ちょっと発表



                                     2016.09.26  4組 山崎 泰
   二十四節気について  その2

 人と自然に優しいライフスタイルを、古代中国で始まった二十四節気に多少なりとも感じ入ることが出来ることを願っています。

   《夏至》(げし) 6月22日頃
 “陽熱至極しまた、日の長きのいたりなるを以て也”(歴便覧)
立夏から立秋までの「夏」のちょうど真ん中で、太陽高度が最も高くなり、一年の中で昼間の最も長く夜が短い日とされている。
江戸時代の暦によると「日の出より日の入りまで、昼五十九刻半余夜四十刻余六より六まで昼六十五刻半、夜三十四刻余」とあり、夜明けから日暮れまでの明るい時間帯を昼、暗い時間帯を夜とした場合、昼夜の割合は二対一くらいとしている。
ただこの時季、日本の大部分は梅雨のさなかで、傘が手放せない。 この季節の旬の果物といえば枇杷で、かっては庭木として植えられることも多く、実は水分が多く、栄養価が高いほか、葉は古くから薬効があるとされ、お茶として親しまれている。

   《小暑》(しょうしょ) 7月7日頃
 “大暑来れる前なれば也”(歴便覧)
梅雨が明け、ますます暑さが増し、集中豪雨が起こりやすいといわれている。
この日から立秋までを「暑中」といい、“暑中見舞い”の挨拶状を送るのにふさわしい。
七十二候では「蓮始開」(はすはじみひらく)とあり、蓮の花が咲き始める頃で、暑さが和ぐ早朝に、水面に咲く蓮の花を観賞するのも風流である。
大伴家持が夏痩せの友人を心配した歌「石麻呂に我れ物申す夏痩せによしといふものぞ鰻捕り食せ」、家持がすすめるように、鰻でスタミナを付け、これから来る本格的な夏を乗り越えたいものであり、また涼しげなゆかたを身に纏った女性の姿も風情である。

   《大暑》(たいしょ) 7月23日頃

 “暑気いたりつまりたるゆえんなれば也”(歴便覧)
1年のうちで最も暑さが厳しい時期とされ、各地では大暑の日に合わせて、道や庭に水をまいて涼を得る「打ち水」のイベントが行われるが、元々は神様が通る道を清めるためのものだったが、江戸時代に、主に涼を得ることが目的となった。
たくさんの蝉が一斉に鳴きたて、一段と大きくなり、俳句の季語である“蝉時雨”のごとく、あたかも時雨が降ってきたかのように響き渡る。
大暑のすぐ後に、“土用の丑の日”があり、古くから“う”のつくものを食べると夏負けしないという伝承があり、江戸時代の蘭学者・平賀源内の発案で鰻を食するようになった。

江戸の伝統的な味覚であり、栄養価も高く、夏バテ防止にじっくり味わいたいものである。

   《立秋》(りっしゅう) 8月8日頃

 “初めて秋の気立つがゆへなれば也”(歴便覧)
初めて秋の気配が現れ、涼しい風がかんじられる頃で、旧暦7月の正節(節気)で、立春からちょうど半年が経過し、この日から立冬の前日までが秋となる。
この日から「暑中見舞い」ではなく「残暑見舞い」へと変わり、暦の上では秋となるが、実際の気候は残暑厳しく、1年で最も暑い時期で、日本人にとっては二十四節気の中で一番、違和感を与えることである。
「秋」の語源は、食物が飽きるほどあるから、とか草木が赤くなるから、天候が明らかだから、などさまざまだが、どれも豊かな秋の表情をあらわしている。
1年で一番暑いころではあるが、あとは涼しくなるばかりで、此の事は立秋が大暑の次にきていることからも分かり、これは古代中国の陰陽五行思想に「陽極まって陰に転じ陰極まって陽に転ず」が暦に反映されている。


   《処暑》(しょしょ) 8月23日頃

 “陽気とどまりて、初めて退きやまんとすれば也”(歴便覧)
「処」はもともと「来て止まる」という意味をもった漢字といわれ、ようやく暑さも峠を越したということであるが、まだまだ暑さは厳しく、この日は雑節の二百十日や二百二十日と同様に台風の多い時季となり、稲も開花を迎え農家にとって大事な時期で、作物の無事を祈り、災害を防ぐ意味を込めて各地で「風祭り」が執り行われる。

夏の疲れが溜り、疲労を感じやすい時期でもあり、睡眠や栄養にも気を配り、体調管理や食中毒にも注意を忘れずに。

   《白露》(はくろ) 9月8日頃

 “陰気ようやく重なりて露にごりて白色となれば也”(歴便覧)
秋分の15日前で、この頃から秋をひとしお感じられ、本格的な秋の到来によって、野の草には露が宿るようになり、その露が寒さで白く見えることから名付けられた。
透明な露を白と表現するのは、それほど不自然ではないが、日本人からすると「白」は雪=冬をイメージするのが一般的であるが、これは秋の色を白とする古代中国の陰陽五行思想が暦に反映されている。
この日は“中秋の名月”にあたり、秋の七草や団子をお供えし、実りに秋を感謝しながら美しい満月を愛でたいし、「十五夜」の満月もすぐまじかです。

秋の七草は、萩、すすき、葛、なでしこ、おみなえし、藤袴、桔梗であるが、中でも、万葉集で多く詠まれている萩は、桜と並んで古くから日本人に愛されてきた花で、庭先で風にそよぐ萩の小さな花弁は、私たちに本格的な秋の訪れを教えてくれることと、夜には虫の音も聞こえ始める。                                          

   《秋分》(しゅうぶん) 9月23日頃

 “陰陽の中分となれば也”(歴便覧)
秋の彼岸の中日にあたり、この日は太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがちょうど同じになり、「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように、この頃を境に暑さもゆるみ、すっかり秋らしい涼しい気候になってくる。

亡き人の供養や墓参りをするのは春の彼岸と同様だが、供える「牡丹餅」は小豆の粒を秋に咲く萩に見立てて「おはぎ」と呼び名が変わり、あんも粒あんを使用し、古くから小豆は邪気を払う効果のある食べ物と考えられており、それが先祖の供養と結びついて、彼岸に供える習慣が出来たとされている。
   《寒露》(かんろ) 10月8日頃

 “陰寒の気に合って、露むすび凝らんとすれば也”(歴便覧)
旧暦9月の正節で晩秋から初冬にかけて、野草に宿る冷たい露のことで、一か月前の白露の頃から比べると朝夕はだいぶ冷気が増し、昼は短くなり、涼しい秋の夜長に虫の声を楽しめるようになり、高い山から紅葉が始まり、燕などの夏鳥と雁などの冬鳥が交代する時期でもある。
また大気の状態が安定して空気が澄むので、抜けるような秋晴れの青空が広がり、10月中旬は「十三夜」であり、古くから「十五夜」と並んで月が美しく輝いて見える日である。
住宅地などで、ふと金木犀の花の香りに気付かされる頃でもある。         


   《立冬》(りっとう) 11月8日頃

 “冬の気立ち初めていよいよ冷えゆれば也”(歴便覧)
「四立」の一つの立冬であり、新しい季節になることで、冷え込みが進み、冬の気配が感じられるようになり、暦の上ではこの日から2月四日頃の立春の前日までを冬となる。
またこの時期に「木枯らし1号」も吹き、花の少ないこの時期、軒先を華やかにしてくれる山茶花や、菊の香り、水仙の可憐な花々が季節に彩りを添えてくれ、食卓では、そろそろ温かな鍋物が恋しくなる頃。
《小雪》(しょうせつ) 11月23日頃
“冷ゆるが故に雨も雪となりてくだるがゆえ也”(歴便覧)
 この頃から西高東低の冬型の気圧配置がおおくなり、北日本ではいよいよ小雪が舞い始め、主な山々には初冠雪の便りも届き、冷え込みも徐々の厳しくなる頃。
例年「勤労感謝の日」か、その前日が小雪であるが、勤労感謝の日の由来は、そのころ全国の神社で収穫されたばかりの穀物を神前にお供えし、一年の恵みに感謝する“新嘗祭”(にいなめさい)が斎行されるが、この新嘗祭の「新」は新穀を「甞」は御馳走を意味し、それを神に供え、神人供食の新穀感謝の祭りであり、現在でも宮中では五穀(米・麦・栗・豆・きびまたはヒエ)の恵みを祝う神事が執り行われ、新穀の感謝の日とされていたが、その後、全ての仕事の労をねぎらい、農作物に限らず勤労による生産物を祝い感謝する日になったという。
また晩秋から初冬にかけて、移動性高気圧のより春のような穏やかな陽気が訪れることがあり、これを“小春日和”といい、この時期だけの美しい言葉である。

またこの小春日和が続くと植物たちが春と勘違いして花を咲かせる事もあり、これを“帰り花”、“忘れ花”といわれている。

   《大雪》(たいせつ) 12月7日頃

 “雪いよいよ降り重ねる折からなれば也”(歴便覧)
立冬から数えておよそ30日頃のことで、日暮れが1年で一番早い頃になり、本格的に雪が降り始め、山の峰はほとんど雪に覆われ、熊をはじめとする動物たちは冬ごもりをはじめる。
降雪地方では雪の重みで枝が折れないように傘をひろげたような形の“雪吊り”をし、本格的な冬の訪れに備える。
翌日の12月8日と2月8日は「事八日(ことようか)」といって行事の総称で、江戸のような都市部では正月の準備を始まりの“お事始め”で2月8日を“お事納め”と言われてきたが、農村部では農事が中心であるから、都市部とは全く反対となる。
暮れ近くになると、街はクリスマスや正月の準備で賑やかな雰囲気に彩られ、一年で最も華やかな季節の到来でもあり、お世話になった方々への感謝の気持ちを大切にしながら、清らかな心で新しい年をむかえたいものである。


   《冬至》(とうじ) 12月22日頃

 “日南の限りを行きて日の短きの至りなれば也”(歴便覧)
一年中で最も夜の長い日で、この日より日が伸び始めることから、古代中国ではこの日を年の始点と考えられており、暦の上では冬の半ばですが、寒さはむしろこれからが本番で、特に西高東低の冬型の気圧配置の日が多くなり、本格的な雪の季節を迎える。
また冬至は「一陽来復」とも言われ、古代中国の古い書物の「易経」に出てくる言葉で、“陰が窮まって陽になる”の考えから、衰えていた太陽の力が再び勢いを増してくるという意味で、そのため、新年が来るという意味の他、悪いことが続いた後に幸運に向かうという意味もこめられている。
冬至には、厳しい冷え込みに耐えるため、無病息災を祈って、栄養豊富で長期間保存の利くカボチャを食べる習慣が出来たと言われている。


   《小寒》(しょうかん) 1月6日頃

 “冬至より一陽起こるが故に陰気に逆らう故益々冷る也”(歴便覧)
寒さが最も厳しくなる前とか、寒さが加わる頃という意味で、この日からいわゆる「寒の入り」とされ、小寒から15日後に大寒に入り、大寒から15日後に、寒が明ける。
つまり、小寒から節分までの30日が「寒の内」で、寒中見舞いを出すのもこの間で、“小寒の氷大寒に解く”という故事があるように実際には大寒よりも小寒の頃の方が寒さが厳しいことが多く、風邪をひきやすく、とはいえ“寒の水を飲めば風邪をひかない”という言い伝えもあり、寒中9日目は1年で一番水が澄むので「寒九の水」といって、この水で餅をついたり、服薬に用いると言われている。
外に出るのが億劫だと感じる寒さですが、冬の一番澄んだ空気は街の輪郭を鮮明に映し出し、正月気分を堪能した後に、きりりと気持ちの良い空の下の街の散策も一考かと。


   《大寒》(たいかん) 1月20日頃

“冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也”(歴便覧)
“二十日正月”とも呼ばれ、正月にお迎えした神様が朝早くにそれぞれの場所に帰る日とされている。
かっては正月行事の祝い納めをして、骨休みをする日でもあり、一年で最も寒さが厳しいことから、耐寒のために各地で、寒詣り(寒念仏)、寒垢離、寒中水泳、寒稽古などが執り行われ。
寒の内に汲んだ水のことを「寒の水」といい、雑菌が少なく、長期保存に向いているため、酒や味噌、醤油の仕込みに適している。
二十四節気についての内容は以上の内容になりますが、少しは御理解頂きましたでしょうか。
次回からは「雑節」と「七十二候」を勉強したいと思います。

                                          つづく

 

 


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