ちょっと発表



                               2015.01.07  山崎 泰
「 私と日本橋 -11- 」

 今回は人形町通りの南西側をご案内いたします。人形町駅のA5出口より人形町通りを小伝馬町方向に二つ目の路地を左折し、70m程に東京唐草屋がある。

  「東京唐草屋」                   人形町 3-4-6 TEL 03-3661-3938
 明治34年(1901)に初代宮井傳之助が袱紗問屋として創業以来、袱紗や風呂敷を中心とした和装小物を製造してきた。
昔から風呂敷の最もポピュラーな柄といえば“唐草模様”であり、生命力が強くどこまでも伸びてゆく蔓草は、子孫繁栄、延命長寿を意味する目出度い柄であることから、その唐草を屋号に「唐草屋」とした。
風呂敷の素材も絹や木綿、化学合成繊維とあるが、木綿やポリエステル、アセテートは自宅で洗濯できるが、絹やレーヨンは水に弱いため、ドライクリーニングでなければならないとのこと、ちなみに風呂敷は正方形ではなく、若干丈の方が長く、斜め方向に力が掛かるので、伸縮作用が生まれ、使いやすくなっているそうだ。
風呂敷はもともと神への供え物を包む布から発祥し、ホコリを除くだけでなく、新鮮な“気”をそのまま保つという意味があった。
 写真の正絹の風呂敷の“枡取ぼかし”という四隅に異なる色が配され、絹の滑らかさが一段と表現される。
とかく風呂敷は包み方が難しいと言われるが、基本の結び方を覚えると簡単とのこと、長いものを包むときにはふたつ結びが便利であり、四辺どこでも正面にして相手に渡すことが出来る花びら包み、ビンなどを包むワイン包み、その他エコバックから斜め掛けバックなど色々あるようで、月に何回か包み方教室もやっており、店頭でも教えてくれる。
前回の東京オリンピックの際、記念風呂敷を受注しており、店内は美術館に居る感覚になってくる。  唐草屋を出て左側の一つ目の路地を左折して大通り(金座通り)に出て信号を渡って左折し、人形町駅方向に20~30mに(人形町駅A6出口より1分)大橋印房がある。


 


  「大橋印房」                   人形町 1 -4-5 TEL 03-3666-1935
 300有余年前の江戸初期に、初代大橋素十が四日市(現在の日本橋一丁目)に創業、徳川幕府御用達の印判師として大橋出雲守の名前を授かり、幕府公印や諸大名の印版製作に当たった。
印章は自己の責任の証明であり、デスクワークをサポートするゴム印は毎日の業務に欠かせない道具であり大きな役割を担っており、かつ高い信頼性が求められる道具である。
 個人印や企業印の他、趣味印、竹印、朱肉、表札、木札、筆耕、軽印刷と色々手掛けているが、全商品自社生産にこだわっており、繊細な技の光る印章はすべて職人による手作りで、印材は象牙や黑水牛などの天然素材であり、書体も篆書体(てんしょたい)や古印体など6種類ほどあり、余白の取り方や枠の太さなどでバリエーションは幾通りもあり、“まず用途やお好み、予算をお聞かせいただき、名前の画数によっても印象が変わるので、彫る前にご希望で印稿(字の版下)も御覧いただけます”と言われる。
 朱肉も茶系から朱色まで4種類もあり、竹印(竹の節で)も作っており、落款印や朱肉など「印」に関するものは何でも揃うそうです。 大橋印房を出て金座通りを日本橋川方向に300m程に「さるや」がある。

 


  「さるや」                  小綱町 18-10 TEL 03-3666-3906
 創業は宝永元年(1704)で六代将軍徳川家宣となり富士山の宝永山噴火の4年前であり310年の伝統をつなぐ「さるや」は全国でただ一軒、手作り楊枝の専門店として創業当時の場所で店を構えている。
そもそも楊枝の歴史は古く、およそ10万年前とも言われているが、紀元前500年頃、お釈迦様が弟子達に歯木で歯を清潔にすることを教えたが、歯木とは木の枝の一端を噛んで毛先のようにブラシ状にしたもので、仏法では食後に水を口中に含んで三度回転させることを「漱口(そうこう)」といい、そのあと楊枝を持って歯を清めることを大切な作法と定めている。
 日本には、奈良時代に仏教とともに仏具の一つとして伝わったとされ、楊枝は当初僧侶や公家だけに使われていたが、江戸市中には楊枝屋も多く、屋号も「さるや」が決まりのようになっていたといい、元禄時代の文献に“猿は歯が白き故に楊枝の看板たり”と書かれていたことからという。
“黒文字の楊枝”はご存知でしょうが、この店が開発したとのことで、芳ばしい香りを放ち、しなやかな弾力性に富むクロモジを材とするため歯当たりも良く多くの人々に愛されているという。
昔ながらの切り出しで作業するため、熟練の職人でも一日2,000本しか作れなく、貴重な楊枝であるクロモジは楠科の落葉灌木で、緑黑色の皮に黒斑があるものが特長である。
 
今でも江戸名物の一つとして花柳界、料亭筋を始め多くの愛好家が「さるや」の黒文字楊枝を求め、日本の伝統、江戸の粋を感じられる楊枝は、まさに「たかが楊枝、されど楊枝」なのである。
写真の桐箱に納められた黒文字楊枝の「千両箱」が人気であるが「金千両」の箱書きは店の奥の80歳がらみの老人が一個一個手書きでの作業にしばし見入ってしまいました。
 店内には楊枝に関する諸々の展示もあり、昔の「さるや」のお店の賑わいが伝わる日本画だけでなく、片側が耳かきのようにふさふさした「ふさようじ」や昭和初期に作られた楊枝の原本など、楊枝の歴史がわかる展示物もあり、まるで博物館である。 さるやから人形町駅方面に戻り、大橋印房を過ぎて人形町通りの一本手前の路地を右折して2本目の細い路地を左折するとよし梅人形町本店がある。
 


  「よし梅人形町本店」               人形町 2-18-5  TEL 03-3668-4069
 以前紹介した大観音寺の細い路地にひっそりと佇み、うっかりすると見過ごすので注意して下さい。
 昭和2年(1927)の創業以来、東京を代表する料理「ねぎま鍋」でお馴染みで、“粋な味下町の味”をモットーに、東京流魚河岸料理を提供しており、江戸時代淡泊な味を好んだ江戸っ子は、以前に紹介したようにマグロのトロは捨てて赤身のみを食べていたが、安く手に入るトロ部をさっと火を通し、ねぎや白菜などの野菜と一緒に食べられるようにし、下町庶民の家庭の味「ねぎま鍋」が出現した。
 このよし梅は昼食にはねぎま鍋も出してくれるが、なんといっても写真の“ぞうすい御膳”がOLを始め大人気であり、一人前から土鍋で頼める人気メニューで、具材は帆立、海老、鴨の3種類から選び(10月~3月までは牡蠣もあり、2人前からは3種ミックスも可能)鰹節だけで取るすっきりとした江戸風の一番だしに、ご飯を入れてさっと煮立て、かき卵椎茸とニラも加える。
れんげに乗ってくる梅干しを好みのタイミングで味わうとまさに“いい塩梅”で、これに香物と小鉢が付いて1,500円である。

 昔の芸者の置屋で戦災に合わずに、昔そのままの造りが古風で、小路のような敷石が続く玄関先から情緒たっぷりで、店名になぞらえて梅の木で染めた薄紅色の暖簾をくぐり店内となり、1階は白木の一枚板のカウンターと椅子席で、2階は30名が利用できる座敷があり、都会の喧騒が遠のき、落ち着いた空間が広がる場のように感じた。 よし梅から大観音寺の反対方向に戻り、すぐの路地を左折し次の路地を右折し15mほどに十四郎がある。

 


  「十四郎」                  人形町 1-5-14   TEL 03-3662-0163
 人形町界隈を歩くと老舗の割烹や料亭などいかにも敷居の高そうな店をよく見かけるが、この店もそんな感じであるが、創業は平成8年と新しいが、店の造りが金沢の旧家の梁や欄間を移築した趣のある佇まいであり、食材は女将さんの故郷の山陰地方から直送された山海の幸で、看板に“旬の味十四郎”とあるように季節毎の松葉ガニや河豚、のど黒、ドギ、ばばあ等の食材を使った会席料理の店であり、1階はカウンター席で、カウンターに限り単品でに注文が出来るが、2・3階は個室の座敷となっている。
 暖簾としては新しい店ですが、ここを紹介するのは夜の会席は15,000円以上もするが、ランチ時には玄関脇に“おまかせ昼膳1,000円”との看板がかかり、一種類のみの日替わりで何が出るかはその日に行ってわかることであるが、但し30食限定であり、季節の物の小鉢が二つとお新香、大きな椀の味噌汁に小さ目のご飯、それにメインが加わるが、“シーラと野菜のフライ”とか“あんかけ焼きそば”や“ハンバーグ”であったり“穴子の入った天麩羅の盛り合わせ”などと全く予想がつかない物が出てくる。
 私が会食に利用した頃の店名は「豆子郎」であったが、何故か現在は「十四郎」と変わっているが「豆子郎」の名は古い菓子店名があるからかも知れません。

 皆さんはチョウザメを食べたことはありますか、日本ではチョウザメキャビアですが、その身肉は古代ローマ時代より“ロイヤルフィシュ”、中国では“煌魚(こうぎょ)”と呼ばれ、皇帝への献上魚だったようで、現在でも欧州の三ツ星レストランのメニューに取り入れられる高級食材とのことで、良質のコラーゲンやコンドロイチンを多く含む“おいしい魚”といわれているが、余談ですがチョウザメの名は鱗が蝶の羽の形をしており、体形が鮫に似ていることから由来しているが、決して“鮫”の仲間ではないようです。
 このチョウザメ鍋が食べれるのがここ十四郎であり、島根県で養殖されたもので、刺身は勿論、唐揚げやカルパッチョもよいが、おすすめは鍋であり、鍋といってもしゃぶしゃぶ形式で、昆布だしとチョウザメのアラで煮詰めて抽出したコラーゲンがたっぷり入った鍋つゆに、岩塩や柚胡椒を一つまみ入れ、10秒位しゃぶしゃぶして店特有のポン酢で食し、鍋には水菜、黄ニラ、舞茸などシンプルな具材と共に食すると絶品である。
この鍋は予約が必要となりますので御注意のほど。 十四郎を出て左に向かい日本橋小学校にぶつかり左折して次の角に魚久がある。
 

 

 

  「魚久本店」                人形町 1-1-20  TEL 03-3665-3848

 創業は大正3年(1914)と歴史は浅いが、人形町という処でなぜ京粕漬が有名なのか、初代清水久蔵は奈良の生まれで、京で料理の修行を積み、大正3年に高級鮮魚の小売商「魚久商店」を蠣殻町に開業し、当時人形町界隈は米屋町として賑わい、米相場を支配する商業地であったが、その後二代目廣田年尾が江戸風割烹を開業し、季節料理の一品として出した粕漬が好評で、味にうるさい米の仲買人に評判となり、常連客がお土産にと口コミで人気を呼び粕漬専門店として、初代を尊敬していた二代目は「京粕漬魚久」と名付け開店し、“味を守り、旬をいかす”をモットーに日本料理の技を受け継ぎ、手作りの製法にこだわり、素材選びから、味、形、包丁の入れ方まで自負しており、粕漬も日本にしかない伝統食品であり、京粕漬、味噌漬、酒粕白味噌漬の三種類の特性の漬け床で、素材のそれぞれのうま味を活かした漬け方をしている。

 1階は京粕漬、味噌漬、詰め合わせ、味わいシリーズの商品販売店であり、2階はカウンター席の「イートンあじみせ」で目の前で熟練料理人が炭火で看板メニューの“ぎんだら”や脂の乗った“さけ”など、それぞれの時期の素材の粕漬を焼き上げ、焼き立てを食せ、昼食は「ぎんだら京粕漬定食」「さけ京粕漬定食」「魚久おすすめ定食」の三種の特選定食のみで、3・4階は個室と座敷で日本料理、お寿司、海鮮と牛肉のしゃぶしゃぶであり、現役時代には接客や仕事の打ち上げ時によく出かけたが、当時でコースで5,000円位で、昼も1,200円位でとてもリーズラブルであった。
向田邦子のエッセイ「女の人差し指」で“人形町に来たら寄らずにはおれないところ”と魚久が綴られたことが自慢のようである。 次回も人形町通りの南西の続きをお伝えいたします。

 

 

 次回も人形町通りの南西の続きをお伝えいたします。

                                      つづく


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