ちょっと発表



    映画の思い出いろいろ

2015.08.04    2組 下赤隆信

 

 榮さんが、映画の話しを書かれていて、それを読むとずい分芸術的な恋愛物を見ておられるなと、真摯な鑑賞姿勢に感服し、わが映画暦を振り返ると、単純な西部劇、殺伐な戦争映画、暗いギャングものなどばかりで、あまり高尚であるとは言えないなと反省頻りです。
 また、山本さんが、Accessとか言う難しいソフトをマスターし、一大映画データバンクを構築されているとか。私なりに考えると、インターネットで検索するような仕事が個人のファイルの中で出来るものらしいからこれは凄い。
 
 吉田編集長に西部の三悪人というネーミングで括られた三人だが、じつはプライベートでも色々と映画の話しを交わしていて、少し前のことになるが、ロンドンの地下の貸金庫が破られて膨大な貴金属宝石現金がごっそり盗まれたという事件が大きく報じられたとき、確かこんなストーリーの映画があったなあ、ロッサノ・ポテスタとかいうギリシャ彫刻にも似た絶世の美女が出ていて話題になったが、といろいろ思い出そうとしたが、題名も役者も監督も思い出せず、こういうときは、思い出すまでなんとなく気持ちがすっきりせず、悶々とすると言ってはオーバーだが、数日これにこだわって色々調べたりしてしまう。
 そこで、思い切って両悪人どのにメールで教えを乞うた。と、たちどころに、お二人からほとんど同時に、それは「黄金の七人」でしょうと回答があり、細かいキャストやスタッフに加えて、続編が出ておりその題名や詳しいデータはこうこうとまでご教授いただいた。私は、なんでもぼんやりと頭で記憶しているだけで、何のデータも残しておらず小生だけがやや遅れをとっている感は否めない。
 
 私だって恋愛映画も観ていないわけではない。思いつくままに順不同で挙げてみると「慕情」、「ローマの休日」、「旅情」、「武器よさらば」、「悲しみよこんにちは」、「ドクトルジバゴ」、「カサブランカ」、「黄金の腕」などどれも恋愛の絡んだ名作だが、恋愛ゆえに観たわけではなく、名画だというので漫然と観ているのだった。
 恋愛場面はあまり印象に残っていないことが多い。しかしながら、「武器よさらば」では、駅の雑踏のなか、恋人のロック・ハドソンに会う為に人混みを掻き分けて必死にホームを行くジェニファー・ジョーンズの表情に、「ドクトルジバゴ」では、あまり美人ではないが貞淑そうでなにか悲しげなジュリー・クリスティーに、「黄金の腕」では、麻薬の禁断症状に苦しむフランンク・シナトラの手をとり、自分の胸に抱くようにしてさすりながら神に祈っていたキム・ノヴァクの姿などに心が動いたことはあった。
 「悲しみよこんにちは」では、ストーリーは何が何だか分らず、白い水着の、確かデボラ・カー?の美しい肢体だけが印象に残っている。「地上より永遠に」で、夜の渚でバート・ランカスターと水着でラブシーンを演じたのもデボラ・カーではなかったかな。
 ヒロインを演じたジーン・セバーグは中性的で私にはとんとお呼びでなく、セシール・カットなどという髪型がはやったのも不思議に思っていた。
 
 戦争映画は、玉石混交無数に観た。「鬼軍曹ザック」というのがあって、確か兵隊役者と言われていたアルドウ・レイか又は後の刑事コロンボ氏のピーター・フォークだったと思うが、主人公の軍曹が穴のあいたヘルメットをかぶっていて、それが連隊の間で伝説のヘルメット、弾丸が当たったが当りどころが良かったため弾丸はヘルメットの内周を一周して外へ抜け、頭には円周型に禿げが残ったが命に別条はなかったというのである。実際こんなことがあるのかどうかは分らないが、そのヘルメットは「絶対弾丸がよけて通る」という伝説が生まれ、兵隊たちの羨望の的になっている。ザック軍曹と作戦をともにする兵士達にも何らかのご利益があるというジンクスまで生まれる。ある日、先行して橋頭堡を確保するという危険な作戦に向う上官の少尉どのが、冗談めかしてザック軍曹に「お前と別行動になる。しばらくヘルメットを交換しろよ」と申し出る。ザック軍曹はあれは単なる噂ですよ、と断ってしまう。
 作戦は成功し、後続部隊は進軍を開始するのだが、やがて道筋に作戦の戦死者を埋葬してある場所があり、逆さに突き立てた銃にヘルメットがかぶせてある。ザック軍曹はそのなかに少尉のヘルメットを見つけるのである。
 アメリカ映画は、ここで悲しみにくれたり、胸に十字を切ったりはしない。ザック軍曹はしばらくその墓標を見つめていたが、ひょいと自分のヘルメットをとって少尉のヘルメットと交換し、すたすたと部隊の後を追って歩き出すところで「TheEnd」となる。
 戦争映画では、圧倒的に軍曹が主役だった気がする。ヘルメットをあみだにかぶり、葉巻をくわえたり噛みたばこを常用していたり、背嚢にウイスキーを隠し持っているなんていうのが多かった。
 テレビの「コンバット」も主人公はサンダース軍曹だった。
 
 「物体X」という映画があって、遥かな宇宙の天体から、宇宙船によって採取されたものが、じつは植物の種子のようなもので、地球上で発芽し人間の形に進化し、人間を襲うという筋立てで、植物なので、銃で撃っても刃物で切り刻んでもすぐ蘇生復元するという、荒唐無稽なフィクションだが、焼き殺すのが一番かということになり、ガソリンをかける役と、それに火をつける役を決めることになった。火をつけるのには拳銃型の、曳光弾発射銃というか、暗い戦場で敵陣の上めがけて発射すると、その空中でしばらくは明るく燃え続けるという弾丸を発射する銃器が使われることになる。一人の男が名乗り出て、俺はそれを使えると言う。大丈夫かと訝る同僚達にその男は言う「『ヨーク軍曹』を観た」。
 「ヨーク軍曹」はゲーリー・クーパーの出た映画だということは知っていたが、筋立てもなにも知らなかった。そのなかでそういう銃が使われたのだろう。その後「ヨーク軍曹」という映画を観たい観たいと思っていたが、古い映画なので、ついに観る機会はなかった。

 「赤い河」の入れ歯の相棒を演じたウオルター・ブレナンがあの、「リオブラボー」の脚の不自由な老人の保安官助手だとはすぐ分るし、「ローマの休日」で、グレゴリー・ペックの相棒のカメラマン、最終場面のオードリー・ヘップバーン扮する某国王女の戴冠式で、そのヘップバーンがギターを振るって大暴れしている特ダネスプーク写真を、「謹んで」プレゼントしているあの役者は、「荒野の七人」で、山賊の首領になったあの俳優と同一人物ではないかなどと想像をめぐらしたりする。
 映画好き同志がこういうことをあれこれ話しをするのが楽しいのである。
 「ウインチェスター銃‘73」で、シルクハットをかぶった悪徳武器商人に扮したあのねちこい風貌の役者は、後年テレビでヒットした、「ニューヨークコンフィデンシャル裸の町」で主役の刑事をやった人物ではないか。あれは緊迫した犯罪捜査を描いていい映画だった。余談にわたるが、その武器商人がシルクハットをかぶっているのは、決してダンディズムからではなく、西部開拓のあの時代、なんでもあるものを着用せざるをえなかったのである。あの「シェーン」の冷酷な殺し屋、ジャック・パランスもズボンは礼装のモーニングのズボンみたいなのをはいていた。
 
 と、いろいろ昔の映画を思い出しているところに、またまた榮さんが「手に汗を握る映画」を発表された。そのなかで、手に汗握る映画の一つに「眼下の敵」を挙げておられるのはたいへん嬉しい。あれは良い映画だった。今でもそのプログラムがとってある。
 クルト・ユルゲンスとロバート・ミッチャム、まったくタイプの違う二人だがどちらも大変恰好よかった。
 榮さんの書かれたものを読んで、戦死者が一人も出ない映画だとは初めて知った。この辺のデータはそのAccessとやらでも出てこないでしょうね。
 もう一つ、この映画には女性が一人も出てこないのです。
 Uボートと駆逐艦の船内だけの描写であるから考えてみると当たり前だが、女性が出てこない映画というのはじつは大変稀有な例なのです。
 「二世部隊」というのがあって、長い間この映画も女性が出てこないと記憶していたが、後年もう一度観る機会があって、じつは非戦闘場面でばっちり出てくることがわかってがっかりしたことがあった。
 テレビで「地上最大の作戦」を観ていたら、ノルマンディー上陸作戦が成功して
連合軍がパリの街を凱旋するシーンで、ワインの並んだ酒屋の前で女の店員を冷やかしている若いGIが、特徴のある八の字眉で、まだ青臭い青年だったが、どうものちのあの007ジェームズ・ボンド氏ことショーン・コネリーではないかと直感した。
  この映画は一種のオールスターもので、日本語版でも巻末に錚々たるキャストの紹介が延々と続くが、そのなかにショーン・コネリーの名は無かった。
 しかし後年、もう一度観る機会があったが、そのときはちゃんとショーン・コネリーの名が加えられていた。
  
 食品業界におられた榮さんはご存知と思いますが「日本食糧新聞」という業界紙、その確か記者兼常務だったかと思うが、私の親しくしていた人でF氏という人がいて、これが敏腕のジャーナリストながら、オフの顔は無類の映画好き、この人の一番のご推奨は「カサブランカ」で、あの映画には人生の全てが盛り込まれており、何十回見てもその都度味があるというのが飲んだときの口癖だった。
 また、飲むと吹っかけてくるのが、映画スターしりとりで、彼が「ジョン・ウエイン」ときたらウエインのWを受けて私が「ワード・ボンド」と返すといった遊びだった。ところが彼はわたしにハンデをくれて、私が女優を答えたら彼は男優を、男優には女優を答えるというもので、私は思いつくままにどちらでも自由、というものだった。しかし、私が勝ったことは一度もなかった。
 ある日、飲んだ後帰りのタクシーの長い列に並びながらF氏と二人、退屈しのぎにそれをやっていたら、まわりの酔っ払いたちも口を挟んできて、結構愉快な騒ぎとなったことがある。
 私が答えに窮していると、まわりの野次馬連中が助け舟を出してくれたりして、だんだんF氏と野次馬とのやりとりになってしまったりした。

 あの頃は映画が最大にして、せめてもの娯楽であったように思う。

                                         終り



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