(ご隠居) |
戦争体験、原爆体験などの話を語り継ぐことの大切さはしばしば話題になるがのう、肝心なことはじゃな、その話から何を汲み取り、今後どう対処すべきかを考えることだと思うのじゃが。如何かのう? |
(熊五郎) |
俺もそう思うぞ。 |
(ご隠居) |
何故、語り継ぐかと言えばばじゃのう、後世の人々が忘れないようにということであるが、わしはそれだけでは戦争を回避し平和な世界を構築する手段としては余り意味が無いように思うのじゃよ。語り継ぐだけでは爺様方の回顧話に過ぎないからのう。 |
(ご隠居) |
例えばじゃ、体験談を聞いて戦争の悲惨さやみじめさや無意味さが判ったとしよう。その次に思うことはじゃ、戦争をしてはいけない、戦争反対、常に平和を、話し合いで解決を、平和憲法の擁護が不可欠、平和宣言をしよう、平和の創造を、などということになるのじゃが、世の中の皆さんは、ここまでで、この後のことを考えないのじゃよ。 |
(八五郎) |
へえ、なるほどね。で、ご隠居、その後(あと)、俺たちゃあどうすりゃあいいんです? |
(ご隠居) |
まあ、そこまででは、戦争が始まりそうになったときに、これに反対する人々を増やすことには役立つんじゃが、戦争を抑える為にどうしたら良いかということには届かんのじゃよ。平和な世界を実現し維持していくことと結びつくとはとても思えんのじゃよ。語り伝えるだけでなく、「それなら、どうすりゃあ、いいんじゃ?」という話し合いを巻き起こすことの方がずうっと大切だと、わしは思うのじゃがな。 |
(熊五郎) |
さすが、ご隠居だねえ、いいこと言うね。なあ、みんな! |
(熊のかみ さん) |
わたしゃ、むずかしいことはわかんねえけどさ、ご隠居の話はわかるよ、ねえ、みんな! |
(ご隠居) |
集団的自衛権ハンタイ!、平和憲法を守ろう!、無残な戦争体験談を聴いて涙した!、という語りや瓦版を読んで共感しているだけでは、無意味、無価値だと、わしゃ、思うのじゃよ。戦争抑止はすべてお上や軍部の責任としてお任せし、戦争反対や護憲、集団的自衛権反対だけを唱える国民ばかりで良いのじゃろうか? しかし現実にはこういう人が多いのが日本の実情ではないじゃろうか?
戦後69年も経過していながらこの点では日本人は一向に進歩していないのじゃよ? 瓦版も含めてこの時期になると大合唱を唱え“戦争反対”、“平和憲法擁護を”、“戦争の悲惨さを語り継ごう”、“他国民に与えた被害を反省しよう”、“平和都市の創造を”などと宣伝文句だけを念仏のように言ってみるだけの現状から、いい加減に卒業したいもんじゃのう。 |
(八五郎) |
ご隠居! そこまでは俺にも何となく分かったけどよ、若え奴らにはどうしてもらったらいいんすか? なあ、与太郎? |
(与太郎) |
「うん、教えてけれ!」 |
(ご隠居) |
若いもんたちへ戦争体験を話伝えようということも結構じゃが、若い衆に我々大人は戦争を抑えるためにこんなふうな日本独自の制度を作り上げたから、これを礎にしてより良い方式の構築を目指して若い世代が更に知恵を絞って欲しいというのが本当の我々の責務ではないじゃろうか? |
(熊五郎) |
なるほどねえ、戦争をしなくてもいい方法を考えればいいんすか? おい、与太郎、わかるか? |
(与太郎) |
おらにはよく分かんねえけど、戦争しなくていいなら、その方がいいべ。 |
(ご隠居) |
じゃから、もしもこのままの状態が続けば、他国が戦争を仕掛けてきたときに国民は戦争反対を叫ぶだけで、その開戦を阻止できるじゃろうか? じゃから、国民が心から戦争を防止したいと考えるならば、その抑止効果(開戦しないような仕組み)を如何にして高めるかを国民一人一人が自分で予め考えておく必要があるじゃろう。
偶(たま)にじゃが「日本は平和憲法の下で戦争をしないことになっているから、他国が日本に戦争を仕掛けることはあり得ない」、などと能天気なことをのたまうご仁も見掛けられるが、こんな話が冗談としてではなく真顔で語られることを見てもだれも驚かないというのが日本の現状であり、平和ボケと言われてもやむを得ないし、他国から見れば隙だらけの国民としか捉えられないんじゃないかのう。
「平和を脅かすものとは断固として戦う」という気概を持ちながらも、戦争を未然に防ぐ手立てを考えておくことが成熟した国のあり方ではないじゃろうか? |