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  無防備な平和ぼけ日本                                    2013.02.05    吉田明夫

 6組の瀬戸さんが「地震災害と核テロ災害」で指摘されるように日本の使用済み核燃料(ウラン・プルトニウム)は、核テロのターゲットになり得ます。世界で日本は治安が良いとされていますが、本当は最もテロリストやスパイが入り安い国であります。日本はスパイ王国と云われていますが、そのことを国民は認識しているのでしょうか。

 私自身も以前アマチュア無線の友人の知り合いで、北朝鮮のスパイらしき人物に接したことがあります。極普通の日本人に見えましたが、後になって考えると短波帯で連絡を取っていたようで、1970年代に、高度な日本製機器の輸出もしていたようです。羽振りの良いのも印象に残っています。中朝国境にある白頭山のウラン鉱脈について詳しい話をしていました。それをアメリカが狙っているとか。当時の我々一般人はそんなことを詳しくは知らず、白頭山といえば金日成が生まれた聖地と北朝鮮が宣伝していたことくらいしか知りませんでした。
 又、別の話ですが、詳しい日時は忘れましたが、宮崎の海岸で日本警察に追われ「金日成万歳」と言って自害した北朝鮮人が私の経営する旅館に宿泊したこともありました。これは小田原警察の外事課が聞き込みに来たことで分かりました。宿泊の領収書を持っていたらしいです。「北朝鮮スパイと海岸」、これは拉致事件と関係があったのかも知れません。

 更に、現在日本で暗躍しているのは中国人と云われています。先日摘発された李春光元在日中国大使館1等書記官(松下政経塾に1999年に入塾)よりも格段に高いレベルのスパイが多数いると云われています。

 尚、スパイでは無いが優秀な日本の科学者や技術者が定年退職後に韓国や中国に誘われ、図面とノウハウ(know-how)を持って一定期間雇用されるということによって、日本の先端技術がいとも簡単に流出してしまい、競争力を失っていることも事実です。企業はこのような人達に守秘義務を課し、彼らを国賊にせず、金銭的にバックアップする方法も考えなくてはならないと思います。所謂頭脳流出を食い止めなければなりません。

 本題に戻りまして、使用済み核燃料の保有量は、米国61,000 トン、カナダ38,400トンに次いで 日本は第3位の19,000 トンだそうです。
 又、運転しながら燃料となるプルトニウムを新たに造り出す高速増殖炉「もんじゅ」については、開発の目処(めど)が立たないのに、未だにそれに拘り続けています。「もんじゅ」につぎ込まれた総費用は2兆円といわれています。因みに先進諸国はずっと以前に手を引いているということです。原発を直ちにゼロにするには、電力生産の上で多少の問題があるとしても、出来るだけ早い時期に原発から手を引くことを考えなければならないと思います。「もんじゅ」に2兆円もの無駄遣いをするなら、もっと再生可能なエネルギー開発に力を入れるべきです。日本にはその技術がある筈です。もしかしたら、東京都大田区の町工場にも出来るものがあるかも知れません。それは太陽電池でも無く、風力発電でも無く、地熱でも無く、海流・潮流でも無く全く新しい技術かも知れません。

 このように造り出されたウランやプルトニウムは簡単に核兵器に変身出来ることで、このことが「核テロ」の標的になるのです。
 これらがイスラム過激派の手に渡れば、民主主義の同盟国の大きな脅威になります。私は宗教というものは、善悪両方を抱えているものと考えています。宗教の教えのもとに自分を悩みから解放させ、常識ある善人として生きて行かされる方法と、極度に偏狭な教典を押しつけられ社会と協調出来ない人生を歩まされる方法であります。

 イスラム過激派は宗教を騙(かた)った独裁集団で、イスラムの真の教えとは相容れない、言わば宗教を利用した武装集団に過ぎません。貧困であるとそのような偽りの宗教でマインド・コントロールされ、自爆テロに協力すれば「殉教者」になれると騙されるのであります。「殉教すれば天国(イスラーム)で72人の処女とセックスができる」等と口説かれたテロリストが、いつ日本の核施設に侵入するか何て考えただけでも、恐ろしさを感じます。

 喫緊の課題はこの19,000トンの使用済み核燃料をどうやって簡単に取り出せない地下深くにガラスの容器で囲って葬るかということです。今のままでは何時核テロに襲われるか地震等の自然災害で多量の放射能を浴びせられるかという危険な問題に直面していることを我々は考えなければならないと思います。そのようなテロや災害によって放出される放射能は身体に吸収されて癌を治すなんてレベルのものではありません。直ちに原発をゼロにすれば日本の産業が成り立たなくなると産官学が口を揃えて唱(とな)えても、ハイそうですかと素直に認めることは難しいのです。


         
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