ちょっと発表



こけしとの再会

2018.04.21   2組 下赤隆信

 11期喜寿の会に、佐々木さんが、仙台勤務時代に集めたという「こけし」を展示され、続いて「まある」にも出展され、「まある」では、その後も色々と人気を呼んでいるということですが、「こけし」好きの私には嬉しきニュースです。
 じつは、私も佐々木さんと同じ時期?に(昭和40年代)、仙台に赴任していたことがあり、方々仕事で回っていて「こけし」と出会い、あちらで一本、こちらで一本と買っているうちに、「コレクション」と呼べるほどのものがまとまりました。 仙台より帰任のおり、また数度の引っ越しなどで散逸し、これらの「こけし」はいま手元にありませんが、訪ねたこけし作家(工人と呼ばれています)や、その作風などは、いまも脳裏にしまい込まれているようです。
 
 先日、TBSテレビの「Nスタ」という番組で、「第三次こけしブーム」として取り上げられ、「こけ女……」、「海外でも人気が……」などと報じていたそうです。「そうです」と言うのは、私はこれを見逃しているからで、後から人に教えられ、しまった、見ればよかったと思っているからなのです。 海外で人気、というのは、さては佐々木さんの「洋行帰りのコケシ達」も一仕事してきたのだなと、テレビ「サンデーモーニング」の張本御大ではないが、「天晴れ」のシールを貼り付けたい気持ちです。

 先日、家内と湯島天神へ、ちと遅いお礼参り(親戚の子の大学合格)に行き、帰りに「鳥つね」の名物親子丼を食べ、上野に出て池の周りを散策していたら、かなり大きな「骨董市」をやっていて、家内が「こけし!」と呼んでいるので行ってみたら、何と良い「こけし」が…。
こういう骨董市に、「こけし」がでることはたまにありますが、たいていは若い作家がお土産用に作ったようなものが多く、触手が動きませんが、今回のものは「おっ」と言うほどの逸品でした。 それも、まとめて数本。それも大変「お安く」。

その中から買い求めたのが、この三本です。

左の2本は、佐藤巳之助(明治38年生まれ)の作品、右のものは、阿部常吉(明治37年生まれ)の作品です。

 佐藤巳之助は、山形県の肘折温泉の人ですが、昭和40年代は仙台に住んで「こけし」を作っていました。
気難しくて寡作で有名な人でしたが、私は「あわ良くば」と、休みの日に良く訪ねていました。初めて恐る恐る訪問した時、「なじょなこけしがいいんだ」と、ぎょろっと目をむかれ、「いえ、どんなこけしでも」と答えた記憶がありますが、 何度か尋ねているうちに、可愛い若造だと思ってくれたのか、「また来てみない。出来てることもあんべえから」と言ってもらえました。その次に訪問した時に、大きな出来の良い「こけし」を手に入れることができました。「出来てることもあんべいから」ではなくて、ちゃんと私用に作ってとっておいてくれたのだと思われます。風貌に似合わず優しい人だったようです。
 阿部常吉は、山形県の温海温泉の人で、「こけし」は、両目の離れたおおらかな作風が特徴です。 「こけし」にからんだものが何か残ってないかと、古いアルバムなどを調べてみたら、何枚かの写真が出て来ました。こけし作家を訪ねた時の写真などです。

作並温泉でこけしを作っていた 平賀貞蔵さん(明治30年生まれ)と奥さん

私の「こけし」コレクション。昭和43年ごろ。

 何十年も前に会った人の作品に、上野の骨董市で偶然に出会い、若かった往 時の思い出がよみがえりました。
 会社の寮から繁華街の国分町や稲荷小路まで歩いて十分たらず、夜な夜な飲み歩いていたあの頃を、これら「こけし」が思い起こさせます。 三本の「こけし」、大事に書棚に飾っておくことにいたします。



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