旅   行


韓国自動車旅行 その3
2015.11.20
4組   今道周雄

第3日目 釜山から慶州へ

 釜山は思出深い土地である。浦項(pohang)製鉄所へ向かう入り口として2回立ち寄ったからだ。1968年に創立された浦項総合製鉄株式会社は、1973年から粗鋼生産を開始し、新日鉄や住友金属、日本鋼管などからの技術支援を受けながら急激に生産をのばし、1985年には全羅南道光陽市に新鋭製鉄所を作ることになった。三菱電機は電気品と制御システムを受注したため1984年に光陽製鉄所を下見に行ったのだが、その時は釜山から車で光陽市へむかった。今回の旅では第4日目に普州から光陽市へのルートを「南海高速国道」と呼ばれるハイウエイで快適にドライブしたのだが、1984年当時はひどいがたがた道しかなかった。しかも途中では軍の検問所があり、兵士が銃をぶら下げて検問を行っていた。釜山がどのように変わったか見たい気持ちはあったが、今回は先を急いで真っ直ぐに通度寺(tongdosa)へ行くことにした。


 
通度寺山門
 
通度寺俯瞰

 
通度寺墓地
 
通度寺奥の門

 通度寺は新羅(shilla)の善徳女王が646年に慈蔵に命じて作らせた寺である。山門の前には広い駐車場があって、その外れには案内所が建っていた。車を止めてから案内所へ行くと年頃は26−7歳くらいの女性が居て、丁寧に案内をしてくれた。山門からは広い山道が続いていて、俯瞰図の一番手前にある白い建物(宝物館)の前にたどり着く。その奥には多くの僧坊や伽藍が立ち並んでいる。

 宝物殿を見てさらに奥へ歩いてゆくと、後ろから来た先ほどの案内嬢が「無料の食事サービスがあるので食べに行きませんか?」と声をかけてくれた。無料とはこれ幸い、とついてゆくと大きな建物の地下へ案内された。100人以上は入れるだろうと思われる食堂には、ベンチと長テーブルが置かれていて、大勢の人が既に食事をしていた。一隅には僧侶が数人、大鍋でナムルをいためたり、みそ汁を煮たりご飯を炊いたりしていた。案内嬢によるとこの食材はすべて信者から寄進されたもので、奉仕活動にきた信者や観光客あるいは僧侶などが無料で食べられるのだそうだ。1椀づつのご飯、みそ汁、ナムルを受け取り、さてどうやって食べるのかと思案していると、案内嬢が全部を一つの椀に入れ猛烈な勢いで箸を使ってかき混ぜ始めた。後から韓国ドラマを見て気がついたのだが、この食べ方は一般的であるらしい。あまりにも印象が強く、その日の後の行程の記憶はかすんでしまったほどだ。

 通度寺からは京釜(gyeongbu)高速国道を一路慶州へ向かった。慶州の入り口には佛国寺(bul guósa)がある。

 
 
佛国寺   慶州石碑

 佛国寺は774年(新羅恵恭王10年)に完成し、石窟庵とともにユネスコの世界遺産に登録されている寺院である。しかし、李王朝の度重なる仏教弾圧で廃寺となり、1973年以降になって再建されたのだそうだ。慶州は新羅の首都として栄え、多くの歴史遺跡がある。その中の一つが瞻星台(天文台)である。これは善徳女王の治世に建設されたものだという。善徳女王は仏教を保護し、百済・高句麗連合軍と戦って悲劇の最後を遂げているが、多くの遺産を残した。瞻星台は当時の文化の高さを示している。慶州の石碑で皆そろって写真を撮ったが、全員がそろって撮った写真はこれだけである。

 
瞻星台(cheomseongdae)
 
ホテルコーロン

 石碑の周辺には瞻星台、歴代王の墳墓などが連なる美しい場所なのだが、美しいものばかりではなかった。瞻星台を眺めていると一人のご婦人が現れ、親切にもいろいろと説明してくれ、お土産によいものがあるから、ぜひ店に立ち寄ってくれという。そこでぞろぞろ連れ立って店に入ると、様々な土産物が並んでいる。我が女房は目敏くBBクリームを見つけると早速3,000円也を払って得意になっている。当時はBBクリームが有名になっていた頃で、韓国土産はBBクリームと決めていたらしい。女主人は大変安くお買い得です、なぞとおだてていたが京城では500円で売っていた。

 ホテルコーロンに入り、さて晩飯をどうしようかと考え、フロントで聞くと2〜3の店を教えてくれた。夕闇が迫ってきた頃、皆で車に乗り込み、食堂へと向かったのだが、店がみつからない。道路は田舎道で街灯もなく暗いし、人家がないので道を聞くこともできない。しばらくしてようやくぼんやりと明かりがついた看板が出てきた。だが建物の構えは民家のようである。ままよと入ってゆくと、玄関にはピアノが置いてあり、正面の座敷には家族らしき人たちが卓を囲んでいた。案内をこうと女主人が出てきて、左手の座敷へ通された。待つうちに鶏肉鍋料理が出てきたのだが、びっくりしたのは針が無数に幹から生えている棍棒が無造作に鍋に入っているではないか。写真では上の端にちょっと出ているだけなのでこの驚きを伝えることが難しいが、この棍棒が食材であるとは到底思えなかった。尋ねるとこれは漢方薬だとのことであった。

 話が前後する。釜山から京城までこのスターバックス一台で走ったのだが、はじめは吉田さんが運転し、私がナビ役をつとめていた。スターバックスに装着されているナビは、残念ながらハングル表示しかなく、さっぱり分からない。結局道路標識のアルファベット表示を頼って走ったのだが、高速道路を下りると標識が満足になく、道探しに四苦八苦した。

 
スターバックス   鶏肉鍋料理(動画)
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