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   前立腺癌摘出顛末記
2013.09.26
4組  吉田明夫


 昨年2012年3月に脊柱管狭窄症の手術を受け腰椎に4対8本のチタンボルトを埋め込みました。5月から6月頃にかけて大分痛みも緩和されて来たのですが、ある程度迄でやはり腰痛には悩まされていました。一番下位の仙骨に近い1対を支えているボルトに骨が負けてぐらついて来たために痛みが出て来たようです。何しろ30歳代に自動車レースなんてものを10年間もやっていましたから、まあ、しょっちゅう身体のあちらこちらを痛めつけられていました。そんなことが原因のひとつで頸椎・腰椎にダメージを受けていたのかも知れません。頸椎にも損傷があり、転倒すると麻痺して動かなくなると脅かされています。そんなわけで昨年後半にはもう一度腰椎とその次に頸椎の手術をする予定でした。

 ところが4月に小田原市内の掛かり付けの医院で血液の定期検査を受けましたら、PSAが4.04だと言われましたが、私の無知と勉強不足で「4」が良いのか悪いのか分からず、医師も何も言わなかったので、そのままにし、次に9月に検査を受けた時には既に8.4に上がっていました。医師は一度生体検査を受けたらどうかと言うので、それからあちらこちらの病院を言ったり来たりすることになりました 。

 先ず小田原市立病院にて2日間の入院で前立腺癌の生体検査を受けました。医師曰く「残念ながらありましたね。」「ジェ!」 顔つきの悪い奴だそうです。そういうのをグリーソンスコアが高いと言うそうであります。  12本の針をケツの穴から入れて前立腺に差し込み、1本に付いていたそうであります。

 さて、次は治療をどこでやるかであります。小線源療法なら咽頭癌で治療を受けた「東京医療センター」、全摘なら脊柱管の手術を受けた「湘南藤沢徳州会病院」ということにしました。市立病院の医師に両方宛の紹介状をを書いていただき、先ず小線源療法ということで東京医療センターの泌尿器科へ出かけて行きました。
 小線源療法を希望とのことだが顔つきの悪い奴なので放射線治療も平衡して行わなければならないということだそうです。1ヶ月以上も通いきれないので入院ということになります。小線源の埋め込みだけでしたら3〜4日で済むのに、1ヶ月以上も入院は嫌です。ここの部屋は古いし室料は高いし。

 それなら全摘だということで湘南藤沢徳州会病院に決めました。入院は2週間だそうです。ここにはダ・ヴィンチという神奈川県でも最初に導入という最新の手術用ロボットがあります。昨年4月より導入ということですので、ロボット担当の医師については10ヶ月も経っているから少しは経験も積んだであろうと自らを納得させました。通常の手術はへそから下の方向に縦にメスを入れるのだが、ダ・ヴィンチはへその真下に1つ左右に等間隔に2つずつ合計5つの穴をあけそこからカメラやメスを取り付けたアームをぶっ込むのであります。

 同期のX君も全摘を経験しているので、参考の為、事前に話を聞きました。彼いわく、前立腺には2本の大きな神経があって、これを1本残しておくとインポテンツにならないとのことでした。
 お世話になる泌尿器科の主治医(福院長)にその神経の話をしたら、前立腺の神経は2本では無く前立腺の周囲をメロンの皮の筋のようになっていて、癌はその神経から浸潤していくので、1本残すなんてことは癌を全消去するために出来ないと言われました。

 本年2013年1月9日に入院、翌10日に手術、時間は全身麻酔で4時間30分位でした。手術は無事終了したそうです。家内が主治医に見せてもらった摘出物はフライパンで炒めた砂肝のようだったそうです。後日、スライスしたものの写真を見せていただきました。焼肉屋のメニューに出て来そうな奴でした。

 手術は俯せになって行うので、肺活量を多くする訓練をしろと言われ、暮れの12月初旬から器具を渡され1日に何回かフーコラ・プーコラと器具に息を吹き込み、浮き子が2500ccの目盛以上に上がるようにしろと言われました。私は好きなこと以外のことには繰り返し行う胆力がありませんので、全く訓練しない日も数日ありましたが、呼吸機能に障害は出ず無事終了しました。

 手術の翌日から午前と午後に1回ずつ小便袋をぶら下げながら、リハビリ師の女の子と病室の周りのフロアの散歩を始めました。
 いますね、いますね。同じように小便袋をぶら下げたおじいちゃんやおばあちゃん達があちらこちらに。だけどおばあちゃんには前立腺なんて無い筈だから、何かあの辺の病気なのかなんて勝手に想像しながらリハビリ姉ちゃんと世間話をしながら、30分位歩いて病室に戻る毎日でした。
 1月16日、アソコに差し込んであった小便抜きの管を外す時が来ました。比較的低い台の上に立たされ「ハイ、抜きまーす。抜けました。」と言って一気にスルーと抜いた途端に我が歴史あるアソコからイグナスの滝のような勢いで落下し、台や床の辺り一面小便の滝壺と化したのであります。周りに居た医療関係の人達は見物人よろしく、只呆然と見ているだけで、肝心の居るべき看護師が来なかったのであります。この病院の医師や看護師さんはみんな親切で丁寧な人が多いのにこの時の看護師は最低でした。「あのババア逃げたな」40代でも失礼な奴はババアだ。当たり前のことで、未だオシッコを止めたり出したりする制御装置が回復していないのは関係者は分かっていると思うのだが。オシッコ用バケツひとつで無事済むものを。

 そして1週間経った1月17日に退院し25日に手術後のPSAを確認すると11.4と高い。手術直後は高いらしい。その後少し様子を見ようということで、2月12日は13.8「「ジェ、ジェ!」3月12日は12.9、4月9日は14.9
と全然下がる様子が無い。「ジェ、ジェ、ジェ!」

 ということで、4月11日から放射線治療を始めることになりました。放射線科の先生は漫談師のような方で、初対面から「あなたのペニスは散々悪いことをしてきたようですな。そういう方はこの病気になりやすいのですよ」「いいえ、そんなことは無い筈です」。
 そういうことだとすると同期のX君やY君もそうなのか? しかし、彼らにはそのような過去の気配は感じられないが。でもX君はこの年で今でも何は可能だと言っていたから、もしかしたら、もしかしなくても先生のいうとうりかな。俺を除いて。
 そういえば、先日テレビのアニマル・プラネットという番組でサバンナにいるハイエナは通常メスだけで群れをつくり、子孫繁栄の為以外にオスが近づいて来るとと牙をむき出して追い払うらしい。解説によるとメスの体内の男性ホルモンが非常に多いらしい。逆に複数のメスと交尾を続ける動物のオスは男性ホルモンが多いといわれる。そういう動物にも前立腺癌はあるのだろうか。

 
放射線照射は1日1回グレイずつ、33日間6月3日まで、気が遠くなる日数です。箱根から辻堂駅近くまで毎日往復80Kmの自動車通院です。小田原から通っている親切な看護師さんと話を楽しみながら(放射線の先生が現れる迄)通院しているとあっという間に6月3日になってしまいました。治療終了後、直ぐにはPSAは下がらないので、1ヶ月後の7月2日に検査することになりました。しかし、この放射線により、我が歴史有る熱帯雨林も段々と砂漠化して行くことになったのであります。

 そして、心踊る7月2日到来。「ジェ、ジェ、ジェ、ジェ !!」、PSAは14.4、ガックリ。後はどんな療法が残っているのか。その日の内に泌尿器科の主治医からホルモン療法をやってみよう提案され、その日から早速始めることにしました。3ヶ月に1回腹に注射をし、毎日錠剤を1錠ずつ飲むという療法です。この錠剤は男性ホルモンの働きを抑制するものだそうです。

 そして約1ヶ月後の7月30日にPSA検査。「ウッヒヒ・・・」下がりました。「3.11」です。下がったものの3.11何て嫌な数字ですね。11と付くといろいろと悲惨なことを思い出します。案の定、この頃から何となく活力が無くなり、身体から脂が滲み出なくなり、娘から「お父さん、最近頭が臭く無いね」と言われ、脂取り紙で顔を擦っても脂が着かないのです。主治医に尋ねると服用している薬は抗男性ホルモン剤だから、筋肉は減り、脂肪が付きやすくなるということだそうです。「先生、オカマになっちゃうんですか?」「ちょっと、違うから心配無いよ」と言ってはくれましたが、「ちょっと、違う」が気になって仕方がありません。次の泌尿器科の診察は9月24日。

 ついにその日がやって来ました。9月24日、PSAは「0.57」。先生「だいぶ良くなりましたね。」「では、ホルモン療法はもう終わりですか?」と尋ねると、後1年間は続けるそうです。「トホホホ ・・・」

 上記の治療中に何度かアンケートを書かされました。次のような内容でした。
♡週に何度くらい勃起するか(数字が書いてあり、◯で囲む) ♡ 挿入後持続するか ♡その筋の動画等を観て興奮するか・・・等、想像もしていなかったアンケートにびっくりしました。これを待合室で隣の人に見られないように姿勢を歪(いびつ)にして書くのであります。おそらく前立腺癌摘出後のナニの可能性の統計を採りたいのでしょうね。まあ、同期のX
君も可能だと言っているし、40代50代の患者さんもいるのだから。

 まだ続く病との戦い、本当にオカマになっちゃうんではないかと・・・。       おしまい



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