていた行為は決して“不要不急”の行為などはなくて、良き刺激を受けるための“要急”の行為だったのだと今頃になって気が付きました。安易に不要不急の外出規制要請に従ってきたために、良き刺激を受けそこなってきた、そこに老化現象が忍び込んできていたのです。実際には、ZoomなどのITC(情報通信技術)を用いたバーチャル外出でも良い、コロナ・フリーの時間と場所を選んでラケットやクラブの素振り練習をするのでもいい。不要不急の外出規制要請の波にのまれて刺激の乏しい孤独の地位に安座して無為に過ごすことはやめようと、「今日からeighteen years young」と思った日に自分に言い聞かせたことでした。


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