ちょっと発表


2021.01.20    月村 博
   市川陸雄さんを偲んで

「生者必滅、会者定離は浮世のならひにて候」この世は無常で、会うものは必ず離れる運命にあるということですが、2020年12月には6組のクラスメートの二人が相前後して、あの世に旅立って仕舞いました。
お一人は長い闘病生活の末に、そしてもう一方である市川さんは、病む事なく一晩でこの世に別れをを告げてしまったのです。
 ご逝去の知らせを受け、翌日お宅に弔問した際に、義理のお姉様から「身体の大きな人は、大きな車のエンジンと同じように、心臓に掛かる負担が大きいのでしょうね。」と“心不全”で亡くなったことを告げら
れました。 市川さんはペースメーカーを装填していて、12月に電池交換をする予定であった様ですが、他にこれと言って悪いところは無かった様ですから本当に残念です。市川さんのことを榮さんの奥様にお話ししたところ、「考え方によっては、これは大往生ではないですか」と連れ合いが長く辛い闘病生活を送ったことと比べての言葉でした。

 亡くなる2週間前の11月24日に、小田高11期生の自主“個”展を観賞のため“茶のまある”にて会い、コーヒーを飲みながら傘寿のお祝いや二次会を湯河原の後輩の旅館で開催しようなどと話をしたばかりでした。
実は、この日、“茶のまある”において、半世紀ぶりに昔の職場の同僚と会うことになっていたのです。昨年“個”展を観賞された6組の故神保武司さんの奥様が声をかけてくださいまして、愛光電気(株)OGの福森さんと渡会さん(お二人とも追悼文を投稿されています)が、半世紀ぶりに市川さんにお会いしたいということで実現したものです。
 この日を設定するに当たり、市川さんに都合の良い日を確認したところ、「OKです。ただし、マスクだけは忘れずに掛けて来てくださいよ。」との返事でした。これを聞いた神保さんが「承知しました。当日、おばあさん4人バッチリマスク着用して伺います」と半分冗談で返信メールを送っておられましたが、市川さんの人柄の一端を表していると思います。

 寄せられた追悼文からでも判かりますように、市川さんはその温厚な人柄で誰からも好かれ、愛されていて、自身は自然を愛し、中でも山は大好きのようでした。高校時代に修学旅行には参加せず、山登りを選択していた程です。友人のお世話で、学習院大学の日光光徳小屋の管理人に就いたのも恐らく山好きが要因ではないかと思います。この頃に短歌と写真の腕を磨いたのか小田原に戻ってきてから、個展を開いたりして作品の発表を楽しんでいたようです。
昨年秋に、クラスメートの榮さんが制作した『傘寿記念俳句・川柳・短歌、初心者塾 』の見開きに市川さんの写真(若竹)が採用された事を本当に喜んでいました。

 榮さんも2日後に、市川さんの後を追うようにそちらに逝かれましたので、お二人で短歌やら写真を楽しんでください。
どうぞ心安らかにお休みください。    合掌



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