弔   文
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小田高11期喜寿記念 11月同期会に向けて
6組 瀬戸章嗣
2017.10. 23


 まず、WEB11の元編集長吉田明夫君の御霊へ ご冥福の祈りを捧げます。そして、通夜や告別式への参列は失礼しましたが、ご遺族の皆様へ心からお悔やみを申し上げます。

吉田君が世に先駆けて、インターネットで同期が集う広場を作られたことに、深い敬意と感謝を捧げたいと思います。この広場を通じて、私は一人の参加読者として、そして時々の投稿者として、長く没交渉であった方々との新しい出会いに恵まれ、その生き方や考え方に違いはあっても、それぞれに共感を覚え、それは私にとって新しい学びであり、喜びでした。

その彼も、一昨年正月のWEB11で、前年の体調不良を語り、Mac仲間の和尚さんから生前戒名を強引に貰ったと書いています。そして過日の訃報でした。訃報を聞いたのは中秋の名月の日で、私は、雲間から顔を出した満月の吉田君に向かって、般若心経を唱えて御霊のご冥福を祈り、「良い人生だったのではないかと想像する。そして ありがとう!」と呼びかけて、雲の彼方へ見送りました。

世の中に<寿命>という言葉があり、人それぞれの受け取り方があると思いますが、私は
吉田君の死を、確定した後で、<寿命>と受け止めています。そして、身体は消えても、今度の同期会に、心は参加するかもしれないと感じています。よくぞ生きたと、生死両界での喜寿を祝おうではありませんか。

 我々も喜寿を迎え、これからの<生>と<死>を、<感じながら考える>時期に来ているように思うのですが、私も、若い時からの<人生100年>の目安はそのままにあるものの、自分の感じ方や受け取り方が、それなりに変わってきているのを感じています。

 先週、山北の実家に帰り墓参りをしたのですが、わが家の墓の手前にある、中学校卒業
以来で別れた同級生の墓の前を通る時、いつものように声をかけて通りました。その言葉は、「いまどうしてる?」でした。彼の享年は19歳と墓碑銘にあるのですが、私の中には、小学生の時の彼がいるのです。そして、いないと分かっている彼がそこにいるように話すのはどうしてだろうと、今更ながらに思いつつ、その時は、我家の墓や住んでいる家の位牌の亡父母弟にも、時に声をかけていることは忘れていました。

そして、実家へ戻り、倉庫代わりに長年保管している本類を読んだり整理していて、上記の疑問に対する答えを見つけたような気がしましたので報告します。それは、著名な生命科学者で、歌人で、長年難病と闘いながら、今も活躍し続けている柳澤桂子さんが般若心経を自分の言葉で、歌のように詠んだ、「生きて死ぬ知恵」(2004年 小学館発行)ですが、
その中にあった科学者らしい<粒子>という表現と、最後の部分が、将来的に、心の存在の継続性を科学的に納得して理解できる道を示しているように感じたからです。

部分的ですが引用してみます。<私たちは 広大な宇宙のなかに存在します 宇宙では 形という固定したものはありません 実体がないのです 宇宙は粒子に満ちています 粒子は自由に動き回って 形を変えて おたがいの関係の 安定したところで静止します>  

そして歌の中ほどで、<是諸法空相>を言い換えて、<あなたも 宇宙のなかで 粒子でできています 宇宙のなかの ほかの粒子と一つづきです ですから宇宙も「空」です あなたという実体はないのです あなたと宇宙は一つです 宇宙は一つづきですから 生じたということもなく なくなるということもありません>
 
最後に、次の言葉があります。<過去・現在・未来の三世の人々と 三世のほとけとは
永遠に存在しつづけます> 

私は、ここでいう<未来>は、必ずしも<あの世>ではなく、この世の延長としての未来も含むのではないかと思い、心が何らかのしかたで継続するならば、時空を超えたり、形として生まれ変わることも、あるのかもしれないと感じているところです。

                                     以上