第4日は慶州(Gyeongju)を発って大邸(Daegu)、海印寺(Haeinsa)、と9号路を東から西へ進み、咸陽(Xianyang)分岐路で南へ下って南海高速国道へ入り、そこから西へ向かって松廣寺(Songwansa)へ寄ってから光州(Kwangju)に向かう計画である。海印寺は高麗(Golyeo)八萬大蔵経(Palman daejang gyeongng)を蔵していることで有名で、世界遺産に指定されている。
大蔵経が初めて作られたのは1011年に契丹(Korang)が高麗に攻め込んできた時、勝利を祈願して版木が作られて大邸の符仁寺(Buinsa)に納められた。その後高麗は1231年から1273年まで元(Won)に侵攻され6度の戦いで国土は荒廃した。符仁寺の版木は1236年に消失したが、江華島(Ganghwa do)に避難していた高宗が再び製作するよう命じて15年の歳月をかけ、8万枚あまりの版木を完成させて海印寺へ納めた。韓国ドラマ「武神」にこの辺りの事情が詳しく描かれている。元の第六次侵攻で「骸骨野を覆う」惨状となった高麗はついに全面降伏し、以後80年間は元に支配されることになった。
1308年に復位した忠烈王(Chunglyeol-wang)は元に協力して日本への侵攻(文永・公安の役)を行った。高麗は1350年代に入って元朝が衰えると李成桂⦅イ・ソンゲ(Iseong-gye)⦆等の働きで1356年には高麗の領土を取り戻し、ようやく元の支配を脱したのである。 |