旅   行


 韓国自動車旅行 その2 
2015.11.03
4組  今道周雄

 済州島第2日目

 済州島第二日目は前日に見ておいた潜水艇による海底観光から始めた。潜水艇乗り場に行くと、結構な数の観光客が集まっていた。潜水艇は船着き場から直接乗れるのではなく、連絡船で少し沖に出てから潜水艇に乗り移るのである。皆先を争って連絡船にのり込み、沖へ向かうと島が見えてきた。この島の周辺で潜水するのだそうだ。

 潜水艇は、連絡船が止まるとゆっくりと近づいてきて接舷した。船体長10メートル程度で細く、白い船体は華奢に見えた。艇の前部と後部にはハッチカバーの塔が立っている。艇内に入ると中央通路を挟んで両側に席がある。席にはそれぞれ丸窓があって、外を覗ける仕組みだ。

 はじめに船員から安全注意とこれからの行く先について説明があった。なにぶん韓国語だから内容は皆目分からない。やがて艇は垂直に潜水を始め、数メートル潜ったところでコトコト走り始めた。島の岸壁に沿って進むので、ゆっくり進んでいるのがわかる。この間も船員がいろいろ説明するが、皆目分からない。艇は数十メートル進んだかと思ったところで停止し、やがて艇外に潜水士が現れ餌を撒きはじめた。集まってくる魚は大小さまざまだが、窓ガラスが厚くてレンズ場のため実際の大きさはよく分からない。この程度なら水族館で魚を見る方が迫力がある、というのが正直な感想であった。

潜水艇
潜水艇内部

魚に餌を与えるダイバー
済州島東部ルート

 第二日目は島の東側を海辺に沿ってぐるりと回り済州市へ戻るのだが、このコースの見所は城邑民俗村(ソンプミンソクマル)と済州民俗村だ。城邑民俗村は伝統的な家屋に、今も村人が住んで実際に生活している。一方済州民俗村は観光用に作られた村で、島中から17−19世紀に作られた家屋を集め、集落を再現したという。東側島岸は草木もない荒磯が延々と続く殺風景なところで、いかにも流人の島という感じだ。チャングムが一時ここに流され、薬草の採取に励んだ時にはどんな気持ちだったことか。(注:チャングムは韓国ドラマの主人公 16世紀頃の話)

 
済州民俗村入口
 
済州民俗村家屋

 石の壁にわらの屋根、あるいは泥壁に藁屋根の小屋は一間が4畳半から6畳ほどの広さの部屋が横にいくつか並び、おおむね板敷きである。オンドルなどはなく竃で暖を取ったのだろう。冬の寒さが思いやられる。済州民俗村の規模は、非常に大きい。日本の17−19世紀の村も大差はなかったのだろうと思うが、残念ながら日本にはこれだけ当時の建築物がまとまって保存されているところはない。

 城邑民俗村で住人がすんでいる小屋には、さすがにガラス戸がはまっていたが、それでもこのような藁葺き小屋で暮らすのはさぞかし不便なことだろうと思った。


 
済州民俗村屋内
 
済州民俗村俯瞰

 
物置小屋
 
物置小屋の内部

 
便 所
 
左の便所から落ちる人糞で育つ黒豚

 城邑村には旌羲郷校(チョングィ・ヒャンギョ)という有形文化財がある。そこは儒教の聖人たちの位牌がまつられ、人々が学問や啓発を祈る場所である。この寺院は1423年(世宗治世5年)に城邑村に建てられた。ほとんどの儒教寺院は南向きに建てられているが、この寺院は東向きに立てられている。

 城邑村をすぎると後は何もないので、一目散に済州市へ向け走り、明るいうちにホテルへ入るつもりだった。ところが、いくら走ってもKALホテルが見つからない。二、三回同じところを行きつ戻りつしたが分からないので、女房にナビを頼んだところすぐにたどり着くことができた。この後も道が分からないことが何回もあったが、どうも直感は女性の方が優れているようだ。

旌義郷校
済州KALホテル

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