第5日は光州を発って木浦(Mokpo)へ、そして百済(Paekche)が首都を置いていた扶余(Buyeo)を経由して儒城(Yuseong)へ向かう。光州は1980年に全斗煥大統領の軍部政治に反対する民主化運動が拡大し、ついには武器庫を襲った市民が軍と銃撃戦を行うに至ったいわゆる「光州事件」で有名である。しかし、市内には見るほどのものはないため、一路木浦へ向かった。木浦は朝鮮半島の南西角に位置していて、西側の黄海に向かって開けた港町である。港の入り口には無数の島が点在し、波浪をふせぐ天然の良港となっている。
百済の時代には聖王(Seong)が仏教布教のための使節を送ったそうだが、この港から使節は出発したのではなかろうか。木浦には国立海洋文化財研究所がある。1975年に全羅南道(Jeollanam-do)新安郡の會島沖で700年前の沈没船(新安沈船)が発見され、船体と積み荷を引き上げた結果水中考古学と海上貿易史の大成果となった。研究所にはこれらの品が陳列されている。陳列されている船はいくつかあるが新安船が最も大型で、しかも日本と元の間の交易に使っていた船であることが興味深かった。 |