八十八夜は立春を起算日(第1日目)として88日目(立春の87日後の日)にあたり、もともと、太陰暦がベースである日本の旧暦では暦日と実際の季節が最悪で半月もずれるために、太陽暦をベースとした雑節としておこり広まったもので、現代ではさしたる意味は無い。
21世紀初頭の現在では平年なら5月2日、閏年なら5月1日であり、数十年以上のスパンでは、立春の変動により5月3日の年もある。
「八十八夜の別れ霜」「八十八夜の泣き霜」などといわれるように、遅霜が発生する時期であるが、「九十九夜の泣き霜」という言葉あり、5月半ばごろまで泣いても泣いても泣ききれない程の大きな遅霜の被害が発生する地方もあり、農家に対して特に注意を喚起するためにこの雑節がつくられた。
お茶の歴史は1,200年にもなり、昔からお茶は高級品とされており、庶民が飲めるようになったのは、大正時代といわれています。
私の出身の旧清水村は茶所で村の名前のごとく、処々に美味しい湧き水が出ており、この水で飲むお茶は最高で、今でも田舎に出かけるときは、10リットルの容器を持参してゆく程、美味しいですが、茶摘みの最盛期である八十八夜、末広がりの「八」は幸運を呼び、縁起を担ぐという意味合いと気候条件も含めてこの時期のお茶は極上である。
お茶の新芽には全年の秋からひと冬越えて蓄えられた成分があふれており、特有の若々しい香りが失われないうちに製茶された一番茶をゆったり寛いで飲みたいものです。
一番茶は二番茶以降のお茶よりもうま味のもとであるテニアンなどの成分を豊富に含んでいるといわれています。
茶摘みの適期ではあるが、また漁の目安とす所もあり、瀬戸内では俗に「魚島時(うおじまどき)」といわれるほど豊漁の続く頃といわれ、種子島や屋久島ではトビウオ漁開始の時期とされていた。