弔   文
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吉田君を悼む 
4組 釼持忠勝
2017.10. 23


人は必ず死を迎えるとはいえ、高校時代から親しかった友人の死は 悲しい。今道さんからメールで知った時は、心に異様な感情が走り、 涙が出ました。
  
 吉田君を知ったのは高校のラジオ部に入った時であったと記憶している。 ラジオから始まり、当時、一般には知られていなかったアマチュア無線 に興味をもち、お互い無線送受信機のパーツを集め、より高機能な装置を 目指し試行錯誤して作った記憶があります。後に、二人共免許を取り、 箱根の山越しに湯本と山北間で交信した。

 吉田君は無線だけでなく、 Audioにも大変興味を持っていて、音楽は特にクラシックが好きだったようで、当時我々が持つことのできなかったようなAudioのセットが 家に在ったのには驚いた。
さらに、楽器演奏も行っており、オーケストラのメンバーとして活躍 していたことは皆さんの知るところです。
 他にカーレースにも相当力を入れていたようで、詳しくは分りません がライセンスを取り、よく富士スピードウエイで走っていたようです。
このように若い時から多才でした。

交流は継続し、経営していた旅館で私の中学校、大学のクラス会等を 開催したこともありました。
また、政治にかなり関心を持っており、持論が有ったため、幾多の場面 で話題にしていたことが思い出されます。

 時は進み、60代半ば頃だったかお互い体調を崩して以降、健康上の 話題が多く、吉田君はその後も健康が勝れなかったようで、状態が気に なってはいましたが・・・。

以上、吉田君との長い付き合いの過程でまだ多くの追憶がありますが、 主に若年の頃を偲び、追悼の文といたします。

  ≪吉田君ありがとう≫    ご冥福をお祈りします。