ちょっと発表


2016.04.19    月村 博
 俳句と川柳の違い

 ひところ、俳句は花鳥風月、自然を詠み、川柳は人を詠むというふうに区別されておりました。
俳句と川柳の違いを挙げなさいと言われると、模範解答のパターンとして、これが良しとされておりましたが、時代が進み、俳句がどんどん川柳に踏み込み、人間をずかずかと詠み始めているようです。

 俳句も川柳も江戸時代の同じ俳諧(連歌)から生まれました。
 俳句は連歌の第一句、つまり発句が独立したもので、季語、切れ字等の発句にとっての約束ごとがそのまま引き継がれさらに題材も発句としての格調が保てるものに限られました。
 一方、川柳は俳諧の前句付の付句が独立したもので、発句として必要な約束ごとがありません。題材の制約はなく人事や世帯人情までも扱われます。

主な相違点としては
 * 季語の有無
   俳句では季語はほぼ必須とされていますが、川柳では無くても良いです。
 * 切れ字の有無
   俳句では句を切るための「や」「かな」「けり」という切れ字が重要とされていますが、川柳では切   れ字は重要視されていません。
 * 文語体と口語体
   俳句は書き言葉の文語体が一般的ですが、川柳では話し言葉の口語体が一般的です。
 * 自然と人事
   俳句は自然や四季を詠むものですが、川柳は人間模様や社会風刺を題材にします。 また、俳句のよ   うに余韻を残さず、自分の気持ちをストレートに表現するのも特徴です。

 正岡子規にとっての川柳とは、「滑稽も亦文学に属す。 然れども、俳句の滑稽と川柳の滑稽とは、自ずからその程度を異にす。川柳の滑稽は、人をして抱腹絶倒せしむるにあり。俳句の滑稽は、其間に雅味あるを要す。故に、俳句にして川柳に近きは、俳句の拙なる者、若し之を川柳とし見れば更に拙なり。川柳にして俳句に近きは、川柳の拙なる者、若し之を俳句とし見れば更に拙なり。」(「俳諧大要」より)
子規は、同じ五・七・五の十七音の文芸である俳句と川柳の違いを「滑稽」(「笑い」)の質の違いに認めている。

 俳句の「滑稽」は、雅味(上品で風雅な趣き)のある滑稽であり、川柳の「滑稽」は、人をして抱腹絶倒せしむるような滑稽だというのである。

 また、俳句は「自然詩」であり、川柳は「人事詩」であるとの従来、主流を占めていた考え方から抜け出して、俳句を「叙情詩」、川柳を「批判詩」と分類する考え方もあります。

 何れにしても、現在の俳句の中には、季語も切れ字もなく、口語体のものもあり、川柳にしても俳句に寄った作風も現れ、その境界は曖昧になっています。
 今日、俳句と川柳の違いを定義づけるとすれば、形式ではなく、あくまでも対象の捉え方が、風景から捉えるか、人を直接捉えるかという内容的違いによるでしょう。

 どうぞ皆さまも「人間を五七五で詠み」WEB11へ投稿してください。



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