日本の平和貢献


  JICA(国際協力機構)の現理事長 田中明彦氏の寄稿文

2015.06.28付 読売新聞朝刊より
 
  田中明彦 JICA理事長

  非軍事分野で世界の平和に貢献したい。この考えに共感する日本人は多いと思う。もちろん、軍事力が平和に役立たないわけではない。軍事力による抑止は平和の一つの基礎である。自衛隊が行っているような平和維持活動も世界平和のための重要な貢献である。
 しかし、軍事力の役割を肯定する人も、現在の日本が世界の平和に貢献しようとすれば、非軍事分野での努力が最も重要と考えるのではないだろうか。今年2月に閣議決定された「開発協力大綱」も、基本方針の第1番に「非軍事的協力による平和と繁栄への貢献」をあげている。

 非軍事分野での世界平和への貢献とは、具体的には何をすることであろうか。積極的平和主義を唱える現在の日本にとって、この問いは決定的な意味を持っている。平和を促進したいという善意を持つことは必要なことだが、善意のみでは非軍事分野における平和に向けての方法論は生まれない。どのような外交努力をすることが世界平和に役立つか。どのような政府開発援助が内戦や暴力を減らすか。どのようなNGO活動や企業活動をどのような条件下で行うのが平和に資するか。日本なりの非軍的平和構築の方法論が求られている。

 幸いなことに21世紀に入り、古典的な国家間戦争はほとんど発生しなくなった。内戦も21世紀に入って以来、数的には減少しているといわれる。しかし、シリア内戦は多数の犠牲者と難民を生んでいる。イスラム過激派組織「イスラム国」の勢力は、イラク、さらにはリビア、イエメンに拡大し、一部はアフガニスタンにも及んでいるといわれる。ソマリアの「アル・シャバブ」やナイジェリアの「ボコ・ハラム」などの過激組識は、隣接国を含めて多くの犠牲者を出している。内戦から停戦合意に到達できた国も、依然として不安定な状態が続いている。マリや南スーダンがそうだが、ミャンマーでも多くの少数民族との聞の停戦合意を、どう安定した方向に向かわせかが課題となっている。

 平和を達成するには、まず戦闘行為を終わらせなければならない。冷戦終結以来、国連を中心に戦闘行為を終わらせるための方法論が頻繁に議論されてきた。
 中立的な平和維持活動に加え、強制力を伴う「平和執行」といった強力な権限を持つ活動が必要とも指摘された。虐殺行為などが行われている場合は、軍事的手段による介入が必要との議論もあった。これらの議論については、効果や実行可能性について様々な議論があり、さらに理論的・実証的な検討が必要である。
 しかし、これらの議論おおむね「軍事的手段」を平和のためにどのように使うかという方法論に関すもので、国会で議論されている安全保障法制が実現したとしても、日本が参加し得るようなものではない。

 日本にとって可能であり、しかも平和に関する世界的議論に、より貢献しうるテーマは、戦闘行為が当面終結した後、どのような非軍事的協力が平和に役立つかということである。
 しばしば指摘されるように、最も内戦が起こりやすい国とは、内戦が終結したての国である。停戦合意で戦闘行為が終結しても平和が定着せず内戦に逆戻りしてしまう場合が多い。今、日本のような国が世界に最も貢献できるとすれば、内戦を終結させた国が再び内戦に逆戻りしないうに協力することである。
 それにはどうすればいいだろうか。国際政治学なの紛争研究の成果とJICAが世界各地で行ってきた平和構築事業の教訓を勘案し、筆者なりの作業仮説な方法論を示してみたい。

 第一は、平和が持続するという予想( 期待)を強化する事業を行うことである。停戦合意が成立した直後の状態は、それが続くかどうか不確実性に満ち満ちた世界である。当事者の聞ではいつ相手が裏切るか疑心暗鬼が存在している。だが、この不確実性を低減させなければ、トマス・ホップズが『リヴァイアサン』で指摘したような「戦争状態」が生まれてしまう。国際政治学の用語でいえば「安全保障のジレンマ」が生まれる。もし、すべての当事者が相手の先制攻撃を恐れて戦闘準備態勢に入れば、予測した行動に行きついてしまう「自己成就的予言」の作用で、内戦に逆戻りしてしまう可能性が高い。

 非軍事的な国際協力で大切なことは、それを防ぐとである。つまり、停戦直後の限られた時間の中で関係者や人々の期待を疑心暗鬼から平和の可能と向かわせるような事業を実施するのである。
 具体的には、社会を機能させるために必要であって、しかも事態が平和に向かっていることを示す事業でなければならない。1つのタイプは、基礎的でしかも目に見えるインフラである。戦闘で破壊された橋を建て直すこと、給水施設を修理して人々に水が行き渡るようにすること、学校の校舎や村の役場が再建されることなど、人々に平和を実感させる事業である。

 しかも、このような事は早く行う必要がある。内戦直後の状態で、多くの人々は遠い将来を展望するとが極めて困難になっている。3年後に立派なインフラができますと約束されても、信用できないかもしれない。小規模であっても目に見えるインフラが早くできることが重要になる。

 第二に、そのように行う事業は、可能な限り多くの関係者に有益な「包摂(ほうせつ)的」なものでなければならない。対立する集団間にあって、平和は敵対勢力のみ利する状態にすぎないとの考えが強くなれば、平和は長続きしない。クイック・インパクト(即効性)を狙うインフラ事業は、様々な集団間のバランスを考えて実施しなければならない。

 第三に、ハードなインフラに加えて、人材育成と制度構築が大事になる。内戦終結後の政府機能は著しく低下している。行政や民主的政治を担える人材を作っていかなければならない基礎的な法律が制定されていない国では、法制度支が必要になる。また、政府機能の復活に加えて、経済が回るような人材育成も大事だ。女性を含めた職業訓練も必要になる。
 第四に、長期的なコミットメントである。「平和への努力が続く限り我々はあなた方に寄り添って必要な事業をしていきます」と姿勢を示すことが重要だと思う。事態がより平和になれば、もっと積極的に協力できるとの姿勢も大事といえる。人々の未来志向に益すような長期的コミットが、紛争への逆戻りを防ぐのである。
 ここに掲げた四つのポイントを重視しても常に成功するわけではない。実際に内戦に逆戻りする事例は数多くある。そうなってしまえば、J I CAも職員を退避させ、事業を縮小させざるを得ない。しかし、退避させる場合でも戦闘が停止されれば必ず我々も戻っくるというメッセージは絶やしてはならないと思う。