首相の米両院演説と党首討論



 
2015.05.22    4組 吉田明夫

2015年4月29日、米両院での演説

 安倍首相の米議会での演説への評価は賛否両論あるが、いつものことながら、日本国民も報道機関も左派系は批判的で有り、保守・中庸は好意的に評価している。
 中韓からは「謝罪と反省」が無いと相変わらず村山・河野の両談話を引きずっている。先ず謝罪とは何に対してなのか? 中韓が要求するのは、主に侵略と慰安婦の問題に対してであろう。侵略があったと解釈すれば、その侵略についての謝罪はこの70年の間に何度も充分に行って来た。「あったとすれば」としたのは、侵略の有無について種々の解釈があるからである。先頃他界されたシンガポールのリ・クァンユー元首相は次のように言っている。
「日本はいつまで誤り続けるつもりなのか」と。これは大方の日本人の持つ自虐性を戒めたものであろう。第二次世界大戦中の「大東亜戦争」は米英の日本に対する不平等条約に端を発するものであり、最初に攻撃(ハワイ真珠湾)をしたのは日本であり、アメリカは攻撃されたから反撃に出たとされている。現実はそうであるが、そこにはそうさせたアメリカの策略があったという節もある。当時の第32代米大統領のフランクリン・ルーズベルトは、日本が真珠湾を攻撃するという情報を事前に承知していたという情報もあるそうだ。喧嘩でよく使う手である。先に手を出させ正当防衛だとし、戦争に挑む方法である。

 不平等条約と言われた「ワシントン海軍軍縮条約」5大海軍列強国は建艦競争を抑制するために、戦艦等の建造に厳しい制限を加えることに合意した。約締結時点での戦艦保有数は、英30隻、米20隻、日11隻、建造中のもの英4隻、米15隻、日4隻であり、日本は英国の6割にも満たなかった。艦艇の保有比率に関しては、英:米:日:仏:伊がそれぞれ、5:5:3:1.75:1.75の割り当てとなったが、日本は対米7割を主張。日本は自国防衛のためこれを主張したが、米英とも受け入れなかった。英国の保有台数が多かったのは、東南アジアでの植民地の広さ(主にインドネシア)からも英国にとっては当然であったのだろう。

 現在インドや東南アジア諸国が中韓に比べてはるかに親日的なのは、これまでの経済援助だけではなく、当時の日本の南進が結果的にしろ、欧米からの植民地解放に繋がったこともあるからであろう。

 中共ですらチベット、ウイグルその他の小民族国家をこの70年の間に侵略し、今以て自国の一部だとしている。韓国については当時既に平和的手段で日本に併合されていたので、厳密に言えば侵略では無い。どちらにしろ日本はこの70年の間に充分に謝罪して来たし、どちらの国にもODAを通して充分な経済的援助を行って来たことは左派系の人でも充分に理解している筈である。

 慰安婦問題等と言うものは、元々無かったものだが、朝日新聞のずさんな報道(吉田清治の作り話)で火が付き、瞬く間に広がってしまったのである。そこへ1980年代の自民党の遊びも勉強も出来ないおたんちん達の言動により、韓国からは待ってましたとばかりに火を付けられたのである。慰安婦問題と言われるものについては、以前書いた(「戦時中の慰安婦問題」)のように、戦地での慰安所に売春婦はいたが、慰安婦等という呼び方は当時には無かったのである。

 90才前後の元慰安婦だったという女性の証言等として、韓国や韓国系米国人等が盛んに「強制的にに連行された」などとしているが、果たして真実だろうか。韓国が売春禁止法を施行したのは1988年のソウルオリンピックの年である。ましてやそれよりも半世紀も前の1920〜1945年代では多数の妓生(キーセン・日本でいう遊女)が居なかった訳は無い。ましてや素人女性を日本軍が強制的に連れ去って来たなど有り得るわけが無い。そんな必要は全く無かったのである。1970年代1980年代に渡韓経験のある方は、韓国が売春王国であったことは良く知っている筈である。現在でも台湾や中国そして日本にも何万という」韓国女性がその目的の為に来ていることは事実である。日本では1958年に禁止法が施行されたが、それまでは売春がはびこっていた。学生時代に熱海の糸川で「学生さん、学割よ」なんて声を掛けられたこともあった。
 戦時中の日韓併合時代での朝鮮半島は秩序が良く維持されていたという。もし、当時に慰安婦問題等と騒げば、売春婦達から「私達の商売を邪魔しないでよ!」という逆責めに逢っていただろう。

 元来、朝鮮民族は「恨(ハン)」の精神を持っていて、これが恨日であり、現在の反日に繋がるのである。

「恨」は、単なる恨みや辛みだけでなく、無念さや悲哀や無常観、(虐げる側である優越者に対する)あこがれや妬み、悲惨な境遇からの解放願望など、様々な感情をあらわすものであり、この文化は「恨の文化」とも呼ばれ、朝鮮民族独特のものであるとされる。

 話は少しそれるが、在日朝鮮人・韓国人には努力家が多く頭脳も非常に優れている人が多い。私の知人にも業界のトップに上りつめた人が何人もいる。おしなべて彼らは勉強家で努力家であり、気が強い。もしかしたらこの原動力は「」の精神から繋がっているのかも知れない。


三島由紀夫が生きていれば

 5月4日の夜、あるテレビ番組で文学者の三島由紀夫について、対談が行われていた。出席者は司会の男女の他に女優の村松英子さんと評論家の西尾幹二氏(電気通信大学名誉教授、著書に三島由紀夫の死と私がある)である。村松さんは家族ぐるみで三島氏と付き合いがあったそうである。ご自身も三島氏に女優として育てられたと話されていた。西尾氏も何度か三島氏の生前にお会いしていたそうである。三島氏の自決についてはここでは触れないが、生前「私の考えは、私の死後100年か200年経たないと理解されないだろう」と話されていたという。
 しかし、いま日本(ニッポン)の安倍首相は正に三島氏が願っていた憲法の改正と防衛力の増強へと進んでいる。おそらく草場の陰で少しは安心しているのではないだろうか。

 政治的に分類すれば、文学者にも色々居る。三島由紀夫や石原慎太郎の保守派。大江健三郎や村上春樹等のリベラル派。この腑抜けなリベラル派は日本を駄目にする平和呆けな輩にしか写らない。
その平和呆けな輩の発する言葉に次のようなものが耳に入ってくる。
 「*安倍さんは何処へ行こうとしているのか。*戦争をする国になりつつある。*九条があるから戦争は起こらない。*海外に行って戦争をするのか。*徴兵制が敷かれる。*軍靴の響きが聞こえて来る。*日本はあの悲惨な戦争を忘れて再び戦争するのか。」等々である。これらは全て自他共に認める左派系の我々の世代の 人達の言葉である。

 その戦争を防ぐための手段が強力な国防と経済力そして安全保障政策なのであろう。


5月20日の党首討論

 野党の品の無いヤジの中の党首討論であった。
先ず、安全保障関連法案についての質問に対して安倍首相の答弁には少々づれがあったのではないかと思う。聴きようによっては敢えて的を外しているようにも聞こえた。何故づれた回答しか出来なかったのか。それは恐らく安保政策(集団的自衛権を含めた)の設定に無理が多いということであると思う。つまりあれはやってはいけない、これもやってはいけないというふうに平和呆けの国民を意識して策定範囲を狭めたことに原因があるのではなかろうか。一般的な外国の軍隊と同じように制限の少ない安保政策にしなければならないと考える。およそ自衛隊等と云う呼称がおかしいのであって軍隊とすれば良いのである。遠からず中身は段々とそうなる筈なのであるから。

 他党の中でも共産党は別であった。もともと国会の刺身の褄(ツマ)以上にはなり得ないから、何を言っても国の体制に影響は出ない。志位委員長が首相に「大東亜戦争は正しかったのか、間違っていたのか、答えてください」と質問していた。これがツマ以上になれない党の頭である。ツマと言っても板前さんが新鮮な大根をカツラ剝きした立派なものでなく、スーパーでそろそろ廃棄処分にする大根を機械で剝いた食しがたいものと同じだ。
 戦争は勝てば官軍負ければ賊軍といわれる。戦争の解釈は見方によって異なる。ポツダム宣言は戦勝国が敗戦国に一方的に押しつけた宣言である。負ければ受け入れざるを得ない。英仏オランダ等がインドネシア等の東南アジアを植民地化していたのは侵略では無かったのか。アメリカが広島、長崎に原爆を落としたのは犯罪では無かったのか。B29が日本の殆どの都市を爆撃して多くの一般国民を殺傷したのも犯罪では無かったのか。ソ連が北方4島を奪ったのは侵略では無かったのか。韓国が竹島を占領したのは侵略では無かったのか。中国漁民が日本領海の漁場を荒らし、珊瑚を盗んで行くのは侵略とは言えないのか。リベラル派はこれらのことには何も言わない。

 答弁の内容はあれで精一杯であったのではなかろうか。どちらにしても安倍首相は過去の首相の中では格段の差がある日本にふさわしい首相であると思うし、今後も期待出来る人物であると思う。



  一つ前のページへ