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韓国自動車旅行 その1
2015.10.03
4組  今道周雄

 旅行計画の巻

 韓国は近くて遠い国である。対馬と韓国の距離は、わずか49.5kmしかない。しかし、時につけ折に触れ、日本と韓国の人心にはすきま風が吹く。私は仕事を通じて敬愛する韓国人がいるのだが、其の実、韓国の人情や風習には疎い。 そんな私に吉田さんが、米山勉さんと3家族で韓国縦断ドライブをやろうと持ちかけてきた。それは2007年の夏だった。

 11月の紅葉を楽しもうと、旅行の計画を立て始めたのだが、そこで始めて吉田さんの緻密な性格を知った。その緻密な旅行計画が 図「第一次旅行計画」だったのだが、少し前から危惧していた問題が本当になり旅行を延期せざるを得なくなった。つまり吉田さんの喉の腫瘍を治療しなければならなくなったからだ。 この第一次計画では、済州島から、釜山へ渡り、北上して38度線を望む「統一展望台」まで往く事になっていた。

 それから1年半経ち、吉田さんの治療の目処が立った所で、再度旅行計画を立て始めた。 今度は新緑の朝鮮半島を走ろうというのである。前と同じ旅程を考えたが、家内が体力に自信がないと言い出し、北部を回るルートを省略してもらった。いまから思えば、無理してでも行ってしまった方が良かったのではないか、と悔やんでいる。 第二次計画も第一次に劣らず綿密な計画で、道路標識からGoogle Mapまでそろえて、ドライブで迷わぬよう、準備万端吉田さんが整えてくれた。私と米山さんは完全に頼り切りの状態であった。ドライバーは3人で勤めるので、余裕のドライブ旅行になるはずであった。しかし物事はそう容易く進まないのが世の常である。この事情は続編で次第に、明らかになってゆく。

 第二次計画

  5 月25 日(月)成田⇨済州 済州島観光 西帰浦泊

  5 月26 日(火)済州島観光 済州泊

  5 月27 日(水)済州⇨釜山 慶州観光 慶州泊

  5 月28 日(木)海印寺 松廣寺 光州泊

  5 月29 日(金)木浦・扶余経由 儒城泊

  5 月30 日(土)安東泊

  5 月31 日(日)安東観光 水原泊

  6 月01 日(月)華城 民族村 仁寺洞 ソウル泊

  6 月02 日(火)昌徳宮 京東市場 ソウル泊

  6 月03 日(水)明洞 南大門 仁川⇨成田


 
第一次計画
 
第二次計画

 済州島第1日目
 済州島は大阪府ほどの広さを持つ島で、中央には1950mの漢拏山(ハンラサン)が聳えている。成田を朝に立って昼に済州空港に着き、早速レンタカー2台に分乗して横断道路を走り、西帰浦を目指した。 借りた車は自分が乗っている日産ティアナの韓国版なので操作に戸惑いはなかったが、右側通行なので緊張した。道路は写真の通り広く快適であった。
 
赤色の99号線を北から南へ移動
 
済州市から西帰浦市へ

西木浦(ソギポ)は済州島(チェジュド)の南側に位置する・・・。

 目指す西帰浦は済州のちょうど反対側にあり、済州島南部の観光拠点だという。その西側20kmあたりに中文観光団地があり、ゴルフ場やカジノが 並んでいる。とりあえず西帰浦の目玉だという正房瀑布(チョンバン・ボッポ)へ行ってみることにした。この滝は高さ23mで直接海へ流れ込む雄大な滝であるとガイドブックには書いてある。ところが6年もたつと記憶がはっきりせず、この滝をみたのかどうか判然としない。残っているのは滝へ行く途中の踊り場で、へっぴり腰になって奥様方の写真を撮っている自分の姿だけなのだ。

 
西帰浦への99号線   正房瀑布
 
西帰浦市内の食堂   食 事

 滝をみた後は腹ごしらえだと、勇んで手近の食堂に飛び込み、韓国入国後初めての庶民的料理を注文することにした。しかし、メニューはすべてハングル文字で 何が何やらさっぱりわからない。ようやく注文できた料理は上の写真のようなものだった。この写真には映っていないが、太刀魚の焼き物を頼んだところ、非常 においしかった。太刀魚は小骨が多く敬遠していたのだが、ここでは7−8cmに切り油で焼いたものが大変食べやすく、しかもパリッとした食感で太刀魚を見直した。

 
ホテルは近くだから一杯くらいはいいか!
 
おーい! 酒はまだか?

 西帰浦の中を走り回っているうちに、観光潜水艇なるものを発見し、翌日乗ることにした。潜水艇に乗って海底を走り回るなどという芸当は、日本ではなかなかできないので大いに期待した。

 今晩の泊まりは中文観光団地の中にあるホテルハナである。西帰浦からホテルまでは約15kmの距離なので20分もあればたどり着くだろうと考え、気楽に走り始めた。ルート12から中文観光団地へ入る交差点はすぐに見つかった。この観光団地は韓国が力を入れて開発した観光地だけに、ほかと比べると段違いにきれいに整備され、木立や沿道の花壇は見事なものだった。

 団地に入ってすぐにホテルがあるはずなのだが、それが見つからない。団地の中をぐるぐると3周ば かりしてようやくホテルを見つけた。何とホテルへ通じる道路への交差点は3回通ったにもかかわらず、少し曲がった道路の先にあるホテルが見えないために、 交差点を曲がらずに通過していたのだ。翌日の済州市のホテル探しや、半島に入ってからの道探しもまた苦労することになるのだが、これはその序奏曲にすぎな かった。

 ホテルで荷を解いた後、晩飯をホテルで食べるのは味気ないということになり、フロントで教えても らった海鮮食堂へ出かけた。暗くなった夜道にはあまり車の通りもなく、また、道に迷うのではないかと心配しつつ漸くひなびた食堂にたどり着いた。苦労の甲斐あってここで食べたアワビ粥は絶品だった。

日本で食べるあわび粥は肝が少しだが、ここのはタップリ入っていた

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