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 夜明けの素チャット
2015.04.08  佐々木 洋


 Part -3-  桜が咲けばJRが儲かる?

 エイプリルフールの日ですが、小田原界隈はウソ偽りのない桜の満開。「ほろ酔い状態で見る夜桜もよいが、まだ、まどろんでいる様子の“朝桜”もなかなか風情があるものだ」と思いながら、以下のような写真を撮りながら「和みの会」のラジオ体操会場である小田原城二の丸(城内小学校跡地)に向かいました。なお、全くの蛇足ですが、この「丸」は英語では”bailey”に当たるようです。ですから我が出身校「三の丸小学校」(もとの本町小学校)は英語で言うと”The third bailey elementary school”になるのではないかとマコトシヤカに思っています。

   


 周囲を満開の桜に囲まれてラジオ体操をするという至福の一時を過ごしたウバ桜さん(失礼)と花咲か爺さんの“喋り隊”(「おしゃべり」は英語では”chatterbox”になるようです)一同は、水曜恒例の朝食会会場「ガスト」に向かい、座を占めるや今度は“夜明けの素チャット”に花を咲かせます。そして話題の中心ももちろん各自の今年のお花見体験。ひとしきりしたところで「和みの会」の参謀総長格兼“喋り隊”隊長格の浅田姐さんも負けじと「私も昨日南足柄に花見に行ってきたわよ。」と一言。そして、続く「帰りに大雄山に寄ってきたけど私は天狗の“下駄”のところまで行かなかったわ。だって私“ゲートル”を巻いて行かなかったんだもの。」というボケぶりに一同は一瞬唖然としてしまいました。

 昭和16年生まれの私はもちろん日本軍の兵隊さんがゲートルを巻いて行軍していたことはウッスラと覚えていますが、ついぞこの方、およそ半世紀の間「ゲートル」という言葉を耳にしたことがありませんでした。そこで「浅田さん、“ゲートル”なんて言っても若い人には分からないでしょうね。そのうちに、履いたことも見たことのない“下駄”の方だってだって若い人たちには分からなくなっちゃうんだから。」と控えめなツッコミを入れる私。すると今度は、“真実一路”の杉村さんから、「いや、今でも若い人たちは和服を着る時にはちゃんと下駄をはいているわよ」という私のツッコミ発言に対する“修正動議”。これに対して、浅田の姐さんが「あのね、佐々木さんが言っているのは将来のことなのよ」と助け船を出してくれたのは嬉しかったのですが、これに「佐々木さんが死んでしまった後のこと」と付け加えるのが“一言多い”ところでした。しかし、さすが気配りの浅田姐さん、すかさず「その前に私の方が逝っちゃっているけど」とフォローを入れておられました。

 しかし、実際に日常生活で下駄が使われる機会はますます少なくなっていくことでしょうから、「初雪やニの字ニの字の下駄の跡」という句の持つ趣きも理解しにくくなるでしょう。「“下駄を預ける”だの“下駄を履かせる”などといった慣用句の語源も意味も分かりにくくなっていくんだろうなあ、きっと」と隣席の3年3組同級の望月郁文兄(通称:モッチャン)と小声で“夜明けの素チャット”を交わしていました。しかし、モッチャンが「下駄が一足も入っていないのに未だに“下駄箱”という言い方が罷り通っている。」と言っていた通り、「下駄箱」という言葉は本来の語源とは全く違う意味合いをもって生き残っていくのかもしれません。

 更に話題は「下駄」から「キセル」に“飛び火”して、「“キセル”という言葉も“下駄”と同じようなことになるんじゃないかなあ。」と今度は根岸俊郎兄も交えた3年3組トリオの“素チャット”。「キセル」は「煙管」と当て字される喫煙具ですが、いまや実用されている風景を見かけるのは下駄以上に稀になってきていますので、「キセル」と言ったらもっぱら「不正乗車」を意味する言葉として理解されるようになるのではないでしょうか。「キセル」はカンボジア語が語源で、大きくわけると、刻み煙草を詰める火皿(椀形の部分)に、首のついた「雁首」、口にくわえる部分の「吸い口」とそれをつなぐ管の「羅宇」(ラオ)で構成されていますが、この「ラオ」もカンボジアに近い羅宇国(ラオス)の竹(黒斑竹)が使われていたことからこのように呼ばれるのだそうです。

 そして、“金”属が使われているのは「雁首」と「吸い口」の部分にだけで、中間の「ラオ」には使われていないところから、入口と出口の部分だけ料“金”を払って中間の部分は“薩摩の守”を決め込んで金を払わないところからこれを「キセル」と称したのはアッパレで、今時の「笑点」の大喜利などでこれをやったら、「座布団10枚」で一気に流行語大賞となっていたことと思います。マスメディアが未発達の時代に、「キセル」ともども薩摩守平忠度(たいらのただのり)を只乗り(タダ乗り)に掛けた「薩摩守」という言葉を作りだし、しかも、これを受け入れて“誰でも知っている日本語単語”として定着させてしまっていたのですから、往時の日本人の“遊び心”の豊かさの程がうかがい知れるような気がします。

 今日は話題が次々とつながって、とうとう最後は、「スイカ」から「JR」の話にまで及びました。曰く「スイカが普及したため、駅員さんの数がかなり減ったからJRは大幅に人件費を削減できているはずだ」、また曰く「キセルされることによって取りっぱぐれていた分の運賃も確実に入るようになったのだからJRは相当儲けているに違いない」と懐具合を推察する“JR儲かっちゃてるんじゃないの”論。「それなのに、運賃は少し間やすくなっていないし、スイカでJRに乗ってもポイントが付かない」というウラミツラミの“JRケシカラン節”。なんのことはない、桜から始まってJRに終わり、「風が吹けば桶屋がもうかる」ではありませんが、「桜が咲けばJRが儲かる」という紆余曲折に富んだ夜明けの素チャットとあいなりました。

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