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セオウル号と日本
2014.05.14  今道周雄


 1. セオウル号

 4月16日乗客476人を乗せた韓国のフェリー「セオウル号」が珍島沖合で横転し沈没した。特に痛ましいのは、修学旅行で乗船していた200名近くの高校生が逃げ出すことなく水死したことである。船が次第に傾斜し、危険状態に有りながら、船内放送で船室にとどまるよう言われたため、逃げ出さなかったと報道されている。
 この事故後日本のメディアは、韓国の安全軽視は国民体質に根ざしている、と言った論調を繰り広げた。これらの記事を読んだときに私は次の二つのことを感じた。

● 安全軽視は韓国よりも、日本の方が激しい。なぜそのことに国民は目をつぶっているのか。

● 危険を目前にしながら、動こうとしなかったセオウル号の乗客と、今の政府の動きを見ながら動こうとしない日本国民はよく似ている。

 

 2.日本の安全軽視

 日本では安全が重視されているとマスメディアは喧宣する。果たしてそうか、過去の事例をみてみよう。

 2000年3月8日、営団日比谷線脱線衝突事故 - 東京
 2001年7月21日、明石花火大会歩道橋事故 - 兵庫
 2001年9月1日、歌舞伎町ビル火災 - 東京
 2003年7月2日・7月6日、玄界灘海難事故 - 福岡
 2004年8月9日、美浜発電所蒸気噴出事故 - 福井
 2004年8月13日、沖国大米軍ヘリ墜落事件 - 沖縄
 2004年10月23日、上越新幹線脱線事故 - 新潟
 2005年4月25日、JR福知山線脱線事故- 兵庫
 2005年12月25日、JR羽越本線脱線事故 - 山形
 2006年8月14日、首都圏大規模停電 - 東京
 2006年8月25日、福岡海の中道大橋飲酒運転事故 - 福岡
 2007年1月19日、北見市都市ガス漏れ事故 - 北海道
 2008年2月19日、イージス艦衝突事故 - 千葉
 2011年3月11日 福島第一原子力発電所事故 - 福島
 2012年12月2日 笹子トンネル天井板落下事故 - 山梨

 中でも最大の事故は福島第一原子力発電所の炉心溶融事故である。自然災害が引き金であったが、全電源喪失に対する対策がなかったことなどを考えると人災であったといえる。
被害の大きさは桁外れに大きく、避難者数は当初47万人で3年後の2014年3月でもなお26.7万人が避難を余儀なくされている。
 韓国ではセオウル号事件で大統領をはじめ、閣僚や海洋警察、企業幹部が厳しく責任を追求されている。それに反し、日本では原発事故の責任追及は甘いのではないか。
 福島原発告訴団が結成され、告訴・告発したのは、東電の勝俣恒久会長、清水正孝社長、原子力安全委員会の班目春樹委員長(いずれも事故当時)、山下俊一・福島県立医科大副学長や、原子力安全・保安院、文部科学省の幹部ら計33人である。
 ただし、東電や政府関係者らを実際に起訴できるかどうかについて、検察は厳しい見方をしているという。「極めてまれな地震・津波災害について(原発事故の)回避義務まで認定するのは難しい」「被曝が『傷害』に当たるかどうかについても、事故の影響だと断定するのは難しい」「原子炉建屋内に入って機器類を確認するのが難しく、事故原因を解明できないのに刑事責任を問えるのかという問題もある」といった理由が挙げられている(読売新聞・7月24日夕刊)。
現政府は原子力発電を国の基盤エネルギーであると宣言し、再稼働に向かって突き進んでいるが、使用済み燃料の処分も決まらないままであれば、どうやって将来の安全性を確保できるのか。

 

 3. 日本国の危機

 フェリーの乗客たちがじっと死を待ち受けたのと相似だと思われるのは、今の憲法解釈論に対する日本国民の姿勢である。安倍政権は麻生大臣がうかつに漏らした筋書き通りに事を運んでいる。
「ナチス政権下のドイツでは、憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口、学んだらどうかね」
そう、このようなやり方が通用するような背景が現在は整っていると言ってよい。

 中国の軍事力を背景にした海洋進出にたいし、あるいは韓国の対日非難にたいし、国民はいらだっている。国民の間に、特に戦争を知らない若年層にはこのような外圧を不快に感じて、その解決を力に頼ろうとするものが増えている。
 第二次対戦が始まるきっかけは、アメリカ、オランダ、イギリス、フランスによる原材料物資」の供給締め付けという外圧であった。これは日本が満州事変にたいする海外からの批判に、力で対処しようとした結果である。それによって得たものは300万人の死者と瓦礫の山だった。

 安倍総理は「愛国心」と「戦後レジームからの脱却」を常に唱える。ヒットラーは「国民的高揚」と第一次対戦以降の「恥ずべき14年間からの脱却」を唱えた。
麻生大臣が漏らした「ナチスの手口に学ぶ」という言葉通り、今の日本の状況はナチスの時代に似ている。
 ナチスはすべて合法を装い、自分たちに都合の良い状況を作り上げた。同じように安倍政権は「有識者懇談会」と称して自分に都合の良いメンバばかりを集め、自分に都合の良い報告書をださせ、集団的自衛権を正当化しようとしている。これは議会を無視したやり方で、もしこれを認めるなら、国会は何の機能も果たさない形骸となるだろう。
 日本国民は、傾斜し沈没してゆく船内でじっと死を待った乗客のように、危機を自覚せず何も行動しないまま将来をむかえるのだろうか。300万人の血で購った憲法を、何の議論もなく、「解釈」でやすやすと変えてしまうのだろうか。

 他人の事故を笑うのではなく、自分の足下を憂うべきだ。



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