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 夜明けの素チャット
2015.04.29  佐々木 洋

 Part -4-  大将たって、色々あらあな

 先週の水曜日(4/8)が雨で来られなかったので、2週間ぶりの小田原詣でとなりました。毎朝ラジオ体操に来られている「和みの会」の皆さんにとっては大変なご無沙汰になるわけで、あちこちで「あら、お久しぶり」の声に迎えられながらの“土俵入り”となりました。そんなこんなで、あちこちでご挨拶の寄り道をしている私に対して、参謀総長格の浅田絢子さんからの「真っ先に“総大将”にご挨拶しなくちゃ」という“教育的指導”が。そこで、総指揮官の梅津忠雄さんのもとに駆け寄り、いつもの「お早うございます」に「写真展ご開催おめでとうございます」と加えました。前日に妹分の二見明子さんから、「本日(4/15)から小田原市内の飛鳥画廊にて梅津さんの写真展が開かれるということを知らされていたからです。「後ほど、観賞させていただきます」という私に対して梅津さんは「今年の展示は圧巻ですよ」と仰っていました。

 さて、ラジオ体操の後の「ガスト」での朝食会。浅田姐さんは「今日は“城山の大将”の隣でもいいか」と言いながら3年3組同窓同期の根岸俊郎兄の隣に座を占めます。これを聞いて「根岸、いつの間に“大将”に昇格しちゃったの?」と“出世遅れ”にアワテフタメク私。そこに、「なに、“大将”たって、色々あるんだから。ガキ大将とか、青大将とか…」。そこで珍しく素直になって「あーそーか、山下清は裸の大将だし、加山雄三は若大将だし、…」と一瞬思った後、いつものように懐疑的になって「日本は戦争をしない国になって軍隊もなくなっているはずだから大将もいなくなったのに、“大将”という言葉がこんなに使い続けられてるってことは、ひょっとすると日本人は本当は軍隊が好きだってことなのかな?」と思ってしまいました。そこで後刻インターネットで様々な「大将」の使われ方を調べてみたところ、色々のことが分かりましたので以下の通りご紹介します。

 「軍隊の階級」の階級区分には、上から順に「将官」、「佐官」、「尉官」となっていて、それぞれに「大」、「中」、「少」がいて、「大将」は「将官」の最高位。「元帥」は、元帥府(天皇の軍事部門における最高顧問集団)に列せられた陸軍大将または海軍大将に与えられた称号ですから、「大将」は軍隊組織のトップ。「中将」と「少将」がこれに次ぎますが、ともに名称としては「大将」より先輩で、もともとは律令制における官職の一つなのだそうです。道理で「源氏物語」や「古今和歌集」などの日本古典文学に「なんとか中将(少将)」が出てきて「大将」が出てこないはずです。なお、「少将」と言って「小将」と言わないのは、「小」は例えば「小生」や「小社」のように“自らをへりくだって”称する場合に多用される接頭辞なので、軍隊におけるエリートで、多くの部下を“へりくだらせる”立場にある「少将」には似つかわしくないからだそうです。「将官」と「佐官」の差は、「佐官」と「尉官」の比どころではなくて、「佐官」でさえ時に司令官の役目を負わされるのですが、「将官」ともなると「少将」であっても確実に軍司令官や師団長を担うのだそうです。「将官」の中の最上位である「大将」はまさに軍隊におけるエリート中のエリートになるわけです。

 因みに自衛隊では、「大将」、「中将」、「少将」といった“昔の名前”で出ていると「やっぱり自衛隊は軍隊だったんだ」と“正しく”推測されてヤバイというので、それぞれを「幕僚長たる陸将・空将・海将(大将相当)」、「陸将・空将・海将(中将相当)」、陸将補・空将補・海将補(少将相当)」と称して“迷彩”を施しているようです。アメリカの大義名分なきイラク侵攻の際に、当時の小泉首相が当時のブッシュ大統領の尻馬に乗って、損害軽微で従って人道復興支援のニーズがさして大きくないサマーワに巨額な国費を使って“派兵”した自衛隊の指揮をとった“ヒゲの隊長”こと佐藤正久氏の最終階級は1等陸佐だそうですから、さしずめ「佐官」クラスで「大佐」相当なのだと思います。国費が、救済を要している日本国民のために使われず、イラク国民の不要不急なニーズに対して支払われたのにもかかわらず、 “ヒゲ隊長”殿の“勲功”を評価して、我が代表として国会に送り込んでいるのですから、日本国民の寛容さたるや大したものです。しかも、その自衛隊の元「佐官」が、 “行政府の大将”である安倍首相に対して自衛隊の出動範囲を広めるための“軍事顧問”役を果たしているのを黙認しているのですから、「やっぱり日本人は本当は軍隊が好きなんだ」と思いたくなってしまいます。

 一方、「大将」という言葉には、軍隊用語から転じた平和な意味がいくつかあるようです。その一つが①「群れや集団、グループのリーダー格または主要な人物の愛称」という意味で「ガキ大将」や「お山の大将」がこれに当たるのでしょうし、加山雄三も往時の若者たちのリーダー格の存在だったから「若大将」なのでしょう。加山雄三の場合は、未だにさっそうとしていて、「若大将だった」と過去形で言えないところがさすがです。私もまだ74 years” young” なのですから、「将官」は程遠いので、せめて気分は「若兵卒」でいたいと思っています。また、②「スポーツの団体戦での各チームのエース格」も「大将」と呼ばれ、大将同士の一騎打ちである「大将戦」までもつれ込むと対抗戦が大いに盛り上がりますね。これとは別に、③「寿司屋、割烹などの店主や板長の愛称」として、「大将、鉄火巻き2人前!」などと「大将」が使われるシーンにもよくお目にかかりますね。「よう、大将は居るかい?」などとヒョッコリ家の主を訪ねてきて在宅かどうか確かめる場合の「大将」もこれに近いのではないでしょうか。海援隊の歌う「あんたが大将」の例から見ても「大将」には④「主役・主人公」という意味もありそうです。

 放浪の天才画家・山下清が「裸の大将」というのはどんな「大将」なのか、なかなか見当がつかなかったのですが、ようやく、「裸の大将放浪記」第一話の、山下清に貼り絵を教えた恩師の間宮先生が亡くなるシーンに、次のようなセリフがあるということが分かりました。

きよし・・・お前は裸の心を持っている。だからお前の絵は、人の心を打つんだぞ・・・。お前は私が死んでも、100枚、1,000枚と絵を描き続けるんだ・・・。裸の心を失わなければ、大将くらいの絵が描ける。お前は・・・裸の大将だ・・・。

 このセリフから察すると、「大将」にはどうやら、「軍隊組織の中のエリート中のエリート」という意味から発した④「超一流の才能・技能の持ち主」という意味もあるようですね。

では、「青大将」はなぜ「大将」なのでしょうか。「青」は、「背面が青みがかった色をしている」という意味とみて間違いがないところだと思います。「大将」は、大蛇(ダイジャ)が音変化して「ダイショウ」になったという説がありますが、これはマユツバではないかと思います。他にこのような音変化の例が見当たらないからです。青大将が日本で最大の蛇であることから「蛇の中の長」として「大将」の称号を奉られたという解釈の方が素直だと思います。上記の②は「チームの中で最強の者」という意味合いだったのですが、更に⑤「仲間のうちで最大・最長のもの」も「大将」呼ばわりされることがあるってわけですね。ところがこの青大将、恐ろしげな見かけと違って、毒をもっていないことから、「見かけと違って無害で割りと良いやっちゃ」と好意をもって見られている節もあるようです。ひょっとすると、根岸兄が浅田姐さんに「城山の大将」と呼ばれているのも、「ゴッツイ体つきと違って無害で良いヤツ」と好感をもたれているせいなのかもしれません。

ところで、その「城山の大将」や二見明子さんらとともに小田原テニスガーデンで楽しんでいたテニスを早めに切り上げて、飛鳥画廊にてオープンしたばかりの梅津さんの写真展に駆けつけました。先刻「今年の展示は圧巻ですよ」と言われていた通りでリ企画や傑作がズラリと勢揃い。パノラマ写真を多数採り入れた風景写真の美しさや迫力に引き寄せられて、展示会場の随所で脚を停めて佇み見入ってしまいました。“さすが総大将!”です。「和みの会」の①リーダー」、②⑤「最長老」、③「仕切り役」、④「主役・主人公」であるばかりでなく、写真撮影について④「超一流の才能・技能の持ち主」でもあって、「大将」の要素をすべて備えておられるのですから感服ものです。その上、更なる向上を目指されているところは、94 years oldというのは明らかに間違いであって”94 years young”そのもの。まさに「六十七十は鼻たれ小僧」だということを痛感させられてしまいました。 眼福の一時を過ごしながら、青大将の“無害”とは程遠い“有益”な教訓と刺激を与えていただきました。鬼に笑われるかもしれませんが、梅津総大将殿は来年も展示会を開催して、”95 years young”の若さで、より一層進化したところを見せてくださると思います。ご興味をお持ちの方にはご案内しますのでお申し越しください。


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