ちょっと発表



思い出す旨かったもの −その2− 「尻内の蕎麦」

  2014.01.23    2組 下赤隆信

 尻内(しりうち)は青森県の八戸近くの地名である。
 昭和40年代後半ころの秋だったような記憶がある。仕事で八戸へ向かっていた。
 じつは前の夜、盛岡で飲みすぎて、あまり食欲もなかったのだが、とにかく何か腹に入れておかなければと思っていたら、前方にドライブインが見えてきた。
 車を止めると遠くで見ていたものとは違ってだいぶ大きな構えの店であった。一階が一般の旅行者向けの食堂で、二階は地元の人たちが利用する宴会場になっているらしかった。そういえば、前の駐車場には送迎用のバスが何台か止まっていた。

 時間もあまり無いので軽いもので済ませておこうと、もり蕎麦を頼んだのだが、やがていかにも東北の子らしい女の子がにこにこと運んできたものを見て、おやっと思った。お盆の上に丼がのっている。かけじゃないもりなんだがと良く見ると丼に入ったもり蕎麦であって、別にちゃんと蕎麦つゆの徳利と蕎麦猪口がついている。まあいいやとにかく早く済ませて道を急がねばと一箸つまんだのだが、一口目が失敗だった。普通の蕎麦の感覚でつまんだのだが、分量が多すぎたようで蕎麦が口の中一杯に広がり、いつまでたってもその一口が呑みこめない。するっとすすりこむようにはいかず、一口一口良く噛みながら箸で小刻みに送り込んでゆかないといけないといった蕎麦なのだ。つまんでいる割り箸と同じ位太い。腰が強く、箸でつまんでも少し左右に突っ張っているような具合である。色は黒くて太さもばらつきがあり、蕎麦打ちの技としてはあまり上手とはいえないと思われた。

 しかし、その味たるやこれが、不思議なことに旨いのである。蕎麦本来の味がむんむんする。強い香りがあり、味が濃厚で甘味もある。地元でとれた蕎麦を脱穀して粉に挽きすぐ打ったもののように思える。口の中に入れるとすぐ一杯になってしまうような太い蕎麦をすこしずつ食べていると口中に旨味と香りが広がり箸がとまらなくなるが、するするとのど越しの良いというわけにはいかず、噛むのに忙しいが旨いのでついつい次の一口を送り込んでしまう。
 しまいには顎が疲れ、こめかみが痛くなってきた。それにあまり時間がない。しかし旨いので残すわけにはいかない。残しては悔いが残る。一生懸命に食べた。しかし時間が迫っていて後ろ髪を引かれる思いで五分の一ほどを残して席を立った。そして八戸へ向けて車を走らせながらこの不思議な蕎麦のことを考えた。

 蕎麦の実を、米で言うと精米しない玄米の状態で丸ごと粉にすると、自家製粉のレベルでは粒子が粗いそば粉になり、細い蕎麦は打てないそうで、それがつなぎを入れない十割蕎麦だと尚更で、そのため新潟長岡の「へぎ蕎麦」などは布海苔をつなぎに使っているという。
 この蕎麦もそんな訳で太いものになっているのだろうか。してみると見てくれより味を優先して打っているということなのだろうか。そう考えるとなにかこの太い無骨な麺がそれなりに理にかなっている形態のように思えてくる。
 あのときは、見回しても他に蕎麦を取って食べている客はいないようだったので、あの蕎麦がここの名物だというわけではないらしい。普通のメニューの一品だろう。いや待てよ、二階の宴会の席で締めに出されているものではないだろうか。隠れたご当地グルメなのではないか。そんなことを考えながら仕事の待つ八戸へ車を走らせた。

 いまは、盛岡から真っ直ぐに八戸へ出る道路があるらしいが、当時は4号線を剣吉(けんよし)というところで分かれて104号線に入り八戸へ出るルートだった。鉄道も今は東北本線が「八戸」で別れて八戸線が「本八戸」へ通じていて、この付近が八戸の中心地なのであるが、当時は今の「八戸」駅を「尻内」と言い「本八戸」が「八戸」だった。ちょっとややこしいが、蕎麦はその「尻内」近辺でのことと記憶しているので「尻内の蕎麦」として覚えているが、地理的記憶は曖昧で確かな場所は思い出せない。

 後日譚。
 最近近郊のある駅の近くに、「江戸南甫流手打ち蕎麦」という暖簾を掲げている店を見つけた。「ご飯ものはありません」と張り紙がしてある。その気概や良しと入ってみた。夫婦二人でやっていると思える小さな店で、一通りの蕎麦のメニューのほかに、日本酒のいいものがそろえてある。壁の張り紙を見ると肴は「蕎麦味噌」「奴」「焼き海苔」「しらすおろし」「たたみいわし」「にしん棒煮」「板わさ」「玉子焼き」「めかぶ酢」と渋いものばかりである。見ていると客の一人が、盛り蕎麦を待つあいだ、「冷やを桝で下さい」と注文し、蕎麦が来るうちさらに二杯目を頼み、それもきゅっと飲み干すと出てきた蕎麦をすすって帰っていった。いい飲みっぷりだが書類鞄を持っているところを見ると仕事中のようだった。二合も飲んで大丈夫なのかと他人事ながら心配になった。

 もりをたのんでみたが、なかなかの味で何が江戸南甫流なのか聞き漏らしたが普通に旨い蕎麦だった。この蕎麦を4本くっつけたらあの尻内の蕎麦の太さになりそうだったが、味は尻内が勝っているように思えた。しかし、記憶の中にあるものは大体いま目の前にあるものより良く感じるもので、本当のところはどっちがどうだか分からない。

 「尻内」の蕎麦をもう一度食べてみたいが、いまかの旧ルートは衰退しあのドライブインも無いであろう。もう、あの蕎麦に出会うことはあるまい。40年も昔のことである。


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