ちょっと発表



思い出す旨かったもの −その3− 「小いわし二題」

  2014.03.22    2組 下赤隆信

 友人と二人、旨い鮟鱇(あんこう)鍋を食べに福島県の海沿いの町、平潟へ行ったことがあった。なにかの案内で見て民宿を予約し、常磐線の大津港駅で降り、ひなびた田舎道をだいぶ歩いてお目当ての民宿に着いた。友人は律儀なやつで地方の人には良かろうとわざわざ江戸深川の名店へ出向き、お土産の菓子を携えている。

 「えっ、どぶ汁ですか」と宿の主人があわてた様子で言った。
 友人が掛け合っている。そうよ、どぶ汁の民宿ってうたっているじゃないか。なにを今更そんなこと聞くの、どぶ汁を食べに来たのよ。いまさらどうしてくれるのよ。どぶ汁食わせろよ、と押し問答になって、結局何とかします、ということになった。良くない予感がした。予感的中。どぶ汁、旨くなかった。
 どぶ汁とは、鮟鱇汁のなかでも肝を汁に溶き入れてつくる濃厚な鍋である。それが、期待していたほど旨くなかった。おそらく、あわてて同業者から材料を集めた俄仕立ての一品だったに違いない。仕方なく、友人と差し向かいで、こういうことも又旅の一興と酒を飲んだ。

 酒は良い酒だった記憶があるが、銘柄は覚えていない。
若いころだったのでどぶ汁の不味なことはその内忘れて、まあまあの酒にしたたかに酔い、幸せな気持ちで寝てしまった。

 翌朝早く眼が覚めて、所在なく二人で散歩に出て、漁港の辺りを散策していると、ぱっと何か鳥の群れが舞い上がるのを見た。行ってみたら、漁船が何かを海へ撒き、それを鴎が追っかけて舞い上がっていたのだ。
 いわしだった、規定の量以上に獲れ過ぎると余分なぶんを海へ捨てるのだという。それなら、獲らなければいいじゃあないかと思うが、網を上げてみないと分からないから仕方ないらしい。
 「車け?」と聞かれて、しばらくとまどったが、「いや、電車」と答えた。「じゃあしょうがねえな」
 「車け?」と聞かれた別の一行が「ええ、車」と答えると、漁師さんが、大きなビニール袋に小いわしを一杯詰め、その上に氷をざざっと入れて渡していた「焼いても干しても旨んめえよ」なんて言っている。車で来た人たちがその後も何組もいわしの袋をもらっていた。獲れたての鰯なら、それは旨いものだろうなと羨ましく思った。

 宿に戻って帰り支度をして、朝飯の部屋に行くと、お決まりの海苔、目玉焼き、漬物、味噌汁などが並んでいて、その中に小魚の干物のような物があって、これが鰯の一夜干しだった。一口噛むと、旨い。しみじみと旨い。なんでこれを昨日の夕食に出してくれなかったんだ。これで一杯やりたかった。
宿の主人としては、この程度のものを晩餐の膳に供するのは憚られたのだろう。

 余談になるが、こんなことがあった。家内と山北の洒水の瀧を見に行ったときのこと、家内があっ、と言って駆け出した。見ると家内が向かっている先に老婦人が倒れている。家内がそのご婦人を助け起こし介抱している間に私はその人の家を探しに走り、ご主人を案内してきた。

 たいしたことはなく、美容院へ行こうとしていた老婦人がバス停の前まで来てころんでしまったらしい。洒水の瀧を見物して駅へ戻る途中、くだんの場所を通りかかると、あのご主人が駆け寄ってきてお礼を言われ、何か大きな包みを下さった。何時間も門前に立ち我々の帰りを待ち受けていてくれたらしい。却って恐縮である。

 庭に通されたが、大きな古い農家で、みかんを熟成させるための蔵のような建物があった。帰って包みを開けてみると、見事な柑橘果実で、後日調べると「サンマーオレンジ」(㊟)だと分かった。
しかし家内は、オレンジもおいしかったが、どうせなら庭に作ってあった茄子やきゅうりなんかを頂いたほうがよかったのに、と言う。あのご主人はそういう自分たちから見ればありふれた野菜類より、特産のオレンジの方が良いと考えたに違いない。

 ここで、平潟の民宿の主人のほうへ目を向けると、同じく平凡な鰯の一夜干しをメインダイニングのテーブルへのせることは憚られたのであろう。自分たちが毎日ごく普通に食べているものがじつは大変旨いものだということを知らないでいる幸せな人たちである。しかしあの鰯で一杯やりたかったという思いはずっと胸に残っている。

 それから、何年かのち、旨い鰯の一夜干しにめぐり合うことになる。
家内が、「どうも心配だわ。あのKさん、配達された新聞が何日もそのままになっている」と言う。Kさんとは、八十歳くらいかと思われる一人暮らしのお婆さんで、いつもは元気な方なのだが、高齢なのでなにかあったのではないかと心配になった。

 町内会の資料を見てみると、民生委員という人がいて、こういう場合に頼もしいひとらしいので、電話をしてみた。「すぐ行きます」とのことで、「私どもも立会いましょうか」と言ったが「大丈夫です、あとでご報告しますから。こういうね、お見守りが大変有難いんですの」とのことだった。「お見守り」というらしい。いまはそんなこともする人が少なくなってさびしいとのことだった。民生委員とは、有難い存在である。

 このK老婦人、いつもお元気な方で、高齢にもかかわらず町内の役員を勤めたりしている。こんなこともあった。「ケーオーD2」というホームセンターで買い物をしていると、K婦人に合った。手に大きな竹箒を持っている。家内が言った「あっ、明日のですね」。K婦人、笑って「そう、これがないとね」。明日は、町内の一日清掃デーである。婦人はそのためのほうきを買いに来たのだった。町内の清掃デーのための竹箒を買いにきた老婦人。いいなあ、と家内と二人、自分より大きな箒を持ってゆっくりと帰ってゆくK夫人の後ろ姿を見送った。

 民生委員の方から電話があり、K婦人別状なし。法事で帰省中とのこと。ふるさとは土佐だそうだ。一人暮らしの老人は、緊急連絡先が登録されていて、民生委員はそこへ連絡したらしい。婦人はその緊急連絡先へ帰省していたのだった。

 何日かして、当のK婦人が来訪され、法事で実家へ行きしばらく遊んできました。新聞を留めるのを忘れてとんだご迷惑を、と恐縮されていたが、つやつやと元気一杯、却ってこちらの早とちりをお詫び申し上げた次第。「こんなもので何ですが」と小さな包みを置いて婦人は帰っていった。

 包みの中身は、何とか饅頭と言った地方の名所を冠した菓子と、もう一品、小魚の干物のようなものが添えてあった。ビニール袋に、小魚の丸干しが三十本ほど、並んでいて、「沖うるめ」と書いた紙の封印が留めてあった。典型的なお土産スタイルである。観光地のお土産らしいから味は期待できないか。まあ、気持ちは嬉しいな。ふるさとから持って帰ってきたものを少しだけ、包みなおしておすそ分け、こんな頂き物は本当に嬉しい、遠く土佐からのものだから尚更だ。

 この「沖うるめ」、めざし(まいわし、背黒いわし)に似て口がもっと尖り、色はめざしより淡くてひしゃもに似た色合いである。鰯の類は朝飯のおかずという先入観があるのだろうか、この「沖うるめ」も、まず朝飯に出てきた。もちろんあったかいご飯にも会うのだが、噛んでいるとしみじみ旨くてやはり酒の肴だなと思われた。

 夕方の一杯のときにまたこれが出てきた。皿に大盛りである。メニューの品数を整えるためのひと品として添えられたような具合だったが、これが酒にぴったりだった。頭から齧ると三分の一ほどを食い切ることになるくらいの大きさだが、口中のそれはもっと大きな一片を噛んでいるようなボリュームとなり、純粋の魚肉の旨味と、塩気と苦味と、ほんの少しの渋みがあり、旨い。

 口中にその余韻消えやらぬうちに、大振りの盃でぬる燗を流し込む。一杯の酒と小魚の滋味が口中に広がってなんとも旨い。更にもう一杯、そして又ひと齧り。そしてまた一杯。

 いい肴は贅沢な食材でなくてもたくさんある。蕗(ふき)の薹(とう)の味噌和えなどは、その季節でないと味わえない逸品ではないだろうか。池田弥三郎だったと思うが、朝飯のおかずに良いものは大体酒の肴としても恰好のものであると何かに書いていた。

 さて、今晩も蕗の薹で一杯やるとするか。「沖うるめ」がまた幸運にも舞い込んでくることを念じつつ。

 

㊟ もともと「New Summer」と英語表記したものを誰かが、「ニューサンマー」と読んでしまってそのまま品種名として定着してしまったのではないかというのが真相ではないだろうか?

          右の写真が「サンマーオレンジ」



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