ちょっと発表



思い出す旨かったもの  その4 厚岸の鮭

  2014.06.23    2組 下赤隆信

 若いころ、北海道の外周を電車やバスでぐるりと一周しようという旅を企てたことがあった。時間が足りずに成功とはいかなかったが、まあ三分の二ほどは踏破したかと思える。
 千歳空港から苫小牧へ出て、室蘭本線、根室本線と乗り次いで根室に向かっていた。
 北海道の汽車旅はその過ぎ行く駅名を見ているだけでも何か遠くへ来たなという感じに包まれる。
 車窓の景色は荒涼としているがなにか温かい。

 その日は昼を食べ損ねていて大変空腹で、駅弁が買える駅に着くのを待っていたら「厚岸」という駅に着いた。窓から顔を出すと、居た。駅弁売りらしき人が目に入った。やっとありつけたぞと思ったのもつかの間ずい分遠い。駅弁売りのおじさんははるか遠くにいる。どうしようかとデッキでためらっていると、通りかかった車掌さんが「弁当ですか、だいじょうぶですよ、行ってらっしゃい。その代わり、買ったらすぐ近くのドアから乗ってください」と言ってくれた。ありがたし、と駅弁売りのもとへ駆けつけ、弁当が積まれた箱のなかを覗き込んだ。黒く塗ってあって縁が赤く塗られたようなレトロな使い込んだ箱であった。肩に掛けるためのベルトのようなものが付いていたが、その時はスタンドのようなものに置いてあった。箱の中を見て幾分がっかりした。地方の駅の弁当であって、ましてやこのへんの土地柄からして、ボリューム満点の大盛り弁当を期待していたのだが、なんだかこじんまりした四角い包みが並んでいるだけだった。しかも、それ一種類のみ。
 「もっと大きいのないの」と言いかけたが、無いんだからしょうがないなと諦めて、その弁当を買い求めた。お茶が有ったのでそれも買った。

 発車を待ってもらっていたことに気がついて列車のほうを見ると、車掌さんが先ほどのデッキの窓から身を乗り出してこちらを見みていた。私は近くのドアへ急ぎながら車掌さんへ一礼した。車掌さんは、窓枠にかけていた手をちょっと上げて答えた。
 席に戻って弁当の包みを開けてみてもう一度がっかりした。
 まず、全体がいかにも小ぶりである。大変たよりない。経木のふたをめくってみて、さらにがっかりした。白い変哲もないご飯のうえに、薄い鮭の切り身がのっていて、はじの方になにか漬物らしき物が添えてある、これだけのものだった。腹を空かしていてやっと手に入れた弁当である、三口か四口で食べ切ってしまいそうな分量である。しかし、まあ一時の虫養い、と食べ始めた。

 そのみすぼらしいような鮭が旨かった。鮭の身は、柔らかくて油の旨味があって、鮭であって鮭でない、なにか未知の味であって不思議な旨いものという味であった。いままでこれが鮭の味だと思っていたものとはまったく違う旨さがあった。
 そこで、はっと気がついた。なんで二つ買わなかったのか。もっと大きいのは無いかとばかり思っていて二つ買うということに知恵が廻らなかった。
 もっともこんなに旨いものだと分かったからそう思うのであって、あのパッケージからはそこまでは思い至らなかったかも知れない。

 この「厚岸さけ弁当」、近年の「駅弁甲子園」などでは、大変人気があると聞いている。まさかパッケージは昔ながらの、全体の大きさが厚切りの食パン一切れくらいの大きさでデザインも貧相な、あのままではあるまいが、どんな具合に変身しているのか見てみたいものだ。
 衣装や演出に頼らず、あの自然の旨さで勝負していることを願いたい。
 さて北海道では、このあともう一度旨い鮭にありついた。

 この日、根室に一泊して冬近い最果ての町をうろつき、小さな洋食屋とも居酒屋ともつかない店で一杯やったのだが、そこでお勧めメニューだと張り出してあった「鮭のステーキ」というものを食べてみたが、これもまた今までの鮭の味、それも私の中の旨い部類の鮭の味ともまた一線を劃すものだった。獲れたての新鮮な鮭は、我々が普段食べている鮭とはまったく異質の味を持っていることを知った。

 ここで、この店で飼われていた大きな犬のことを思い出す。
 店の看板を見つけて、まあここにでも入ろうかと入口へ近寄り、引き戸へ手をかけようとしたとき、突然横手から大きな犬が割って入ってきて、後ろ足で立ち上がるようにして引き戸の取っ手に両前足をかけ、首をこっちへ曲げて私を見た。はじめはぎょっとしたが獰猛な様子はなく何か可愛気さえある。ははんこのワンちゃん寒いから店に入れてほしいのだなと気がつき、戸を開けて先に通してやった。犬は店に飛び込むと隅の方にゆき、寝そべって上目遣いに私を見ている。
 「こら、また入ってきた。だめだめ」と店の女将が立ってきて犬を外へ連れ出した。「すみません、びっくりするでしょう。へんな知恵がついてしまってしょうがないんですよ」と女将は申し訳なさそうに言ったが、なにかそんなことをする犬が内心可愛くて自慢らしくも思っているような節もあった。
 ちびちび飲みながら見ていると、このワンちゃんは、その後何度も同じ手を用いては店に入ってきて、そのたびに女将に連れ出されていた。

 余談だが、翌日ぶらぶらと、根室の町を歩いていると、広い駐車場のある大きな店舗があって、それは農協のショッピングセンターのようなところらしかった。食品と雑貨荒物などが大規模に売られている。町にはこれ以外に大型の総合店は無いようで、大勢の人が連れ立って冬の支度のものを買いに集まっていた。
 近隣の農村漁村から家族総出で車で乗りつけ、一冬のものを買い求めるようで、ラーメンや乾麺をダンボールで、鮭を箱ごと、お米を何袋といった具合に買って帰る。
 なにか、アメリカ映画で開拓者の家族が馬車を連ねて町へ買い物に行く場面に似ている。
 鮭で言うと、獲れたての鮭のほかに漬物用というのがあって、鮭を漬物に混ぜるらしかった。漬物用といても、我々がこちらで普段買っているものよりは新鮮なものに見えた。

 厚岸と根室で旨い鮭にありついた旅であったが、そのあとなるべく外側の路線を選んで網走、北見、興部、雄武まで電車にゆられ、そこからバスで北見枝幸に出てまた電車に乗り、稚内で泊まり、軍艦という魚や鹿のもも肉などの初体験食材を味わったりした。

 そのあとは「鉄路恙なく」札幌に戻り、空路無事帰還しました。


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